2015.02.28 (Sat)
仰げば尊し
もう卒業シーズンのようで卒業証書や花束や卒業アルバム等が入った紙袋を持った高校生を電車で最近よく見かける。大方は3月だろうが私立の高校では2月に卒業するところが多い。早いところでは1月に卒業式を行う学校もある。小生はもう40年程前に学校を出たので遥か昔のことになってしまったが、やはりあの光景は今見てもいいものだ。後輩が見送り先輩が巣立っていく。そこには人それぞれの思いがこもっていて涙ぐむ者もいる。もうそういった状況から程遠い年齢になってしまったので、若い生徒や学生さんを見かけるたびに清々しく感じる。
ところで、その卒業式で歌う歌であるが、最近は『仰げば尊し』をほとんど歌わないらしい。いや最近どころか既に20年前には歌われることが少なくなったとか。いや今でも日本のどこかで歌われているかもしれないが、ほぼ忘れられた卒業ソングになりつつあるようだ。それなら今は何を歌うのかと思ったら『旅立ちの日に』が定番だそうだ。この曲は20年以上前に埼玉県秩父市の中学校で作られ、その学校で歌われていた曲なのだが、そこから全国に広まっていったと聞いている。それ以外だとレミオロメンの『3月9日』を歌ったり、森山直太朗の『さくら』を歌ったり、各学校で歌う歌が違うようだ。
何故に『仰げば尊し』が歌われなくなったのかという疑問が残るが、どうも歌詞が文語体で古すぎて意味が判りにくく今の時代に合わないということなのか。それと2番の歌詞~身を立て 名をあげ やよ励めよ~といった内容が立身出世を促がす歌詞で、卒業生の誰もが立身出世するものではなく、大方の者は平凡に生きていく。民主主義から逸脱するとか教育現場でいわれだし次第と卒業式の時に歌われなくなったようだ。
でも聴いているとジーンと胸にくる歌である。確かに歌詞は古臭いし時代にマッチしないかもしれないが、小生は小学校、中学校とこの『仰げば尊し』を合唱したものだ。中学の時には、この曲を歌っている最中に女生徒の何人かが泣いていたのを思いだす。高校になると、それが一転して『仰げば尊し』を歌わなかった。生徒会の連中が拒否したのだ。当時、学生運動が盛んな時期、我が高校の連中もあんな意味のわからん歌なんか歌えるかと言って教師に食ってかかった。それで歌ったのが卒業の少し前にヒットした赤い鳥の『翼をください』だった。いい曲で飛躍していくのには向いているが卒業の時にはなあ、もっとしっとりとした歌の方がいいのにと小生はしぶしぶ歌ったかな。あの辺りから流行った曲で卒業に相応しければ歌うようになったのかな。森山良子の『今日の日はさようなら』を歌っていた学校もあった。小生から10年下になると海援隊の『贈る言葉』を歌う学校が多かったらしい。
しかしである。卒業式といえば、やっぱり明治時代から歌い続けられた『仰げば尊し』だろ。でも、この曲は実は日本の曲ではない。作詞作曲者不明となっている。『蛍の光』にも言えるが明治時代に日本に入ってきた曲だ。そのメロディに日本語の歌詞をつけて歌っていたのだ。『蛍の光』はスコットランド民謡ということは知られている。が、『仰げば尊し』はよく判らない。でも1871年にアメリカで出版された楽譜に『Song for the close of school』という曲が記載されていて、どうもその曲が『仰げば尊し』の原曲のようである。作曲者はアルファベットのH.N.Dとしか書かれてなくどういった人なのかは謎である。でもそれが日本に伝わり、日本語の歌詞をつけて卒業式で歌うようになったというのだ。でも原曲でもタイトルが『Song for the close of school』と言うぐらいだから卒業式で歌われるのは当然だったのかもしれない。こうして明治、大正、昭和と歌われ続けた『仰げば尊し』である。最近は卒業の定番から外れてしまったようだがもう一度復活とならないものなのか。寂しいものだ。
原曲の歌詞はWe part today to meet, perchance,Till God shall call us home and from this room we wander forth, alone,alone to roam.And friends we’ve known in childhood’s days may live but in the past, but in the realms of light and love may se all meet at last.
