2014.04.26 (Sat)
夢みるフランス絵画展に行く
兵庫県立美術館で開催している『夢みるフランス絵画』展とやらに行ってきた。副題が印象派からエコール・ド・パリへということでどうやら19世紀から20世紀にかけてのフランスにゆかりのある画家の展覧会と言うことになるのかな。チラシには~ある収集家によるフランス近代絵画のコレクションから名品71点をご紹介します。と書いてあった。ところである収集家って誰なのだ?
まあ誰かなのだろう。そんなことはいいとして、印象派からエコール・ド・パリまでの画家による展覧会で、16人の画家71点を展示していた。その16人とはポール・セザンヌ、アルフレッド・シスレー、クロード・モネ、オーギュスト・ルノワール、ピエール・ボナール、アルベール・マルケ、ジョルジュ・ルオー、モーリス・ド・ブラマンク、ラウル・デュフィ、アンドレ・ドラン、モーリス・ユトリロ、マリー・ローランサン、アメデオ・モディリアーニ、藤田嗣治、マルク・シャガール、キスリング以上である。何れも名前の知れ渡った画家たちであるが、この収集家はフランスの近代の画家が好きなのだろう。しかしコレクションに一貫性はない。人物画もあれば風景画もあるし静物画もある。この中には日本人の藤田嗣治まで入っている。またどういう基準でこの71点を展示したのかな・・・・・。しかしこの印象派から20世紀中頃までにおいて絵画の世界は大きく変わっていったというのが判る。だんだんとリアリズムと言うものから抽象的、ポップアート的に絵画は変遷していったようだ。でもこの手の展覧会となると目玉がなく来館者もまばら、皮肉にもおかげでゆっくりと鑑賞することが出来た。これがゴッホやフェメールとかの話題の展覧会となると長蛇の列になるのだが・・・・。
この中で意外といいなあと思ったのがブラマンクとユトリロである。ユトリロなんて日本人の日曜画家が好むが、此処に展示されていた風景画11点の中の何点かはユトリロの色彩の艶やかさを垣間見た。普段から見慣れているユトリロの風景画とは異なって細密な部分まで描かれている。こんな絵も描いているのだと意外性に驚いた。このような大々的に宣伝されない展覧会も行かないと色々な作品が観られないという典型かもしれない。フランスの絵画なんて世界中に売られ、それこそ散らばっているだろう。1人1人の画家にとっても一堂に介すなんてことは最早、不可能に近い。ルノアールやモネなんて一体、どれだけの絵が描かれたことやら。当然、傑作もあれば凡作もある。でもそれらが全て本人が描いたと言うだけで価値もあり、人から人へと渡っていき人の記憶から次第と忘れ去られ、そして時を経てから意外な絵を発見することとなる。それで小生は出来る限り時間が許されれば美術館に通い、自分のお気に入りの絵を見つけることを目的として訪れているのである。でも正直な話、段々と絵に対しても感動が薄れていくのが判る。十代の頃は、絵画展へ行っても胸がワクワクしたものだが、歳をとり色々と体験してみると同じ絵を観ても昔ほどの感動はない。それでも何故に美術館に通うのかといえば、隠れた傑作を求めているということになるのかな・・・・・。だが最近はそれもないのだが・・・・。
2014.01.18 (Sat)
ターナー展に行く
神戸市立博物館で開催中のターナー展に行ってきた。意外にもすいていてゆっくりと鑑賞できたかな。ターナーと言うとイギリスを代表する風景画家であるが、その名を聞くとすぐに小学生の頃の思い出が浮かび上がる。小学生の高学年だった時、家に何故か水彩画の画集があった。それがターナーの水彩画だったのだ。この画集はその後に芸大へ進学した姉が買ってきた物で、それを盛んに眺めていたものである。それで子供心にも水彩画でこんなに精密な物が描けるのだなと羨望の目で見ていたものである。それ以来、ターナーの絵が絶えず頭の中にあったのか、それ以来、図画の時間で絵を描くときは何時もターナーの絵のような風景画を描こうと心掛けていた想い出がある。でもその技法も判らない。水彩画と言うのは小学校の時なら誰でも描くが、とてもじゃないが水を使うので滲んでしまい、多めに水を使うと紙がフニャフニャになり、また上から別の色を使うと色が混ざってしまい思うような色が出ず、結局は思うような絵が描けず悪戦苦闘した印象しかない。なのでターナーの水彩画を見てこの描き方を少しでも見てみたいと当時、切実に感じていたのでもある。それだけターナーと言うのは水彩画家での画家という印象が強かった。