2015.03.22 (Sun)
ピンク・フロイドのアルバム『狂気』を聴く
このアルバム『狂気』がリリースされたのは1973年らしい。らしいというのは確たる記憶がないからなのだが、ピンク・フロイドのアルバムは当時、シド・バレット在籍の頃の『夜明けの口笛吹き』から始まって『神秘』『ウマグマ』『原子心母』『おせっかい』『雲の影』とサウンド・トラック版の『モア』以外は全て持っていた。こういうとちょっと変わったロック愛好者であったかもしれない。当時、ロック好きと言うと当然、保守本流はハード・ロック。みんなレッド・ツェッペリンやディープ・パープルとかを聴いていたのかも。それ以前では王道を行くビートルズ、ローリング・ストーンズは別にしてもクリームやジミ・ヘンドリックスとかザ・フー、CCR、GFRのファンはいたがピンク・フロイドを熱心に聴いている者は私の周辺にはいなかったので淋しいものだった。当時、ピンク・フロイド、ムーディー・ブルース、キング・クリムゾン、EL&Pとかを聴いていると異端児扱いされる場合もあった。もっともキング・クリムゾンの『クリムゾン・キングの宮殿』ほどメジャーなアルバムだとみんな聴いていたのでキング・クリムゾンは好きと言う者もいたが、ピンク・フロイドとなるとちょっと違ってくる。あんなものロックじゃないと言って憚らない輩もいたのは事実である。そういった意見が支配していた時代、私はピンク・フロイドを熱心に聴いていたものだ。
さて、このアルバム『狂気』はピンク・フロイドのコンサートに行った翌年に出された。この中で『マネー』という曲がシングルで発売されがラジオで流れていた。ピンク・フロイドと言うのはシングル盤よりもアルバムで聴いてこそ活きる音楽。当然、アルバムを買った。でも初めてアルバムを聴いたときの印象は意外だった。それは珍しく歌詞の付いた曲が多いと言うこと。『原子心母』『おせっかい』で感じたインスルメンタルの大曲があまりなく『マネー』などは普通のロック・バンドのような楽曲だと思った。それが意外だったのだ。ピンク・フロイドはこのような曲作りもするのだとと面食らった覚えがある。でもトータル的にはピンク・フロイドらしさはあったが、驚いた部分が散見され当初はつまらないアルバムだと思ったものである。その後、聴きこむことにより、その思いは払拭されたのではあるが。
しかしである。私の印象とは正反対にピンク・フロイドの『狂気』は全世界で大ヒットした。それまでピンク・フロイドに見向きもしなかった人が買い求め、日本でもこれを境にピンク・フロイド・ファンが増えていったように思う。また何時の間にかプログレッシヴ・ロックなんて言われ出していた。私は当時????? 何で突然ピンク・フロイドが持て囃されるようになったのか不思議に感じたものである。もうマニアックな音楽ではなくなっていたのかな。結局、このアルバムの大ヒットをきっかけに過去のピンク・フロイドのアルバムを買い求めて聴く人が増えたのであるが、何か釈然としなかった。でも一部のマニアックな・ファンしか聴かなかったピンク・フロイドを聴く人が一気に増えて嬉しかったというのを覚えている。なにしろその一年前の1972年3月のピンク・フロイドの京都府立体育館の公演では、入りが悪く空席が多かったもので人気がないのだなと痛切に思ったものだから、『狂気』は世の中のロック・ファンを振り返らせてくれた奇跡のアルバムと言えるかもしれない。作家の安倍公房がピンク・フロイドのファンだと後年になって知ったのだが、安倍公房が何時からピンク・フロイドを聴いていたのかそれは判らない。でも『狂気』でピンク・フロイドを聴き始めた人は多いように思う。ただ私が感じるに、どれほど讃美され、ロック史上に残る名盤とされ、売り上げの面でもロングセラーを記録している歴史的アルバムになっているといっても私から見るとピンク・フロイドらしくないっといった印象は拭えない。やっぱりアトム・ハート・マザーの時のようなロック・シンフォニーのような曲がそれらしく思える。また『原子心母』を初めて聴いた時ほどの衝撃度は『狂気』には感じなかった。それは私がデビュー間もない頃からのピンク・フロイド・ファンだったからかもしれないが。
尚、このアルバムは『狂気』という邦題がついているが原題は『The Dark Side Of The Moon』である。だから聴いてみると狂気と言う印象と違うように聴こえるのしょうがないだろう。この狂気と言うタイトルは東芝EMIの洋楽プロデュサーだった石坂啓一が考えたらしい。この人はプログレッシヴ・ロックという言葉も生みだし、『原子心母』『おせっかい』のタイトルも考えた人である。
