2009.11.24 (Tue)
キネマ旬報オールタイム・ベスト10
映画雑誌の『キネマ旬報』が、このほど創刊90周年を記念して日本映画・外国映画オールタイム・ベスト10なるものを発表した。これは日本の映画批評家、作家、文化人等の投票を得点化して決めたものであろうと思われ、同点で同位にランクされてあるものが幾つかある。そこでそのランクを発表することにする。ただし私自身、日本映画はあまり観ていないので割愛するとして、外国映画のベスト10を記すことにした。
第1位 ゴッドファーザー
第2位 タクシー・ドライバー ウエスト・サイド物語
第4位 第三の男
第5位 勝手にしやがれ ワイルドバンチ
第7位 2001年宇宙の旅
第8位 ローマの休日 ブレードランナー
第10位 駅馬車 天井桟敷の人々 道 めまい アラビアのロレンス 暗殺者の森
地獄の黙示録 エル・スール グラン・トリノ
ううーん、『ゴッドファーザー』が1位か・・・・・・。まあ、優れた映画とは思うが、どちらかというと暑苦しくて私の嫌いな方の映画に属する。あのマーロン・ブランドのしわがれた声を聞いて、あまりのめり込めなかった。それにニーノ・ロータのベタなテーマ曲を聴いただけで嫌気がさして、この映画の上映当時、途中で映画館を出て行ったことを思い出すし、若い頃は嫌いな映画の筆頭であった。ただ、その後に何度か観て、ただマフィアの抗争だけを描いた映画ではなく、シチリア島から移民した一家の愛と結束、葛藤、悲哀・・・・実に奥深い内容のある映画であるとは思った。でも好きな映画には今でもなれないのである。だから、どちらかというと『タクシー・ドライバー』の方が映画としては好きかな。ジョディ・フォスターが幼い娼婦を演じ、ロバート・デ・ニーロがいい演技をしていたなあ・・・。でも、どちらにしても私が20歳前後に上映された映画で、よく覚えているが、観た当時、それほど衝撃を受けなかったけどなあ・・・・・・。受け取り方は人によって色々あるから、しょうがないが。選者もだいぶ若返ったのかもしれない。
全体的には私の好きな映画がいくつか入っていて、『キネマ旬報』もなかなか鋭い人に投票させたものである。でも『グラン・トリノ』なんて映画観たことがない。どうやら2008年の映画というから、最早、ここにランクインするというのはどのような映画なのか・・・・・・・。監督がクリント・イーストウッドだけに、クズ映画ではなさそうだが、最近の映画は、大概において期待を裏切られるからどうだろう。ただ『ゴッドファーザー』にしろ『地獄の黙示録』にしろコッポラの映画が2本も入っているというのは、よほど選者は粘着質な性格の人が多いのかなあ・・・・・とにかく2本ともくどい映画だけど・・・・・・・。
ところで私なら、この中から『ウエスト・サイド物語』『第三の男』『勝手にしやがれ』『ブレードランナー』『天井桟敷の人々』『道』『アラビアのロレンス』『エル・スール』を選ぶけども・・・・・。でも映画といっても、人それぞれに好き嫌いはあるし、物の価値観が違うように見解の相違もあるだろうし、年齢によっても見方は違ってくる。それに主観も違うから、100人いれば100通りのベスト10が見られるだろう。だから文化人だろうが批評家だろうが作家だろうが、このような人が決めたベスト10だからといって、絶対的なものでもないし、人それぞれのベスト10は各自で胸にしまっておけばいいと思うのである。だから、こんなものどうでもいいけど・・・・。でも一応、観ておくべき映画ではあるかもしれない。
ところで、日本映画の1位は予想通り小津安二郎の『東京物語』だったそうな。どうもこの静的映画、苦手だなあ。まだ2位の『七人の侍』(黒澤明監督)の方が好きだ。
第1位 ゴッドファーザー
第2位 タクシー・ドライバー ウエスト・サイド物語
第4位 第三の男
第5位 勝手にしやがれ ワイルドバンチ
第7位 2001年宇宙の旅
第8位 ローマの休日 ブレードランナー
第10位 駅馬車 天井桟敷の人々 道 めまい アラビアのロレンス 暗殺者の森
地獄の黙示録 エル・スール グラン・トリノ
ううーん、『ゴッドファーザー』が1位か・・・・・・。まあ、優れた映画とは思うが、どちらかというと暑苦しくて私の嫌いな方の映画に属する。あのマーロン・ブランドのしわがれた声を聞いて、あまりのめり込めなかった。それにニーノ・ロータのベタなテーマ曲を聴いただけで嫌気がさして、この映画の上映当時、途中で映画館を出て行ったことを思い出すし、若い頃は嫌いな映画の筆頭であった。ただ、その後に何度か観て、ただマフィアの抗争だけを描いた映画ではなく、シチリア島から移民した一家の愛と結束、葛藤、悲哀・・・・実に奥深い内容のある映画であるとは思った。でも好きな映画には今でもなれないのである。だから、どちらかというと『タクシー・ドライバー』の方が映画としては好きかな。ジョディ・フォスターが幼い娼婦を演じ、ロバート・デ・ニーロがいい演技をしていたなあ・・・。でも、どちらにしても私が20歳前後に上映された映画で、よく覚えているが、観た当時、それほど衝撃を受けなかったけどなあ・・・・・・。受け取り方は人によって色々あるから、しょうがないが。選者もだいぶ若返ったのかもしれない。
全体的には私の好きな映画がいくつか入っていて、『キネマ旬報』もなかなか鋭い人に投票させたものである。でも『グラン・トリノ』なんて映画観たことがない。どうやら2008年の映画というから、最早、ここにランクインするというのはどのような映画なのか・・・・・・・。監督がクリント・イーストウッドだけに、クズ映画ではなさそうだが、最近の映画は、大概において期待を裏切られるからどうだろう。ただ『ゴッドファーザー』にしろ『地獄の黙示録』にしろコッポラの映画が2本も入っているというのは、よほど選者は粘着質な性格の人が多いのかなあ・・・・・とにかく2本ともくどい映画だけど・・・・・・・。