ところが一般的には油彩画で知られている。風景画家である事に変わりはないが、小さな小品ばかりの水彩画と違い、油彩画になると巨大化して、より絵に迫力が増していく。描くテーマも海洋物が多く、嵐の風景や、難破船、そしてイタリアの風景。ローマやナポリ、ベニス等、そして晩年の蒸気機関車を描いた抽象的な作品。これ等の作品は肌理細やかであり勇壮であるが、時代により画風が微妙に変化していくの読み取れる。これはターナー自身に何らかの変化があったのかどうか判らないが、この画風の変遷は大いに興味が湧く。ちょうどクロード・モネの画風が変化して行ったのと同様な変化の仕方だなと個人的に感じたのだが、時代的にはターナーの方が60年以上古いのだな。
ターナーことジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーは1775年4月、ロンドンの中心部に近いロイヤル・オペラ・ハウスで有名なコヴェント・ガーデで生まれた。父は理髪店を営んでいたが母は精神疾患があったという。そういった事情もあり母親からの影響をほとんど受けず学校もほぼ行ってなかったという。それでいて絵を描くのが好きで、その頃から大人が感嘆するほどの絵を描いていて、父は理髪店の窓に息子の絵を飾っていたという。13歳になってトーマス・マートン(風景画家)に弟子入りして本格的に絵画をを学ぶ。そして1年後にはロイヤル・アカデミー美術学校に入学。作品を発表するや評判が広まり、1799年、24歳でロイヤル・アカデミー準会員、27歳で正会員となる。画家になった初期は水彩画ばかりを描いていて、1790年代半ばから油彩画を描くようになったのである。
それで今回展示されていた作品は油彩画が約30点で他はスケッチと水彩画で110点。数としてはそれほど大規模ではないが、『レグルス』『スピットヘッド・ポーツマス港に入る拿捕された二隻のデンマーク船』『チャイルド・ハロルドの巡礼』『ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ』『ヴェネツィア、嘆きの橋』といった見応えのある大作も何点か展示されていた。ただ晩年の作品である『雨、蒸気、スピードグレート・ウェスタン鉄道』は今回は来てなかったな。残念。まあ今回、展示されていた作品はテード・ギャラリー所蔵の物だからしょうがないが、まあターナーの作品は油彩画が有名なのであるが、私にとっては子供のころに触れた水彩画の多くにより感銘を受けたのである。流石にイギリス最高の巨匠と言われる画家であり、歴史画ではなく本格的な風景画を描き、風景画の地位を高めた最初の人といってもいいターナーである。フランスの多くのバルビゾン派、印象派を始めとした風景画家が出てくるのはターナーよりも半世紀後のこと。ターナーは時代の寵児であり先を行ってたのかもしれない。
2013.12.06 (Fri)
プーシキン美術館展に行く
フランス絵画300年と題しられたプーシキン美術館展に先日、行ってきた。会場は神戸市立博物館。所謂、神戸の中心部。外国人の旧居留地の中にある博物館だが、ほとんど絵画展を中心に催しているところである。それというのも神戸は意外にも美術館や博物館が少ないから博物館で美術展を頻繁に開催するのだろうが、それにしても朝の早い時間に行ったのに長蛇の列。これは驚いた。やはり三宮から近いという利便性もあるだろうが、フランス絵画の美術展と言うのが大きいということだろう。ところでプーシキン美術館って何だと言うことなのだが、名前で理解出来ると思うがロシアにある美術館である。モスクワにあり開設は1912年と言うから100年の歴史のある美術館である。当初はロマノフ王朝の皇帝であるアレクサンドル3世芸術博物館という名称だったそうな。それがロシア革命後にモスクワ美術館となり、さらにロシアの詩人アレクサンドル・プーシキン没後100年を記念して1937年に国立A.S.プーシキン造形美術館という現在の名称になったという。また驚くことに数あるヨーロッパの美術館の中でも最大級の美術館と言うではないか。収蔵品の数でも同じロシア内のサンクトペテルベルグにあるエルミタージュ美術館に次ぐ数だという。そういえば昔、エルミタージュ美術館展に行った時も大勢の人で溢れていたが、ロシアの美術館展が催されると多数の人がつめかける何故だろう。偶然なのか、それとも日が悪かったのか・・・・・。
