2015.02.08 (Sun)
散歩していて・・・・・・・
昨日の土曜日、今冬にしては珍しく晴れて穏やかな一日であった。そんな午後、散歩してみた。最近は有酸素運動と言うことで一時間ほど散歩するが、これは晴れた日にしかできないのでほぼ一週間ぶりに散歩してみた。ほぼ5キロから6キロほど歩く。時間にして1時間ほどなのだが、自宅から2キロ、3キロほど早歩きして往復する場合がほとんどで、コースも度々変える。小生の付近は京都市街の郊外になるのだが、まだ田んぼも多くまだ田舎の原風景が残っている。でも昔に比べると交通量も増えたので車をよけながらの歩行となるのだが、それでも良い運動になる。でも、これも夏になるととても歩けるものではないから寒い時期の間だけなのだが、とにかく週に一度は5キロ以上歩くようにしている。日頃は行った先から往復したり往路からそれて別の道で帰路につくのだが、たまに1駅、2駅先まで歩いてその先の駅か帰りは電車に乗る場合もある。こういうときはかなりの距離を歩いているのである。
昨日の土曜日は久しぶりに心地よい天候だったので、気分が高揚していたのだろうか、どんどん歩いているうちに京都府から大阪府に入り、西国街道を西に向かっていた。するとサントリー山崎工場の前まで来てしまった。工場の前にはJR東海道線の踏切があって、その前を大勢の人が紙袋を持って踏切待ちをしている。どうやら工場見学みたいだ。最近は工場の見学が流行っているというが、此処も例外ではないようだ。でもそれだけではなさそうだ。こんな閑静な所なのに、工場の前で写真を撮っている人も多い。何故なのか写真を撮っている人に尋ねてみたら、今、朝ドラやっているから見学に来たという。それもはるばる遠方からだ。なるほどそれで多いのかと思った。調べてみると今、NHKの朝の連続ドラマ『マッサン』を観て訪れてみようと思った人が多かったようだ。小生あまりテレビを観ないので正直なところ『マッサン』のことはあまり知らなかった。テレビの影響って大きいのだなと痛感。
マッサンとは竹鶴政孝のことだなと思った。日本のウイスキーの父と言われ、広島県竹原の造り酒屋の家に生まれたが日本酒を造らずにウイスキーを造り出したという変わり種。そもそも大阪高等工業学校(阪大工学部の前身)の醸造科で学んでいたが、卒業を待たずに摂津酒造(今の宝酒造)に入社。そこでスコッチ・ウイスキーと出会い会社からの命でウイスキー造りを学ぶ為に本場スコットランドに留学する。そこで後に妻となるリタ(ジェシー・ロバータ・カウン)と出会う。帰国してウイスキーづくりを始めるものの資金難で頓挫。結局、摂津酒造を退社して仕方なく桃山中学(現・桃山学院高校)で化学を教えていたが、間もなくして寿屋(現サントリー)の社長鳥井信治郎から声がかかる。当時、寿屋はウイスキー造りを本格的に考えていて、スコットランドで適任者を探していたが上手くいかず、スコットランドでウイスキー造りを学んだ竹鶴政孝を呼びよせ、寿屋がウイスキー造りを始めた時の最初の蒸留所だった山崎工場の初代工場長に就任させる。それが、今のサントリー山崎蒸留所である。結局、ここで10年以上勤め、後進に道を譲り本人は念願だった北海道に渡り、ここで大日本果汁(現ニッカ・ウヰスキー)を創業。つまりこういった経緯があって竹鶴政孝のことを日本のウイスキーの父と言う。あれから70年、80年経ち日本のウイスキーは本当に品質がよくなり世界でも屈指のものとなった。もっとも日本でウイスキーを造っていることをスコットランドの人はほとんど知らないが、今や品質だけなら本場スコットランドをも凌駕するという。これも竹鶴政孝の尽力があってこそだろう。だから何故に今頃になって竹鶴政孝の話をドラマ化にしているのだと考えるのだが、今まであまり話題にならなかった人だけに、ここらで大きく取り上げられても何ら不思議ではないといった気はする。それと大正時代、国際結婚と言うのは非常に珍しかったから、ドラマ化のネタとしては面白かったのだろう。それでタイトル名の『マッサン』と言うのは、スコットランド人の妻リタがマサタカと言いにくくマッサンと呼んでいたところから来たという。ところで、このドラマの影響か知らないが、最近はウイスキーを飲む人が増えたいうから面白い。ついでにいうなら北海道余市の二っカ・ウヰスキーの蒸留所も大勢の見学者で賑わっているという。