ところで私なら、この中から『ウエスト・サイド物語』『第三の男』『勝手にしやがれ』『ブレードランナー』『天井桟敷の人々』『道』『アラビアのロレンス』『エル・スール』を選ぶけども・・・・・。でも映画といっても、人それぞれに好き嫌いはあるし、物の価値観が違うように見解の相違もあるだろうし、年齢によっても見方は違ってくる。それに主観も違うから、100人いれば100通りのベスト10が見られるだろう。だから文化人だろうが批評家だろうが作家だろうが、このような人が決めたベスト10だからといって、絶対的なものでもないし、人それぞれのベスト10は各自で胸にしまっておけばいいと思うのである。だから、こんなものどうでもいいけど・・・・。でも一応、観ておくべき映画ではあるかもしれない。
ところで、日本映画の1位は予想通り小津安二郎の『東京物語』だったそうな。どうもこの静的映画、苦手だなあ。まだ2位の『七人の侍』(黒澤明監督)の方が好きだ。
2009.11.18 (Wed)
古い映画『キング・コング』を観る
『キングコング』1933年製作、アメリカ映画
監督 メリアン・C・クーパー
アーネスト・B・シュードサック
出演 フェイ・レイ
ロバート・アームストロング
ブルース・キャボット
フランク・ライチャー
サム・ハーディ
ノーブル・ジョンソン
【あらすじ】世界大恐慌直後のアメリカ。不況下にありながらも野心家の映画監督は、未知なる島の伝説を聞いてから、南海の秘境のその島で映画を撮ることにした。そこで主演女優、脚本家等を連れて髑髏島に到着する。だが、その島には原住民が神と崇める巨大動物キング・コングがいた。キング・コングは主演女優をさらってジャングルの奥深く逃げていってしまった。やがてキング・コングを捕らえた人間達は見世物にすべきと、ニューヨークにつれて帰るが・・・・・・・。
今さら説明の必要もない元祖怪獣映画である。それで製作されたのが1933年というから驚嘆する。まだ無声映画からトーキーになって3年ほどのことである。あたかも世界大恐慌から立ち直れていないアメリカで、このような映画が作られたということに意味合いがありそうだが、映画『キング・コング』は大ヒットした。所謂、ゲテモノ映画なのであるが、この映画のヒットにより製作したRKOは一気に経営が安定したというから判らないものである。しかし、この映画は後の映画人に多大な影響を与えレイ・ハリーハウゼンや日本の円谷英二が特撮に目覚めたという。
この映画は40㎝ほどの人形のキング・コングを1コマずつ撮影するという面倒くささで、日本のゴジラが人間が中に入って撮影したというのとは違っている。そのせいか動きはどこかギクシャクしているが、当時の人にとっては本物のように見えたという。この映画が封切りされ映画館で観た人の何人かは本当にキング・コングがいるのだと思って、制作会社のRKOに確認の電話をかけたという。
キング・コングはニューヨークに連れてこられ、やがて完成して間もないエンパイア・ステート・ビルに上る。この文明社会の象徴のビルと未開の怪物とのアンバランスが面白く、飛行機(複葉機というの興味深い)によって落下するが、当時の世情不安と相成ってどこか虚しい結末であった。でも、この映画を製作総指揮したデビッド・O・セルズニックは『キング・コング』がこれほどヒットすると思っていたのだろうか。作品に口出しすることで有名なセルズニックだが、彼がプロデュースする作品はヒットすることが多かった。そんな敏腕プロデューサーの最初のヒット作が、この『キング・コング』なのである。これで大儲けしたセルズニックはRKOから独立し、セルズニック・インターナショナル・ピクチャーズを設立し、その後、彼がプロデュースした作品から『風と共に去りぬ』『レベッカ』『白昼の決闘』『第三の男』『終着駅』等が生れることになる。
何れにせよこの『キング・コング』がその後、2度に亘ってリメイク版が製作されたということは、この作品が映画史上に残る名作だという言っているようなものだろう。また日本の東宝が1962年に『キング・コング対ゴジラ』を製作したのも、元祖怪獣に敬意を表したものなのかもしれない。もっとも『キング・コング対ゴジラ』を当時、映画館で観た小学生の小生は、キング・コングがアメリカ生まれの怪獣だなんて、その時は微塵も思わなかったが・・・・・・・。
映画『キング・コング』トレイラー
監督 メリアン・C・クーパー
アーネスト・B・シュードサック
出演 フェイ・レイ
ロバート・アームストロング
ブルース・キャボット
フランク・ライチャー
サム・ハーディ
ノーブル・ジョンソン
【あらすじ】世界大恐慌直後のアメリカ。不況下にありながらも野心家の映画監督は、未知なる島の伝説を聞いてから、南海の秘境のその島で映画を撮ることにした。そこで主演女優、脚本家等を連れて髑髏島に到着する。だが、その島には原住民が神と崇める巨大動物キング・コングがいた。キング・コングは主演女優をさらってジャングルの奥深く逃げていってしまった。やがてキング・コングを捕らえた人間達は見世物にすべきと、ニューヨークにつれて帰るが・・・・・・・。