2015.02.28 (Sat)
仰げば尊し
もう卒業シーズンのようで卒業証書や花束や卒業アルバム等が入った紙袋を持った高校生を電車で最近よく見かける。大方は3月だろうが私立の高校では2月に卒業するところが多い。早いところでは1月に卒業式を行う学校もある。小生はもう40年程前に学校を出たので遥か昔のことになってしまったが、やはりあの光景は今見てもいいものだ。後輩が見送り先輩が巣立っていく。そこには人それぞれの思いがこもっていて涙ぐむ者もいる。もうそういった状況から程遠い年齢になってしまったので、若い生徒や学生さんを見かけるたびに清々しく感じる。
ところで、その卒業式で歌う歌であるが、最近は『仰げば尊し』をほとんど歌わないらしい。いや最近どころか既に20年前には歌われることが少なくなったとか。いや今でも日本のどこかで歌われているかもしれないが、ほぼ忘れられた卒業ソングになりつつあるようだ。それなら今は何を歌うのかと思ったら『旅立ちの日に』が定番だそうだ。この曲は20年以上前に埼玉県秩父市の中学校で作られ、その学校で歌われていた曲なのだが、そこから全国に広まっていったと聞いている。それ以外だとレミオロメンの『3月9日』を歌ったり、森山直太朗の『さくら』を歌ったり、各学校で歌う歌が違うようだ。
何故に『仰げば尊し』が歌われなくなったのかという疑問が残るが、どうも歌詞が文語体で古すぎて意味が判りにくく今の時代に合わないということなのか。それと2番の歌詞~身を立て 名をあげ やよ励めよ~といった内容が立身出世を促がす歌詞で、卒業生の誰もが立身出世するものではなく、大方の者は平凡に生きていく。民主主義から逸脱するとか教育現場でいわれだし次第と卒業式の時に歌われなくなったようだ。
でも聴いているとジーンと胸にくる歌である。確かに歌詞は古臭いし時代にマッチしないかもしれないが、小生は小学校、中学校とこの『仰げば尊し』を合唱したものだ。中学の時には、この曲を歌っている最中に女生徒の何人かが泣いていたのを思いだす。高校になると、それが一転して『仰げば尊し』を歌わなかった。生徒会の連中が拒否したのだ。当時、学生運動が盛んな時期、我が高校の連中もあんな意味のわからん歌なんか歌えるかと言って教師に食ってかかった。それで歌ったのが卒業の少し前にヒットした赤い鳥の『翼をください』だった。いい曲で飛躍していくのには向いているが卒業の時にはなあ、もっとしっとりとした歌の方がいいのにと小生はしぶしぶ歌ったかな。あの辺りから流行った曲で卒業に相応しければ歌うようになったのかな。森山良子の『今日の日はさようなら』を歌っていた学校もあった。小生から10年下になると海援隊の『贈る言葉』を歌う学校が多かったらしい。
しかしである。卒業式といえば、やっぱり明治時代から歌い続けられた『仰げば尊し』だろ。でも、この曲は実は日本の曲ではない。作詞作曲者不明となっている。『蛍の光』にも言えるが明治時代に日本に入ってきた曲だ。そのメロディに日本語の歌詞をつけて歌っていたのだ。『蛍の光』はスコットランド民謡ということは知られている。が、『仰げば尊し』はよく判らない。でも1871年にアメリカで出版された楽譜に『Song for the close of school』という曲が記載されていて、どうもその曲が『仰げば尊し』の原曲のようである。作曲者はアルファベットのH.N.Dとしか書かれてなくどういった人なのかは謎である。でもそれが日本に伝わり、日本語の歌詞をつけて卒業式で歌うようになったというのだ。でも原曲でもタイトルが『Song for the close of school』と言うぐらいだから卒業式で歌われるのは当然だったのかもしれない。こうして明治、大正、昭和と歌われ続けた『仰げば尊し』である。最近は卒業の定番から外れてしまったようだがもう一度復活とならないものなのか。寂しいものだ。
原曲の歌詞はWe part today to meet, perchance,Till God shall call us home and from this room we wander forth, alone,alone to roam.And friends we’ve known in childhood’s days may live but in the past, but in the realms of light and love may se all meet at last.