我々は今日別れ、また再会する。おそらく神が我々を御下に招かれる時だ。そして我々はこの部屋から出て各自が独り歩きをするのだ。幼少から今まで共にいた友は生き続けるだろう。これからは光と愛の御国で皆と再会できるであろう・・・・・といったような内容であり、卒業式に相応しい曲である。それが明治17年に唱歌として採り上げられ、今日に至っている。だから歌詞も古い。でも何か哀愁がある。今でも歌ってほしいものだが、だんだんと消えていくのかな。今でも台湾の学校では歌われているというが。
Song for the close of school
ところで、その卒業式で歌う歌であるが、最近は『仰げば尊し』をほとんど歌わないらしい。いや最近どころか既に20年前には歌われることが少なくなったとか。いや今でも日本のどこかで歌われているかもしれないが、ほぼ忘れられた卒業ソングになりつつあるようだ。それなら今は何を歌うのかと思ったら『旅立ちの日に』が定番だそうだ。この曲は20年以上前に埼玉県秩父市の中学校で作られ、その学校で歌われていた曲なのだが、そこから全国に広まっていったと聞いている。それ以外だとレミオロメンの『3月9日』を歌ったり、森山直太朗の『さくら』を歌ったり、各学校で歌う歌が違うようだ。
何故に『仰げば尊し』が歌われなくなったのかという疑問が残るが、どうも歌詞が文語体で古すぎて意味が判りにくく今の時代に合わないということなのか。それと2番の歌詞~身を立て 名をあげ やよ励めよ~といった内容が立身出世を促がす歌詞で、卒業生の誰もが立身出世するものではなく、大方の者は平凡に生きていく。民主主義から逸脱するとか教育現場でいわれだし次第と卒業式の時に歌われなくなったようだ。
でも聴いているとジーンと胸にくる歌である。確かに歌詞は古臭いし時代にマッチしないかもしれないが、小生は小学校、中学校とこの『仰げば尊し』を合唱したものだ。中学の時には、この曲を歌っている最中に女生徒の何人かが泣いていたのを思いだす。高校になると、それが一転して『仰げば尊し』を歌わなかった。生徒会の連中が拒否したのだ。当時、学生運動が盛んな時期、我が高校の連中もあんな意味のわからん歌なんか歌えるかと言って教師に食ってかかった。それで歌ったのが卒業の少し前にヒットした赤い鳥の『翼をください』だった。いい曲で飛躍していくのには向いているが卒業の時にはなあ、もっとしっとりとした歌の方がいいのにと小生はしぶしぶ歌ったかな。あの辺りから流行った曲で卒業に相応しければ歌うようになったのかな。森山良子の『今日の日はさようなら』を歌っていた学校もあった。小生から10年下になると海援隊の『贈る言葉』を歌う学校が多かったらしい。
しかしである。卒業式といえば、やっぱり明治時代から歌い続けられた『仰げば尊し』だろ。でも、この曲は実は日本の曲ではない。作詞作曲者不明となっている。『蛍の光』にも言えるが明治時代に日本に入ってきた曲だ。そのメロディに日本語の歌詞をつけて歌っていたのだ。『蛍の光』はスコットランド民謡ということは知られている。が、『仰げば尊し』はよく判らない。でも1871年にアメリカで出版された楽譜に『Song for the close of school』という曲が記載されていて、どうもその曲が『仰げば尊し』の原曲のようである。作曲者はアルファベットのH.N.Dとしか書かれてなくどういった人なのかは謎である。でもそれが日本に伝わり、日本語の歌詞をつけて卒業式で歌うようになったというのだ。でも原曲でもタイトルが『Song for the close of school』と言うぐらいだから卒業式で歌われるのは当然だったのかもしれない。こうして明治、大正、昭和と歌われ続けた『仰げば尊し』である。最近は卒業の定番から外れてしまったようだがもう一度復活とならないものなのか。寂しいものだ。
原曲の歌詞はWe part today to meet, perchance,Till God shall call us home and from this room we wander forth, alone,alone to roam.And friends we’ve known in childhood’s days may live but in the past, but in the realms of light and love may se all meet at last.
我々は今日別れ、また再会する。おそらく神が我々を御下に招かれる時だ。そして我々はこの部屋から出て各自が独り歩きをするのだ。幼少から今まで共にいた友は生き続けるだろう。これからは光と愛の御国で皆と再会できるであろう・・・・・といったような内容であり、卒業式に相応しい曲である。それが明治17年に唱歌として採り上げられ、今日に至っている。だから歌詞も古い。でも何か哀愁がある。今でも歌ってほしいものだが、だんだんと消えていくのかな。今でも台湾の学校では歌われているというが。
Song for the close of school
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