今さら説明の必要もない元祖怪獣映画である。それで製作されたのが1933年というから驚嘆する。まだ無声映画からトーキーになって3年ほどのことである。あたかも世界大恐慌から立ち直れていないアメリカで、このような映画が作られたということに意味合いがありそうだが、映画『キング・コング』は大ヒットした。所謂、ゲテモノ映画なのであるが、この映画のヒットにより製作したRKOは一気に経営が安定したというから判らないものである。しかし、この映画は後の映画人に多大な影響を与えレイ・ハリーハウゼンや日本の円谷英二が特撮に目覚めたという。
この映画は40㎝ほどの人形のキング・コングを1コマずつ撮影するという面倒くささで、日本のゴジラが人間が中に入って撮影したというのとは違っている。そのせいか動きはどこかギクシャクしているが、当時の人にとっては本物のように見えたという。この映画が封切りされ映画館で観た人の何人かは本当にキング・コングがいるのだと思って、制作会社のRKOに確認の電話をかけたという。
キング・コングはニューヨークに連れてこられ、やがて完成して間もないエンパイア・ステート・ビルに上る。この文明社会の象徴のビルと未開の怪物とのアンバランスが面白く、飛行機(複葉機というの興味深い)によって落下するが、当時の世情不安と相成ってどこか虚しい結末であった。でも、この映画を製作総指揮したデビッド・O・セルズニックは『キング・コング』がこれほどヒットすると思っていたのだろうか。作品に口出しすることで有名なセルズニックだが、彼がプロデュースする作品はヒットすることが多かった。そんな敏腕プロデューサーの最初のヒット作が、この『キング・コング』なのである。これで大儲けしたセルズニックはRKOから独立し、セルズニック・インターナショナル・ピクチャーズを設立し、その後、彼がプロデュースした作品から『風と共に去りぬ』『レベッカ』『白昼の決闘』『第三の男』『終着駅』等が生れることになる。
何れにせよこの『キング・コング』がその後、2度に亘ってリメイク版が製作されたということは、この作品が映画史上に残る名作だという言っているようなものだろう。また日本の東宝が1962年に『キング・コング対ゴジラ』を製作したのも、元祖怪獣に敬意を表したものなのかもしれない。もっとも『キング・コング対ゴジラ』を当時、映画館で観た小学生の小生は、キング・コングがアメリカ生まれの怪獣だなんて、その時は微塵も思わなかったが・・・・・・・。
映画『キング・コング』トレイラー
2009.10.21 (Wed)
映画『慕情』を観る
『慕情』1955年製作、アメリカ映画
監督 ヘンリー・キング
出演 ジェニファー・ジョーンズ
ウィリアム・ホールデン
イソベル・エルソム
ジョージャ・カートライト
トリン・サッチャー
マーレイ・マンソン
【あらすじ】第二次世界大戦後の香港が舞台である。1949年、イギリス人と中国人とのい間に生まれた女医ハン・スーインは、夫が先の大戦で戦死し失意の日々を送っていた。ストイックな彼女は医療への献身に全てを捧げていた。そんな頃、アメリカからやって来た新聞記者マーク・エリオットと出会うこととなる。通常の恋愛映画がそうであるように、この2人も当然のように恋におちることとなる。2人は病院の裏のビクトリアパークで逢引を重ねるが、エリオットにはシンガポールに残してきた妻がいた。エリオットの妻は愛し合ってないのにも係わらず離婚を拒んでいて別れようとしない。なのにスー・インは結婚が問題ではなく、愛が全てと言ってエリオットに身を委ねるのである。ところがエリオットは自身が所属する新聞社の命令で朝鮮戦争の取材へ行くことになが・・・・・・・。
この映画を観たのは中学生の頃だった。京都のとある映画館で観た記憶がある。当初、映画の主題歌が有名で、こんな恋愛映画は苦手だなあと思いながら観ていた。でも観ている間にのめり込んでいた気がする。今の超高層ビルが乱立する香港と違って、まだ牧歌的で旅情的で近代化されてない香港の街を舞台に、2人が織り成す恋愛ストーリー。つまり悲恋に終わるベタな映画なのだが、恋愛物が苦手な小生でも一度も船を漕ぐことなく最後まで観ることが出来たのは主役2人の熱演によるところが大きいのだろう。それでいて不自然さはなく、淡々として話は展開して行く。だが、その間の2人における巧みな心理描写と演出の効果はいたるところで発揮されている。
この映画を観て香港に行きたいと思った方も多いだろうが、かつて映画の中で2人が何度となく逢引を重ねたビクトリア・ピークと言われる丘も、今や映画で観た風景と大きく異なってしまっていることに気がついた日本人も多かろうと思う。かくいう小生も、その一人である。朝鮮戦争で命を落とすエリオット、そのエリオットが亡くなったことを知りビクトリア・ピークに行き2人と出会っていた当時を偲びながら涙するスー・イン。少なくとも映画では、そこから見渡せる光景は素晴らしかった。でも今や、見下ろすと聳え立つ摩天楼の壁ばかりにがっかりされた諸氏もいらっしゃるだろう。時代は進みすぎた。既に香港は中国に返還されてから12年が経つ。すっかり街が変わってしまって、『慕情』で見られた街並みは僅かに残すのみである。でも我々が映画で見た香港は紛れもなく同じ香港なのである。今や超近代的な街に変化してしまったが、あのフォー・エイセスが歌った主題歌を聴くと、当時の香港の風景が頭の中に甦ってしまうほど、曲と画面が一致していたという稀有な映画であった。そして今でも~Love is a many splendered thing~と口ずさむことがある。よくあるストーリーでありながら、何故か自分の中で納得してしまう。『慕情』とはそんな映画だったように思う。
『慕情』トレイラー
ザ・フォー・エイセスが歌う『慕情』(音声のみ) ~Love is a many splendored thing