我々は今日別れ、また再会する。おそらく神が我々を御下に招かれる時だ。そして我々はこの部屋から出て各自が独り歩きをするのだ。幼少から今まで共にいた友は生き続けるだろう。これからは光と愛の御国で皆と再会できるであろう・・・・・といったような内容であり、卒業式に相応しい曲である。それが明治17年に唱歌として採り上げられ、今日に至っている。だから歌詞も古い。でも何か哀愁がある。今でも歌ってほしいものだが、だんだんと消えていくのかな。今でも台湾の学校では歌われているというが。
Song for the close of school
ところで、その卒業式で歌う歌であるが、最近は『仰げば尊し』をほとんど歌わないらしい。いや最近どころか既に20年前には歌われることが少なくなったとか。いや今でも日本のどこかで歌われているかもしれないが、ほぼ忘れられた卒業ソングになりつつあるようだ。それなら今は何を歌うのかと思ったら『旅立ちの日に』が定番だそうだ。この曲は20年以上前に埼玉県秩父市の中学校で作られ、その学校で歌われていた曲なのだが、そこから全国に広まっていったと聞いている。それ以外だとレミオロメンの『3月9日』を歌ったり、森山直太朗の『さくら』を歌ったり、各学校で歌う歌が違うようだ。
何故に『仰げば尊し』が歌われなくなったのかという疑問が残るが、どうも歌詞が文語体で古すぎて意味が判りにくく今の時代に合わないということなのか。それと2番の歌詞~身を立て 名をあげ やよ励めよ~といった内容が立身出世を促がす歌詞で、卒業生の誰もが立身出世するものではなく、大方の者は平凡に生きていく。民主主義から逸脱するとか教育現場でいわれだし次第と卒業式の時に歌われなくなったようだ。
でも聴いているとジーンと胸にくる歌である。確かに歌詞は古臭いし時代にマッチしないかもしれないが、小生は小学校、中学校とこの『仰げば尊し』を合唱したものだ。中学の時には、この曲を歌っている最中に女生徒の何人かが泣いていたのを思いだす。高校になると、それが一転して『仰げば尊し』を歌わなかった。生徒会の連中が拒否したのだ。当時、学生運動が盛んな時期、我が高校の連中もあんな意味のわからん歌なんか歌えるかと言って教師に食ってかかった。それで歌ったのが卒業の少し前にヒットした赤い鳥の『翼をください』だった。いい曲で飛躍していくのには向いているが卒業の時にはなあ、もっとしっとりとした歌の方がいいのにと小生はしぶしぶ歌ったかな。あの辺りから流行った曲で卒業に相応しければ歌うようになったのかな。森山良子の『今日の日はさようなら』を歌っていた学校もあった。小生から10年下になると海援隊の『贈る言葉』を歌う学校が多かったらしい。
しかしである。卒業式といえば、やっぱり明治時代から歌い続けられた『仰げば尊し』だろ。でも、この曲は実は日本の曲ではない。作詞作曲者不明となっている。『蛍の光』にも言えるが明治時代に日本に入ってきた曲だ。そのメロディに日本語の歌詞をつけて歌っていたのだ。『蛍の光』はスコットランド民謡ということは知られている。が、『仰げば尊し』はよく判らない。でも1871年にアメリカで出版された楽譜に『Song for the close of school』という曲が記載されていて、どうもその曲が『仰げば尊し』の原曲のようである。作曲者はアルファベットのH.N.Dとしか書かれてなくどういった人なのかは謎である。でもそれが日本に伝わり、日本語の歌詞をつけて卒業式で歌うようになったというのだ。でも原曲でもタイトルが『Song for the close of school』と言うぐらいだから卒業式で歌われるのは当然だったのかもしれない。こうして明治、大正、昭和と歌われ続けた『仰げば尊し』である。最近は卒業の定番から外れてしまったようだがもう一度復活とならないものなのか。寂しいものだ。
原曲の歌詞はWe part today to meet, perchance,Till God shall call us home and from this room we wander forth, alone,alone to roam.And friends we’ve known in childhood’s days may live but in the past, but in the realms of light and love may se all meet at last.
我々は今日別れ、また再会する。おそらく神が我々を御下に招かれる時だ。そして我々はこの部屋から出て各自が独り歩きをするのだ。幼少から今まで共にいた友は生き続けるだろう。これからは光と愛の御国で皆と再会できるであろう・・・・・といったような内容であり、卒業式に相応しい曲である。それが明治17年に唱歌として採り上げられ、今日に至っている。だから歌詞も古い。でも何か哀愁がある。今でも歌ってほしいものだが、だんだんと消えていくのかな。今でも台湾の学校では歌われているというが。
Song for the close of school
2015.01.11 (Sun)
ブラック・サバスのアルバム『パラノイド』を聴く