※なおサントリー山崎蒸留所のことは2007年12月26日に記事にしています
昨日の土曜日は久しぶりに心地よい天候だったので、気分が高揚していたのだろうか、どんどん歩いているうちに京都府から大阪府に入り、西国街道を西に向かっていた。するとサントリー山崎工場の前まで来てしまった。工場の前にはJR東海道線の踏切があって、その前を大勢の人が紙袋を持って踏切待ちをしている。どうやら工場見学みたいだ。最近は工場の見学が流行っているというが、此処も例外ではないようだ。でもそれだけではなさそうだ。こんな閑静な所なのに、工場の前で写真を撮っている人も多い。何故なのか写真を撮っている人に尋ねてみたら、今、朝ドラやっているから見学に来たという。それもはるばる遠方からだ。なるほどそれで多いのかと思った。調べてみると今、NHKの朝の連続ドラマ『マッサン』を観て訪れてみようと思った人が多かったようだ。小生あまりテレビを観ないので正直なところ『マッサン』のことはあまり知らなかった。テレビの影響って大きいのだなと痛感。
マッサンとは竹鶴政孝のことだなと思った。日本のウイスキーの父と言われ、広島県竹原の造り酒屋の家に生まれたが日本酒を造らずにウイスキーを造り出したという変わり種。そもそも大阪高等工業学校(阪大工学部の前身)の醸造科で学んでいたが、卒業を待たずに摂津酒造(今の宝酒造)に入社。そこでスコッチ・ウイスキーと出会い会社からの命でウイスキー造りを学ぶ為に本場スコットランドに留学する。そこで後に妻となるリタ(ジェシー・ロバータ・カウン)と出会う。帰国してウイスキーづくりを始めるものの資金難で頓挫。結局、摂津酒造を退社して仕方なく桃山中学(現・桃山学院高校)で化学を教えていたが、間もなくして寿屋(現サントリー)の社長鳥井信治郎から声がかかる。当時、寿屋はウイスキー造りを本格的に考えていて、スコットランドで適任者を探していたが上手くいかず、スコットランドでウイスキー造りを学んだ竹鶴政孝を呼びよせ、寿屋がウイスキー造りを始めた時の最初の蒸留所だった山崎工場の初代工場長に就任させる。それが、今のサントリー山崎蒸留所である。結局、ここで10年以上勤め、後進に道を譲り本人は念願だった北海道に渡り、ここで大日本果汁(現ニッカ・ウヰスキー)を創業。つまりこういった経緯があって竹鶴政孝のことを日本のウイスキーの父と言う。あれから70年、80年経ち日本のウイスキーは本当に品質がよくなり世界でも屈指のものとなった。もっとも日本でウイスキーを造っていることをスコットランドの人はほとんど知らないが、今や品質だけなら本場スコットランドをも凌駕するという。これも竹鶴政孝の尽力があってこそだろう。だから何故に今頃になって竹鶴政孝の話をドラマ化にしているのだと考えるのだが、今まであまり話題にならなかった人だけに、ここらで大きく取り上げられても何ら不思議ではないといった気はする。それと大正時代、国際結婚と言うのは非常に珍しかったから、ドラマ化のネタとしては面白かったのだろう。それでタイトル名の『マッサン』と言うのは、スコットランド人の妻リタがマサタカと言いにくくマッサンと呼んでいたところから来たという。ところで、このドラマの影響か知らないが、最近はウイスキーを飲む人が増えたいうから面白い。ついでにいうなら北海道余市の二っカ・ウヰスキーの蒸留所も大勢の見学者で賑わっているという。
※なおサントリー山崎蒸留所のことは2007年12月26日に記事にしています
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