It's the April rose that only grows in the early Spring
Love is nature's way of giving a reason to be living the golden crown that makes a man a king
監督 ヘンリー・キング
出演 ジェニファー・ジョーンズ
ウィリアム・ホールデン
イソベル・エルソム
ジョージャ・カートライト
トリン・サッチャー
マーレイ・マンソン
【あらすじ】第二次世界大戦後の香港が舞台である。1949年、イギリス人と中国人とのい間に生まれた女医ハン・スーインは、夫が先の大戦で戦死し失意の日々を送っていた。ストイックな彼女は医療への献身に全てを捧げていた。そんな頃、アメリカからやって来た新聞記者マーク・エリオットと出会うこととなる。通常の恋愛映画がそうであるように、この2人も当然のように恋におちることとなる。2人は病院の裏のビクトリアパークで逢引を重ねるが、エリオットにはシンガポールに残してきた妻がいた。エリオットの妻は愛し合ってないのにも係わらず離婚を拒んでいて別れようとしない。なのにスー・インは結婚が問題ではなく、愛が全てと言ってエリオットに身を委ねるのである。ところがエリオットは自身が所属する新聞社の命令で朝鮮戦争の取材へ行くことになが・・・・・・・。
この映画を観たのは中学生の頃だった。京都のとある映画館で観た記憶がある。当初、映画の主題歌が有名で、こんな恋愛映画は苦手だなあと思いながら観ていた。でも観ている間にのめり込んでいた気がする。今の超高層ビルが乱立する香港と違って、まだ牧歌的で旅情的で近代化されてない香港の街を舞台に、2人が織り成す恋愛ストーリー。つまり悲恋に終わるベタな映画なのだが、恋愛物が苦手な小生でも一度も船を漕ぐことなく最後まで観ることが出来たのは主役2人の熱演によるところが大きいのだろう。それでいて不自然さはなく、淡々として話は展開して行く。だが、その間の2人における巧みな心理描写と演出の効果はいたるところで発揮されている。
この映画を観て香港に行きたいと思った方も多いだろうが、かつて映画の中で2人が何度となく逢引を重ねたビクトリア・ピークと言われる丘も、今や映画で観た風景と大きく異なってしまっていることに気がついた日本人も多かろうと思う。かくいう小生も、その一人である。朝鮮戦争で命を落とすエリオット、そのエリオットが亡くなったことを知りビクトリア・ピークに行き2人と出会っていた当時を偲びながら涙するスー・イン。少なくとも映画では、そこから見渡せる光景は素晴らしかった。でも今や、見下ろすと聳え立つ摩天楼の壁ばかりにがっかりされた諸氏もいらっしゃるだろう。時代は進みすぎた。既に香港は中国に返還されてから12年が経つ。すっかり街が変わってしまって、『慕情』で見られた街並みは僅かに残すのみである。でも我々が映画で見た香港は紛れもなく同じ香港なのである。今や超近代的な街に変化してしまったが、あのフォー・エイセスが歌った主題歌を聴くと、当時の香港の風景が頭の中に甦ってしまうほど、曲と画面が一致していたという稀有な映画であった。そして今でも~Love is a many splendered thing~と口ずさむことがある。よくあるストーリーでありながら、何故か自分の中で納得してしまう。『慕情』とはそんな映画だったように思う。
『慕情』トレイラー
ザ・フォー・エイセスが歌う『慕情』(音声のみ) ~Love is a many splendored thing
It's the April rose that only grows in the early Spring
Love is nature's way of giving a reason to be living the golden crown that makes a man a king
2009.09.15 (Tue)
ヒッチコックの映画『めまい』を観る
『めまい』1958年製作、アメリカ映画
監督 アルフッレッド・ヒッチコック
出演 ジェームズ・スチュワート
キム・ノヴァク
バーバラ・ベル・ゲデス
トム・ヘルモア
ヘンリー・ジョーンズ
エレン・コービイ
【あらすじ】刑事だったスコティは犯人を追う途中に同僚を死なせてしまったショックで高所恐怖症によるめまいに襲われるようになり、事件で警察を辞めてしまった。そんな彼のもとへ友人から自殺願望のある美しい妻マデリンの監視を頼まれる。だがスコティはマデリンを尾行するうちに彼女の魅力の虜になってしまう。ところが、尾行途中に高所恐怖症のスコティの前でマデリンは突然、飛び降り自殺を図ってしまう。だがマデリンが亡くなったはずなのに、或る日、街角でスコティはマデリンと瓜二つの女性と出会ってしまう。そして、意外な真相が明らかになっていく。
何やら最近、ヒッチコックの数ある作品の中でも屈指の名作であると、急に評価が高まっている映画である。スリラーの達人ヒッチコックには『鳥』のような猟奇的な映画もあれば、格調の高い心理スリラーも多い。そういったところから見ると『めまい』は後者の方に属するのだろうか、前半のラヴ・ラマンス風から後半は一転してのスリルとサスペンス。この辺りの演出の巧みさは流石にヒッチコックと思わせるものがあり、一度は観ておくべき作品であろう。