ブラック・サバスを初めて聴いたのは何時ごろかな。もう40年以上前のことになる。このアルバム・タイトルにもなっている『パラノイド』をラジオで聴いたのだ。ちょうど姉と一緒で、小生は喧しいが独自のものを持っているなと感じたが、姉の方は一言「嫌い」と言ったことを思い出す。この頃から急速に姉は洋楽を聴かなくなっていった。どうもハード・ロックが嫌いでレッド・ツェッペリンも下らないと言ってたからしょうがないかな。つまり、このブラック・サバスこそ今のヘビー・メタルの源流になる音楽なのであろう。先々月、ステッペンウルフの記事のとき、元祖ヘビー・メタルバンドと書いたが、楽曲『Born To Be Wild』の中でヘビー・メタル・サンダーと言った歌詞が出てくるからヘビー・メタルの語源になった一因と言うだけで、実際が元祖と言うものでもない。しかし、このブラック・サバスにおいてはまさしくメタル・サウンドの元祖と言われている。ディープ・パープルもそうだし、レッド・ツェッペリンも重いサウンドなのだが、レッド・ツェッペリンはアコースティックな曲も多いし、ディープ・パープルもサウンド的には重いからヘビー・メタルの元祖と言ってもいいが、あまり採り上げる人はいない。ならば何故ブラック・サバスが最もヘビー・メタルの源流に近いかと言うのはおそらく詩の内容だろう。デビュー・アルバムからしてタイトルが邦題で『黒い安息日』だし彼等の音楽作りのコンセプトが人を怖がらせる音楽だということだから、悪魔だとか魔術師とかいったものを採り上げる。それで現在のメタルに繋がっているのかもしれない。もっとも何が元祖なんてどうでもいいことである。キンクスなんてのもそれらしき楽曲はあるし、ジミ・ヘンドリックスなんかも今でいうヘビー・メタルに近いサウンドだった。クリームもそうだし、ビートルズだって『ヘルター・スケルター』というとてつもなく喧しい曲がある。ホワイト・アルバムに入っているこの曲を聴いたとき、ポール・マッカートニーが壊れたのかと当時は思ったぐらいだ。どうもザ・フーのような曲ぐらいは俺たちにも作れるよというノリでポール・マッカートニーは作ったらしいが、この曲は今から考えてもビートルズらしくなかったな。
さてブラック・サバスであるが、当アルバム『パラノイド』はブラック・サバスの2枚目のアルバムになる。母国イギリスでは1970年9月に出され、いきなりの全英でアルバム・セールス1位となる。アメリカや日本では翌年の1971年に発売されたのであるが、上述したようにシングル・カットされた『パラノイド』を聴いた時の印象は喧しい中にも独特のものがあると思った。だが小生、当時はプログレッシヴ・ロックが好きだったので、あまり興味が湧かなかった。もっともガチガチのハード・ロックが好きな連中はブラック・サバスに夢中になったかもしれないな。
このアルバムは収録曲が8曲『War Pigs』『Paranoid』『Planet Caravan』『Iron Man』『Electric Funeral』『Hand Of Doon』『Rat Salad』『Fairies Weear Boots』これ等の曲は総じて重く悪魔的サウンドに聴こえなくもない。パラノイドとは偏執症者だとか誇大妄想者とか言った意味がある。これからして後のメタルに影響を及ぼしているではないか。メンバーはヴォーカルがオジー・オズボーン、トニー・アイオミ(ギター)、ギーザー・バトラー(ベース)、ビル・ワード(ドラムス)で、激しいサウンドが当時から売りだったが、とにかく後のメタルバンド最も多大な影響を与えたバンドとしてブラック・サバスは存在しているのである。この辺りはビートルズやレッド・ツェッペリンではないのだな。あくまでもメタル的要素の確立となるとブラック・サバスだったんだなと思う。実際メタルバンドのメガデス(現在は日本のテレビに出ているマーティン・フリードマンがかつて在籍していた)が『パラノイド』をカバーしていることを考えると日本人が思っている以上にブラック・サバスは海外での評価は高いのである。また当アルバムの幾つかの曲が後にカバーされていることを考えると当然ハード・ロック、メタルの名盤の一つに入るだろう。それは現在でもオジー・オズボーンがメタル界の巨匠と崇められていることでもわかるが、日本ではあまりメタルの人気が海外ほど高くはない。またメタルそのものは衰退しているとも言われる。小生はメタルのことは詳しくないのでその辺りどうなのか知る範囲ではないが・・・・。
『パラノイド』1970年の映像
2014.12.21 (Sun)
イエスのアルバム『こわれもの』を聴く

イエス(YES)というロックバンドは一応プログレッシヴ・ロックに入るらしい。入るらしいといっても当時、プログレッシヴ・ロックなんて言い方はしなかったから、後年に言われるようになっただけである。その中にはキング・クリムゾン、ピンク・フロイド、エマーソン・レイク&パーマーなんていうのも含まれるが、全てアメリカではなくイギリスから生まれるというのは面白い現象である。だから小生は土臭いアメリカン・ロックよりもブリティッシュ・ロックの方が好きだったのかな。
このイエスのアルバム『こわれもの』が発売されたのは1972年だったと思うがはっきりは覚えてない。それ以前から存在したバンドである。ただこの『アルバム』の中の『ラウンドアバウト』がラジオで何度か流れていたので覚えているぐらいだ。でもあまり印象に残ってない。後に何故イエスがプログレッシヴに分類されるのかも判らなかった。それで小生1980年代になってCDが世に出るようになってから、この『こわれもの』を買い求めて聴いてから、ああなるほどと思った次第である。プログレッシヴ・バンドなんてシングルカットされた曲だけを聴いていては判らない。アルバムをトータルで聴いてやっと判る代物である。ところで顔見知りの20代の若い子が、このイエスの『こわれもの』というアルバムを持っているという。「どこで知ったの?」と尋ねると最近のアニメ『ジョジョの奇妙な冒険』のエンディングに使われたという。そこからイエスの名を知り、原曲が『ラウンドアバウト』だからということでアルバムを持っているのだということらしいのだが、 彼は残念ながらアルバムのその他の曲を聴いていないらしい。何とももったいない。今時の若者らしい聴き方でがっかりした。今はCDが売れないのだ。ネット販売で好きな曲だけ配信で買えるから、聴きたくない曲は買わないのだ。だからあの当時のコンセプトアルバムなんて意味がないのだと思った。それにCDの9曲目に入っている『燃える朝やけ(Heat Of The Sunrise )』は2、3年前の日産のテレビCМにも使われているのにな。
イエスの『こわれもの』に関しては冒頭と最後に収められている『ラウンドアバウト』は8分ほどもある曲だが、もっとも小生が聴いて驚いたのは2曲目の『キャンズ・アンド・ブラームス』である。歌詞はなくキーボード奏者のリック・ウェイクマンがブラームスの交響曲3番の3楽章を弾いているということ。クラシックの曲をそのままキーボードで弾くと言いうのは、かつてエマーソン・レイク&パーマーがアルバム『展覧会の絵』で試みていたから珍しいことではないが、アルバムの展開としてはここでクラシックのインスルメンタル曲が来るか? と思った。これでイエスがプログレッシヴ・ロックに属す一因になったかもしれないが、やはり中心となるのはキーボードである。プログレッシヴ・ロックにはギターよりもキーボード、シンセサイザー、メロトロンがフューチャーされる場合が多く、ここらはハード・ロックあたりとは大きく違っている。それとあと一つ、10曲目にサイモン&ガーファンクルの『アメリカ』のカバー曲が収録されている。もっともLP盤には入ってなかったが、CDにはボーナストラックとして収められているのだが・・・・。
ところでイエスと言うバンドの歴史は意外と古いのだ。1,968年にはバンドの母体が出来上がっている。だからピンク・フロイドやキング・クリムゾン同様、60年代後半に出てきたバンドである。1969年にはファーストアルバム『イエス』を出している。その時のメンバーはクリス・スクワイア(ベース)、ジョン・アンダーソン(ヴォーカル)、ビル・ブルーフォード(ドラムス)、ピーター・バンクス(ギター)、トニー・ケイ(キーボード)だった。当時はプログレッシヴ的ではなく、どちらかというとサイケデリック・ロックと言ってもいいかもしれない。サイケデリックと言うのが流行ったからな。でも日本ではさほど注目されなかった。結局はメンバーの入れ替えがあり、リック・ウェイクマンが入り、この4枚目のアルバム『こわれもの』で知名度が上がったバンドである。だからピンク・フロイドやキング・クリムゾン、ELPに比べると後から出てきたバンドのようなイメージがあったのである。そして5枚目のアルバムとして『危機』がリリースされた。しかし、この後にビル・ブルーフォードはキング・クリムソンに移籍する。何ともおかしなことになっているが、代わりにジョン・レノンのプラスティック・オノ・バンドでセッションに参加していたアラン・ホワイトが加わるなど、イエスはメンバーを度々入れ替え、活動停止も含め、現在でも活動している。でも小生はイエスを知っているのは最初の3、4年と言うことになるかな。まあ、歳とって今ではロックもあまり聴かないから、70年代ぐらいまでしか詳しいことは知らないが。
ラウンドアバウトの演奏(1991年)
2014.11.16 (Sun)
BABYMETALを考察する
記事のタイトルを見て筆者は血迷ったのか発狂したのかと思われるかもしれない。当ブログの過去の記事を続むと判ると思うが小生は昔からアイドルに関心がないどころか、これまで莫迦にしていたからだ。1960年代中頃から洋楽を中心に聴いてきた耳には、日本の歌謡曲そのものが別の物に聴こえて違和感があった。当時、まだアイドルと言い方はなくスターと言っていたと思うが、映画俳優がいて歌手がいた。そんな時代、歌手で言うと誰に人気があったかな。御三家と言うものがいて(橋幸夫、舟木和夫、西郷輝彦)非常に人気があった。テレビやラジオ、巷でよく彼等の歌が流れていた。女性で言うと、もうベテランの域であった美空ひばりがいて、島倉千代子がいて、若かりし頃の吉永小百合がいて、その他大勢・・・・。さらに、その後はグループ・サウンズ全盛になり、その後に音楽が細分化していく過程で、それぞれの分野でスターが生まれていくのであるのだが、今でいうアイドルとは少し違う雰囲気があった。所詮は業界の人って感じで、子供心にもテレビやスクリーンの中でしか観れない人達というような感じでいた。それで何時からアイドルっていう呼び方が一般的なったのかよく判らない。何時の間にか映画スターだとか、スター歌手だとか言わなくて、もっと一般人に近い芸能人としてアイドルとして言われるようになったのではないかと思う。