最もヒッチコック自身は『めまい』を失敗作と語っていて、どうもスコティが依頼を受けて尾行するミステリアスな神経症のブロンド美女マデリンの役をキム・ノヴァクではなく、当初ヴェラ・マイルズで撮るつもりであったという。ところがよりによってヴェラ・マイルズが妊娠してしまって出演不可能になり、キム・ノヴァクの登場となったのである。しかし、彼女は個性が強く必ずしもヒッチコックが思い描いていたマデリンではなく、彼は不満タラタラで演出していたとも言われる。ヒッチコックはどちらかというとキム・ノヴァクのような魅惑的な女性ではなく、清楚でいてあまり目立たないヴェラ・マイルズのような女優を使うほうが、演出効果がより活かせると考えていたかどうか判らないが、ヒロインのキャスティングには何時までも不満を持っていたようである。ただ我々が思うにはヴェラ・マイルズのような女優にしては平凡な外見の女性よりも、キム・ノヴァクが演じた方が映画として納得できたであろうとは思うのだが、作る側と観る側では食い違いはあって当然だろう。
だが、こういったキャスティングの思い込みの違いを含めても、『めまい』は各所で、その後の映画界に影響を与えた映画として評価が高まっている。たとえば床が落ちるように撮ったい所謂「めまいショット」を言われる撮影方法であるが、その後、ありとあらゆる場面で、このショットを引用するようになったと言われ、スピルバーグなどがたいへんな影響を受けたと語っている。事実、彼の作品『E.T』等で踏襲しているし、またブライアン・デ・パルマなども自身の作品で似たような効果を期待して試みている。このようにヒッチコックは色々な方法で、よりよい効果を生み出す演出を巧に使い続け、長い間、スリラーの巨匠として絶えず第一線で活躍し続けた監督である。無声映画時代から、映画監督としてメガホンをとり、その後、イギリスからアメリカへ渡り、1980年に亡くなるまでえハリウッドでサスペンス映画を撮り続けた。スリラーのジャンルを発明し、次々と改良を加えていき皮肉とウィットに富んだ映画界の巨匠であるが、世界の映画界を見渡してみても、後世に影響を与えたといった意味では、最も輝いている監督かもしれない。
『めまい』のトレイラー
監督 アルフッレッド・ヒッチコック
出演 ジェームズ・スチュワート
キム・ノヴァク
バーバラ・ベル・ゲデス
トム・ヘルモア
ヘンリー・ジョーンズ
エレン・コービイ
【あらすじ】刑事だったスコティは犯人を追う途中に同僚を死なせてしまったショックで高所恐怖症によるめまいに襲われるようになり、事件で警察を辞めてしまった。そんな彼のもとへ友人から自殺願望のある美しい妻マデリンの監視を頼まれる。だがスコティはマデリンを尾行するうちに彼女の魅力の虜になってしまう。ところが、尾行途中に高所恐怖症のスコティの前でマデリンは突然、飛び降り自殺を図ってしまう。だがマデリンが亡くなったはずなのに、或る日、街角でスコティはマデリンと瓜二つの女性と出会ってしまう。そして、意外な真相が明らかになっていく。
何やら最近、ヒッチコックの数ある作品の中でも屈指の名作であると、急に評価が高まっている映画である。スリラーの達人ヒッチコックには『鳥』のような猟奇的な映画もあれば、格調の高い心理スリラーも多い。そういったところから見ると『めまい』は後者の方に属するのだろうか、前半のラヴ・ラマンス風から後半は一転してのスリルとサスペンス。この辺りの演出の巧みさは流石にヒッチコックと思わせるものがあり、一度は観ておくべき作品であろう。
最もヒッチコック自身は『めまい』を失敗作と語っていて、どうもスコティが依頼を受けて尾行するミステリアスな神経症のブロンド美女マデリンの役をキム・ノヴァクではなく、当初ヴェラ・マイルズで撮るつもりであったという。ところがよりによってヴェラ・マイルズが妊娠してしまって出演不可能になり、キム・ノヴァクの登場となったのである。しかし、彼女は個性が強く必ずしもヒッチコックが思い描いていたマデリンではなく、彼は不満タラタラで演出していたとも言われる。ヒッチコックはどちらかというとキム・ノヴァクのような魅惑的な女性ではなく、清楚でいてあまり目立たないヴェラ・マイルズのような女優を使うほうが、演出効果がより活かせると考えていたかどうか判らないが、ヒロインのキャスティングには何時までも不満を持っていたようである。ただ我々が思うにはヴェラ・マイルズのような女優にしては平凡な外見の女性よりも、キム・ノヴァクが演じた方が映画として納得できたであろうとは思うのだが、作る側と観る側では食い違いはあって当然だろう。
だが、こういったキャスティングの思い込みの違いを含めても、『めまい』は各所で、その後の映画界に影響を与えた映画として評価が高まっている。たとえば床が落ちるように撮ったい所謂「めまいショット」を言われる撮影方法であるが、その後、ありとあらゆる場面で、このショットを引用するようになったと言われ、スピルバーグなどがたいへんな影響を受けたと語っている。事実、彼の作品『E.T』等で踏襲しているし、またブライアン・デ・パルマなども自身の作品で似たような効果を期待して試みている。このようにヒッチコックは色々な方法で、よりよい効果を生み出す演出を巧に使い続け、長い間、スリラーの巨匠として絶えず第一線で活躍し続けた監督である。無声映画時代から、映画監督としてメガホンをとり、その後、イギリスからアメリカへ渡り、1980年に亡くなるまでえハリウッドでサスペンス映画を撮り続けた。スリラーのジャンルを発明し、次々と改良を加えていき皮肉とウィットに富んだ映画界の巨匠であるが、世界の映画界を見渡してみても、後世に影響を与えたといった意味では、最も輝いている監督かもしれない。
『めまい』のトレイラー
2009.07.08 (Wed)
古い映画を観る・・・・・『大いなる幻影』
『大いなる幻影』1937年製作、フランス映画
監督 ジャン・ルノワール