さて、今から考えると小生の中で最初のアイドルらしき人は誰かと言うと天地真理ではないかと思う。これには異論もあるだろうが、小生の中ではそのように思っている。一言で言うとかつてのスターと言われるころの人に比べると、歌が抜群に上手いというのでもなく容姿も近寄りがたいほどでもなく、庶民に近い存在であるということ。つまり雲の上の上にいた人が地上に降りてきた。身近にいるようになったことで親しみがより湧いてくる。それがアイドルではないだろうか。それ以降、アイドルがどんどんと出てくる。それも一般人から生まれるようになる。『スター誕生』なんて番組もあった。そういった社会状況でアイドルが毎年のように生まれては消えていったのである。キャンディーズ、ピンクレディー、山口百恵、松田聖子、小泉今日子、中森明菜、森高千里、安室奈美恵、SPEED、浜崎あゆみ、モーニング娘、AKB48・・・・・当然、男性アイドルもいるが、ここでは女性アイドルに限らせてもらう。
小生が高校の頃に天地真理が出てきた。最初にテレビで観た時、其処らのネエチャンや・・・・って思った。それに歌も下手だった。こんなのが人気あるの???
でも人気があった。たまたま彼女が歌っているところをテレビ番組で観たら若い男どもが集団で歌っている最中に合いの手をいれる「真理チャン」と大合唱。なんなんだとその時思ったが、これがアイドルに対するファンの接し方の始まりだったのである。鉢巻きをして一斉に同じ振りで合いの手を入れる。正直、それを見て小生は世も末だと思ったのである。お前らもっと他にやることがないのかって・・・・・・。それ以来、アイドルとそれに群がるファンを莫迦にするようになった。こちらは洋楽ばかり聴いていたので、その音楽性の低い下手糞歌手に戯れる連中に嫌悪感を示すようになったのである。歌手を好きになるのもいいが、もっと本物志向になれよと若い時は日頃から感じていたものである。それ以来、キャンディーズやピンクレディー、山口百恵、松田聖子と出てきても関心がなく、ひたすら無視してきたのである。もっとも小生、社会に出て洋楽にも関心がなくなり、再び音楽を聴くようになった頃は、クラシック、ジャズといった分野を専門に聴くようになっていた。洋楽の分野ではテクノが出てマイケル・ジャクソンが出て、ハード・ロックからパンク、ヘビー・メタルが出て、ラップやレゲエ等、色々と現れたが聴くこともなく段々と関心が薄くなっていくのである。音楽のジャンルも細分化して行き、また融合することもあった。
だが歳をとり最近はJ-ポップは当然としても洋楽もほとんど興味がない。殊に昔聴いたハードロックの流れから出たヘビー・メタルと言った喧しい音楽ジャンルがある。激しいリフの上にシャウトする。聴いていてもちょっとついて行けない。メタリカだとかスレイヤーだとかたまにYou Tubeで聴いてみたりする。最近はネットでこういったものが簡単に観れるので有難くはあるのだが、それでも聴いていて好きになれないでいる。そんなある日、もう2年ほど前になるかな。You Tubeでヘビー・メタルで検索したら何とBabybetalというのが出てきたのである。赤ん坊のメタルか? と思ってクリックして聴いた。曲は『ド・キ・ド・キ☆モーニング』だった。何と3人の女の子が踊りながら歌っている。~リンリンリンおはようWake Up リンリンリン~ちょまってちょまって・・・・・何だアイドルか。重いサウンドの上に女の子の高い声でJポップ風の歌を歌っているだけだと思った。3人の両サイドで踊っている2人の子はとても小さくて、小学生に歌わせているのかと思った。だがクリック数が半端ではなかった。コメントのところには英語で書かれたコメントがぎっしりと並んでいる。これは外国人に受けたのかな・・・と不思議に思っていた。実はその時にBabymetalの存在を知ったのだが、なんだAKB48と似たような類だと思い、それ以来、無視していた。そして昨年の今頃、再びBabymetalの曲をYou Tubeで観た。それが『イジメ、ダメ、ゼッタイ』だった。この時の印象は最初の印象と少し違い、パワー・メタル風の曲で、激しい金属的リフの上に伸びのあるヴォーカルで『ド・キ・ド・キ☆モーニン』の時とは違っていた。ほう、なかなか面白いと言う印象に代わっていた。小さかった2人が大きくなっていた。
さて、今から考えると小生の中で最初のアイドルらしき人は誰かと言うと天地真理ではないかと思う。これには異論もあるだろうが、小生の中ではそのように思っている。一言で言うとかつてのスターと言われるころの人に比べると、歌が抜群に上手いというのでもなく容姿も近寄りがたいほどでもなく、庶民に近い存在であるということ。つまり雲の上の上にいた人が地上に降りてきた。身近にいるようになったことで親しみがより湧いてくる。それがアイドルではないだろうか。それ以降、アイドルがどんどんと出てくる。それも一般人から生まれるようになる。『スター誕生』なんて番組もあった。そういった社会状況でアイドルが毎年のように生まれては消えていったのである。キャンディーズ、ピンクレディー、山口百恵、松田聖子、小泉今日子、中森明菜、森高千里、安室奈美恵、SPEED、浜崎あゆみ、モーニング娘、AKB48・・・・・当然、男性アイドルもいるが、ここでは女性アイドルに限らせてもらう。
小生が高校の頃に天地真理が出てきた。最初にテレビで観た時、其処らのネエチャンや・・・・って思った。それに歌も下手だった。こんなのが人気あるの???