出演 ジャン・ギャバン
ピエール・フレネー
エリッヒ・フォン・シュトロハイム
ディタ・パルロ
ジュリアン・カレット
マルセル・ダリオ
【あらすじ】第一次世界大戦の最中、敵であるドイツ軍を偵察する任務でマレシャル中尉とポアルデュー大尉の2人は飛行機で飛び立つがドイツ軍の飛行機に撃墜され2人は捕虜となる。捕虜になった2人は貴族階級出身のドイツ飛行隊長ラウフェンシュタインに食事に招待される。彼は同じく貴族出身のポワルデューに親近感を抱く。2人は収容所に入れられ、そこで先に捕虜になっていたローゼンタール中尉から脱走の計画を聞く。でも脱走決行の直前、捕虜達は別の収容所に移送されてしまう。その後も収容所が変わっても脱走計画が失敗し、何時しかスイス国境に近い収容所に送られる。さが、そこの収容所の所長はラウフェンシュタインだった。ポワルデューは再会を喜び、マレシャルは、ここでも脱走の計画を進めていた・・・・・・。
この作品は反戦的であり反国家的であるとして、当時の日本では当然のように公開されなかったし、監督のルノワールはナチス占領軍によりブラックリストに載せられ、フランスからアメリカへ暫くの間は亡命していた。ジャン・ルノワールとは名前で判るとおり画家オーギュスト・ルノワールの次男である。彼は父の描いた絵を売却した資金で映画を撮ったと伝えられているが、興行的には失敗した作品が多く、この名作と言われる『大いなる幻影』で名は知れ渡っているものの、昔は日本でもジュリアン・デュヴィヴィエの作品と比較して人気がなく現在ほど評価されてなかったようだ。
この映画は一見、収容所に入れられた捕虜達が脱走を企てる話といってしまえば簡単なことなのだが、そこはヒューマニズム精神旺盛なルノアールのこと一介の監督ではない。捕虜となったフランス兵、マレシャルは機械工の出、一方ポアルデューは貴族の出である。最終的にはスイスとの国境を突破して脱走は成功ということになるのだが、この作品に見え隠れする身分の違い、国籍の違いを取っ払って、みんな1人の人間であるということを細々と訴えている。特に貴族の出であるポアルデューは、仲間の捕虜達との脱走計画にも本気になれないし、フランス軍善戦の報道にもあまり喜ぼうとはしない。それでいて戦争が終焉することも脱走の成功をも希望していないかのように見える。そんな中、ラウフェンシュタインとの会話で彼等が言った台詞がある。・・・・・この戦争を最後に、我々貴族の時代も終わるだろう・・・・・・つまりポアルデューにとってもラウフェンシュタインにとっても、戦争が行なわれている間だけが貴族でいられるのであった。従って彼等にとっては終戦も、脱走もどうだってよかったのだ。
終戦が見えてくるにあたって彼等のような貴族出身者は、その後の生き方を選択しなければならなかった。20世紀に入り続々と貴族が崩壊していく、身分制度がなくなっていく、世は帝政主義から新しい世の中に変わりつつあった。そんな中でルノワールは、この映画を通して、全て同じ人間であり、国境を越えても、身分は違っても友情は分かち合える、また理解しえるといった人間ドラマを、この映画に投影していたのであろう。でもどちらかというとルノアールらしくないといえば言いすぎだろうか。ルノワールにしてはやや大人しい映画であり、ベタなヒューマンドラマに徹しすぎとは思うが・・・・・。それにしてもラウフェンシュタインを演じたエリッヒ・フォン・シュトロハイムの存在感が大きくて、ジャン・ギャバンでさえも食われている。
映画の冒頭10分
監督 ジャン・ルノワール
出演 ジャン・ギャバン
ピエール・フレネー
エリッヒ・フォン・シュトロハイム
ディタ・パルロ
ジュリアン・カレット
マルセル・ダリオ
【あらすじ】第一次世界大戦の最中、敵であるドイツ軍を偵察する任務でマレシャル中尉とポアルデュー大尉の2人は飛行機で飛び立つがドイツ軍の飛行機に撃墜され2人は捕虜となる。捕虜になった2人は貴族階級出身のドイツ飛行隊長ラウフェンシュタインに食事に招待される。彼は同じく貴族出身のポワルデューに親近感を抱く。2人は収容所に入れられ、そこで先に捕虜になっていたローゼンタール中尉から脱走の計画を聞く。でも脱走決行の直前、捕虜達は別の収容所に移送されてしまう。その後も収容所が変わっても脱走計画が失敗し、何時しかスイス国境に近い収容所に送られる。さが、そこの収容所の所長はラウフェンシュタインだった。ポワルデューは再会を喜び、マレシャルは、ここでも脱走の計画を進めていた・・・・・・。
この作品は反戦的であり反国家的であるとして、当時の日本では当然のように公開されなかったし、監督のルノワールはナチス占領軍によりブラックリストに載せられ、フランスからアメリカへ暫くの間は亡命していた。ジャン・ルノワールとは名前で判るとおり画家オーギュスト・ルノワールの次男である。彼は父の描いた絵を売却した資金で映画を撮ったと伝えられているが、興行的には失敗した作品が多く、この名作と言われる『大いなる幻影』で名は知れ渡っているものの、昔は日本でもジュリアン・デュヴィヴィエの作品と比較して人気がなく現在ほど評価されてなかったようだ。