でも人気があった。たまたま彼女が歌っているところをテレビ番組で観たら若い男どもが集団で歌っている最中に合いの手をいれる「真理チャン」と大合唱。なんなんだとその時思ったが、これがアイドルに対するファンの接し方の始まりだったのである。鉢巻きをして一斉に同じ振りで合いの手を入れる。正直、それを見て小生は世も末だと思ったのである。お前らもっと他にやることがないのかって・・・・・・。それ以来、アイドルとそれに群がるファンを莫迦にするようになった。こちらは洋楽ばかり聴いていたので、その音楽性の低い下手糞歌手に戯れる連中に嫌悪感を示すようになったのである。歌手を好きになるのもいいが、もっと本物志向になれよと若い時は日頃から感じていたものである。それ以来、キャンディーズやピンクレディー、山口百恵、松田聖子と出てきても関心がなく、ひたすら無視してきたのである。もっとも小生、社会に出て洋楽にも関心がなくなり、再び音楽を聴くようになった頃は、クラシック、ジャズといった分野を専門に聴くようになっていた。洋楽の分野ではテクノが出てマイケル・ジャクソンが出て、ハード・ロックからパンク、ヘビー・メタルが出て、ラップやレゲエ等、色々と現れたが聴くこともなく段々と関心が薄くなっていくのである。音楽のジャンルも細分化して行き、また融合することもあった。
だが歳をとり最近はJ-ポップは当然としても洋楽もほとんど興味がない。殊に昔聴いたハードロックの流れから出たヘビー・メタルと言った喧しい音楽ジャンルがある。激しいリフの上にシャウトする。聴いていてもちょっとついて行けない。メタリカだとかスレイヤーだとかたまにYou Tubeで聴いてみたりする。最近はネットでこういったものが簡単に観れるので有難くはあるのだが、それでも聴いていて好きになれないでいる。そんなある日、もう2年ほど前になるかな。You Tubeでヘビー・メタルで検索したら何とBabybetalというのが出てきたのである。赤ん坊のメタルか? と思ってクリックして聴いた。曲は『ド・キ・ド・キ☆モーニング』だった。何と3人の女の子が踊りながら歌っている。~リンリンリンおはようWake Up リンリンリン~ちょまってちょまって・・・・・何だアイドルか。重いサウンドの上に女の子の高い声でJポップ風の歌を歌っているだけだと思った。3人の両サイドで踊っている2人の子はとても小さくて、小学生に歌わせているのかと思った。だがクリック数が半端ではなかった。コメントのところには英語で書かれたコメントがぎっしりと並んでいる。これは外国人に受けたのかな・・・と不思議に思っていた。実はその時にBabymetalの存在を知ったのだが、なんだAKB48と似たような類だと思い、それ以来、無視していた。そして昨年の今頃、再びBabymetalの曲をYou Tubeで観た。それが『イジメ、ダメ、ゼッタイ』だった。この時の印象は最初の印象と少し違い、パワー・メタル風の曲で、激しい金属的リフの上に伸びのあるヴォーカルで『ド・キ・ド・キ☆モーニン』の時とは違っていた。ほう、なかなか面白いと言う印象に代わっていた。小さかった2人が大きくなっていた。
2014.10.19 (Sun)
ステッペンウルフを聴く

ステッペンウルフというバンド名をいったところで50歳より下の人はほとんど聞いたこともない名前だろう。でも『ワイルドで行こう(Born To Be Wild)』と言う曲はほとんどの人が何処かで必ず聴いたことがあるだろう。謂わば一発屋に近いバンドである。でも『ワイルドで行こう』は1968年8月24日から3週連続でビルボードのヒットチャートでベスト2になっているので大ヒットしている(この時の1位はラスカルズの『自由への讃歌』)。ちなみにこのころに流行ってい主な曲はローリング・ストーンズの『ジャンピン・ジャック・フラッシュ』、クリームの『サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ』、ドアーズの『ハロー・アイ・ラヴ・ユー』、ビートルズの『ヘイ・ジュード』と時代が偲ばれる。古き良き時代かな・・・・。
ところがアメリカでヒットした『ワイルドで行こう』は日本ではさほどヒットしなかった。知っている人はいただろうが、この曲がもっと注目されるようになったのは翌年に公開された映画『イージー・ライダー!』のオープニングに挿入されてからである。それ以来、単車や車が走行するシーンでは必ず流される曲となった。それほど曲が有名になり独り歩きしたものの、肝心なバンド名の方は知られていないというから面白い。