この映画は一見、収容所に入れられた捕虜達が脱走を企てる話といってしまえば簡単なことなのだが、そこはヒューマニズム精神旺盛なルノアールのこと一介の監督ではない。捕虜となったフランス兵、マレシャルは機械工の出、一方ポアルデューは貴族の出である。最終的にはスイスとの国境を突破して脱走は成功ということになるのだが、この作品に見え隠れする身分の違い、国籍の違いを取っ払って、みんな1人の人間であるということを細々と訴えている。特に貴族の出であるポアルデューは、仲間の捕虜達との脱走計画にも本気になれないし、フランス軍善戦の報道にもあまり喜ぼうとはしない。それでいて戦争が終焉することも脱走の成功をも希望していないかのように見える。そんな中、ラウフェンシュタインとの会話で彼等が言った台詞がある。・・・・・この戦争を最後に、我々貴族の時代も終わるだろう・・・・・・つまりポアルデューにとってもラウフェンシュタインにとっても、戦争が行なわれている間だけが貴族でいられるのであった。従って彼等にとっては終戦も、脱走もどうだってよかったのだ。
終戦が見えてくるにあたって彼等のような貴族出身者は、その後の生き方を選択しなければならなかった。20世紀に入り続々と貴族が崩壊していく、身分制度がなくなっていく、世は帝政主義から新しい世の中に変わりつつあった。そんな中でルノワールは、この映画を通して、全て同じ人間であり、国境を越えても、身分は違っても友情は分かち合える、また理解しえるといった人間ドラマを、この映画に投影していたのであろう。でもどちらかというとルノアールらしくないといえば言いすぎだろうか。ルノワールにしてはやや大人しい映画であり、ベタなヒューマンドラマに徹しすぎとは思うが・・・・・。それにしてもラウフェンシュタインを演じたエリッヒ・フォン・シュトロハイムの存在感が大きくて、ジャン・ギャバンでさえも食われている。
映画の冒頭10分
2009.06.23 (Tue)
映画『ペーパー・ムーン』を観る
『ペーパー・ムーン』1973年製作、アメリカ映画
監督 ピーター・ボクダノヴィッチ
出演 ライアン・オニール
テイタム・オニール
マデリーン・カーン
ジョン・ヒラーマン
P・J・ジョンソン
ジェシー・リー・フルトン
【あらすじ】舞台は1930年代のアメリカ中西部。母を亡くして一人ぼっちになってしまった少女アディ。母の葬式で、アディは、かつて母の恋人だったモーゼという男と出会う。そしてモーゼは、アディを親戚の家まで送り届けることになってしまう。こうしてモーゼという男とアディという少女が旅をすることになるが、モーゼは聖書を売りつけて小金を稼ぐ詐欺師であった。でもアディは子供だが頭の回転が早く、モーゼが詐欺師であることをすぐに見抜いてしまう。でも、アディはモーゼに父親に似た愛情を感じ始め、モーゼも本物の親子のような感情を持つようになる。奇妙な2人が旅を続ける間に結束が強くなっていく。
この映画は上映される前から、あることで話題になっていた。それは、この年のアカデミー助演女優賞を史上最年少の9歳で獲得したテイタム・オニールの演技が評判になっていたからである。またモーゼを演じたライアン・オニールと共に親子共演という興味もあった。
若い頃だったが、映画を最初に観たときの感想は、ほのぼのとしたロードムービーという印象だった。でも、何が面白かったかというと、アディとモーゼの会話のやり取りが軽妙だったことと、親子のように似ている2人(実の親子なので当然だが)が他人を演じるという奇妙なキャスティングが巧であった。また監督のピーター・ボクダノヴィッチがカラーではなく、わざとモノクロで撮ったというが、これは時代設定が大恐慌の時代ということで、カラーで撮るとオニール親子が青い目をしていることが判り、時代にそぐわないという理由からモノクロになったらしい。けどもモノクロの方がカラーよりも至って真実味があるように思われるから、結果としては成功したのかもしれない。
本来は『アディ・プレイ』という小説が原作になるが、この『アディ・プレイ』ではなく、映画の『ペーパー・ムーン』という題名も妙である。結局、映画の主題歌として使われた『It’s Only a Paper Moon』から映画のタイトルを採られたが、この曲の歌詞にもあるように・・・・・信じあえば 愛しあえば 助けあえば 紙のお月様だって 本物に見えるでしょう・・・・・・といった、奇妙な2人が旅をする間に芽生える愛情というものを、この古い1930年代のジャズ・ナンバーとが上手くマッチして、小粋な出来に仕上がっている秀作である。ただ残念なことに、映画初出演でいきなりアカデミー助演女優賞をいただいたテイタム・オニールは、その後、『がんばれ!ベアーズ』『リトル・ダーリング』等に出演するも、芳しくなく以降、低迷する。その間、テニス・プレイヤーのジョン・マッケンローと結婚するも離婚。最近はテレビ・シリーズで細々と演技をしているらしいが、女優としてはいきなり滑り台の上に上がり、後は滑っていくだけという停滞振りでがっかりさせられる。とうとう昨年は、コカインを購入した疑いで逮捕されてしまった。やはり女優というのは大器晩成型の方が息が長いということなのか・・・・・。テイタム・オニールはあまりにも若くしてオスカー女優になったがため天才子役として騒がれ、その後の女優としての生き方は辛かったのかもしれない。
最後になるが、この映画が上映されてからというもの、日本国内のジャズメンが、矢鱈と『It’s Only a Paper Moon』を演奏するようになったという記憶がある。この曲は『ザ・グレート・マグー』(1932年)という演劇作品のために書かれた曲で、作詞がビリー・ローズ、E・Y・ハーバーグ、作曲ハロルド・アーレンである。でもその頃は、あまり注目されず、翌年にミュージカル映画『テイク・ア・チャンス』で使われて広く知られるようになった。
Said it is only a paper moon
Sailing over a cardboard sea,
But it wouldn't be make believe
If you believe in me.
映画の冒頭
監督 ピーター・ボクダノヴィッチ
出演 ライアン・オニール
テイタム・オニール
マデリーン・カーン
ジョン・ヒラーマン
P・J・ジョンソン
ジェシー・リー・フルトン
【あらすじ】舞台は1930年代のアメリカ中西部。母を亡くして一人ぼっちになってしまった少女アディ。母の葬式で、アディは、かつて母の恋人だったモーゼという男と出会う。そしてモーゼは、アディを親戚の家まで送り届けることになってしまう。こうしてモーゼという男とアディという少女が旅をすることになるが、モーゼは聖書を売りつけて小金を稼ぐ詐欺師であった。でもアディは子供だが頭の回転が早く、モーゼが詐欺師であることをすぐに見抜いてしまう。でも、アディはモーゼに父親に似た愛情を感じ始め、モーゼも本物の親子のような感情を持つようになる。奇妙な2人が旅を続ける間に結束が強くなっていく。
この映画は上映される前から、あることで話題になっていた。それは、この年のアカデミー助演女優賞を史上最年少の9歳で獲得したテイタム・オニールの演技が評判になっていたからである。またモーゼを演じたライアン・オニールと共に親子共演という興味もあった。
若い頃だったが、映画を最初に観たときの感想は、ほのぼのとしたロードムービーという印象だった。でも、何が面白かったかというと、アディとモーゼの会話のやり取りが軽妙だったことと、親子のように似ている2人(実の親子なので当然だが)が他人を演じるという奇妙なキャスティングが巧であった。また監督のピーター・ボクダノヴィッチがカラーではなく、わざとモノクロで撮ったというが、これは時代設定が大恐慌の時代ということで、カラーで撮るとオニール親子が青い目をしていることが判り、時代にそぐわないという理由からモノクロになったらしい。けどもモノクロの方がカラーよりも至って真実味があるように思われるから、結果としては成功したのかもしれない。
本来は『アディ・プレイ』という小説が原作になるが、この『アディ・プレイ』ではなく、映画の『ペーパー・ムーン』という題名も妙である。結局、映画の主題歌として使われた『It’s Only a Paper Moon』から映画のタイトルを採られたが、この曲の歌詞にもあるように・・・・・信じあえば 愛しあえば 助けあえば 紙のお月様だって 本物に見えるでしょう・・・・・・といった、奇妙な2人が旅をする間に芽生える愛情というものを、この古い1930年代のジャズ・ナンバーとが上手くマッチして、小粋な出来に仕上がっている秀作である。ただ残念なことに、映画初出演でいきなりアカデミー助演女優賞をいただいたテイタム・オニールは、その後、『がんばれ!ベアーズ』『リトル・ダーリング』等に出演するも、芳しくなく以降、低迷する。その間、テニス・プレイヤーのジョン・マッケンローと結婚するも離婚。最近はテレビ・シリーズで細々と演技をしているらしいが、女優としてはいきなり滑り台の上に上がり、後は滑っていくだけという停滞振りでがっかりさせられる。とうとう昨年は、コカインを購入した疑いで逮捕されてしまった。やはり女優というのは大器晩成型の方が息が長いということなのか・・・・・。テイタム・オニールはあまりにも若くしてオスカー女優になったがため天才子役として騒がれ、その後の女優としての生き方は辛かったのかもしれない。
最後になるが、この映画が上映されてからというもの、日本国内のジャズメンが、矢鱈と『It’s Only a Paper Moon』を演奏するようになったという記憶がある。この曲は『ザ・グレート・マグー』(1932年)という演劇作品のために書かれた曲で、作詞がビリー・ローズ、E・Y・ハーバーグ、作曲ハロルド・アーレンである。でもその頃は、あまり注目されず、翌年にミュージカル映画『テイク・ア・チャンス』で使われて広く知られるようになった。
Said it is only a paper moon
Sailing over a cardboard sea,
But it wouldn't be make believe
If you believe in me.
映画の冒頭