『ワイルドで行こう』を演奏していたバンドはステッペンウルフと言うカナダ出身のバンドである。そもそもドイツのティルシット出身のJoachim Krauledat(1944年生まれ)が結成したバンドである。Joachim Krauledatことジョン・ケイが母と共にカナダのトロントへ移住した(父は戦死)のは1958年。ドイツ時代にチャック・ベリーやビル・ヘイリー等を聴きこんでいたジョン・ケイ少年はカナダでブルースと出会い、やがてプロ・デビューする。高校卒業後はクラブ・シンガーとなり、カナダ各地を転々とする生活を送るのである。そして1965年にトロントでブルースの5人組バンド『スパローズ』を結成。66年にテレビ出演がきっかけとなりCBSコロンビアと契約。レコードもリリースするが、あまり注目もされず67年に解散。その後、ジョン・ケイはアメリカのロサンジェルスへ移り、スパローズ時代の仲間ゴールディ・マックジョン、ジェリー・エドモントンの2人にジョン・ラッセル・モーガン、マイケル・モナークを加えて文学者ヘルマン・ヘッセの『荒野の狼』にちなんでスッテペンウルフと名付けたのである。そして67年7月ダンヒル・レコードと契約し、早速レコーディング。翌年の68年2月に『スキー・スキー』デシングル・デビーュする。さらに『ステッペンウルフ』のシングル第2弾が『ワイルドで行こう』で、これが大ヒットしたのであった。でもこのデビュー・アルバム『ステッペンウルフ』をリリースした後、71年までに8枚出すなど積極的だったが突然に解散した。その後、何度か再結成されたが華々しい活躍はない。
ところでこのステッペンウルフが元祖ヘビーメタル・バンドと言われている。もっともステッペンウルフが活躍していた時にはヘビー・メタルという言い方はなかった。あの当時、重いサウンドのバンドが数多く登場し、新しいロックンロールだということでニュー・ロックなんて言われ出していて、それ以前のビート・グループから色々と進化したバンドが生まれ、その中でも激しいサウンドのグループをハード・ロックだとかヘビー・ロックだとかいわれるようになった。たとえばヴァニラ・ファッジがそうだし、クリームなんかもそうだろう。もっともレッド・ツェッエペリンが代表格で、ディープ・パープル、ブラック・サバス等もそのように言われていた。そしてアメリカではグランド・ファンク・レイルドード、そしてステッペンウルフが挙げられる。でもヘビー・メタルと言い方はしなかった。これは後の時代になって言われ出したのである。その一因はステッペンウルフが歌う『ワイルドで行こう』の中の歌詞にI like smoke and lightnin’ heavy metal thunderというのがあって、ここからヘビー・メタルという形容がされるようになったと言われるからである。しかし、このヘビー・メタル・サンダーというのは音楽のことを言ってるのではなく、エンジン音のことを言ってるのである。でもそれが音楽用語となり現在にいたっている。それで、そのステッペンウルフがヘビー・メタルの元祖と言われるのはそういった理由があるからである。今はハード・ロック、ヘビー・ロックと言う言い方はしない。つまり昔のハード・ロック、ヘビー・ロックとヘビー・メタルは同義語と言ってもいいだろう。でもステッペンウルフの名は次第と消えてしまった。『ワイルドで行こう』の重いサウンドだけを残して。
さて最近ヘビー・メタルをもじってBABYMETALという日本の少女3人組が海外で凄い人気が出ているという。バックバンドは明らかにヘビー・メタルなのだが、踊って歌う少女3人はダンスユニットであり、アイドルであり、Jポップである。また日本の民謡風な要素も加味され、風変わりなサウンドを作りだしている。もっとも賛否両論あって、メタルではないという声もあるが、音楽なんて絶えず変わっていくものだ。それにしても面白いものが流行るものである。しかし小生、アイドルもJポップもメタルも興味ないのだが、不思議とこのBABYMETALだけは繰り返し動画を観てしまう。どうも中毒性があるようだ。何故だかわからないが・・・・・・・・・。
BABYMETAL 『イジメ、ダメ、ゼッタイ』