取り敢えず中に入るが人垣が二重、三重になっている。やれやれ、疲れるなあ。美術館において人が多いのだけは何時もウンザリする。少ない時を狙っていったのに誰しも考えることは同じか。開館の前から並んでいる人がいるぐらいだからどうしようもないな。さて今回の催しはフランス絵画の300年と言うことだから特に人気がある。今時、おフランス帰りと言っても珍しくはないが、それこそ40年ぐらい前はそれを気取る輩が多くて対応に困ったものだった。それだけ日本人はフランスが好きなようでといっても拙者が好きなのは、フランス文化(映画、絵画、文学、音楽)だけでフランス料理よりも和食の方が好きだし、ルイ・ヴィトンもエルメスもシャネルも興味がないし、自由、平等、博愛(フランス国旗のトリコロールはそれを表現している)といいながら自尊心だけが強く博愛精神に欠けているフランス人(パリに行ったことのある人なら一度は感じるだろう)はあまり好きになれない。まあ、それは人それぞれの考えがあるから、これ以上は言うまいが・・・・。
今回の展覧会は17世~18世紀の古典主義、ロココから、19世紀前半の新古典主義、ロマン主義、自然主義、19世紀後半の印象主義、ポスト印象主義、20世紀のフォーヴィズム、キューヴィズム、エコール・ド・パリに至るまでのフランス絵画を網羅した美術展であると言ってもプーシキン美術館が所蔵している美術品の中からの展示なので、当然、ルーブルやオランジェリー、オルセー、マルモッタンといった美術の殿堂が数多くあるパリには劣るのだが、ロシアの一つの美術館でこれだけの物を揃えているというのも驚くしかない。でもプーシキン美術館はロマノフ朝の歴代の皇帝等がコレクターの中心だった訳で、その内容も豊富である。最初はニコラ・プッサン、クロード・ロラン、ジャン=パティスト・シャルパンティエ、フランソワ・ブーシェ、ジャック=ルイ・ダヴィッド・・・・美術史に名を残す多くの画家の油彩画がそれこそ時代順に展示してあるが、ほとんどが写実絵画でこれと言って特徴はない。それが19世紀になって次第と絵画も変遷していく。ドラクロワ、アングルといったフランス絵画の巨匠がいて、その後にコローやミレーといったバルビゾン派の絵画があって、印象派と言われる大勢の画家が登場した。ドガ、マネ、モネ、ルノワール、ゴッホ、そしてゴーギャン、セザンヌ。そして20世紀、マティス、ピカソ、ルソー、ローランサン、キスリング、ローランサン、シャガール・・・・・・つまりフランス人かフランス人ではないが、パリやフランス国内を拠点にしていた画家ばかりだ。それだけフランスと言うのは今も昔も芸術が煌びやかでパリは芸術の都、花の都と言われただけはある。過去にこれだけの芸術家が集まってそれこそ街の至る所に屯していたことが窺える。もしタイムマシンがあるとするならば19世紀中頃のパリに行ってみたいと思うのは小生だけではないだろう。それほど19世紀のフランス絵画と言うのは凄まじいものがるほど円熟期だったのである。こうして絵を堪能したのはいいが、もっと人が少ない時に来ないとゆっくり観れたものではない。来月、この同じ所でターナー展が開催されるが、またまた同様に人が多いのだろうなあ。
会場を出てみるとすぐ横の通りでは神戸の年末恒例のイベントであるルミナリエの準備が既に整っていた。昼間に見るとなんだか板に電球を無数に貼り付けているだけで知らないと通り過ぎてしまいそうだが、点灯されあたりが暗くなると見事なイルミネーションとなって浮かび上がるから不思議なものだな。一度、来てみてもいいがあの人ゴミだけは勘弁だ。だから行かないのだが・・・・・・。
2013.08.25 (Sun)
『奇跡のクラーク展』に行く
退院してからというもの毎日、毎日、暑くて暑くてしょうがない。病院の中に居た時は冷房が効いていたので何も感じなかった。むしろ寒すぎたぐらいだが、退院するや否や暑さに耐える毎日である。今年は例年にも増して猛暑日が多くもうバテバテである。それで暑い間は病気が病気だったので休ませてもらっているのだが家に居ても暑いだけ。それで外に出ていきたいのだが炎天下は恐ろしいほど暑い。とにかく日中は散歩をするわけにもいかず夕方の6時に近所を30分ほど歩くのだが、それでも汗をびっしょりかく。そういった訳で療養中は家で燻っていたのだが、毎日、冷房ばかり入れていたので今月の電気代が恐ろしいことになりそうだ。かといってこの暑さでエアコンを入れないわけにもいかない。、ただでさえ暑くて熱中症になり病院に運ばれている人が多いのに、病み上がりの身としては気をつけなければならない。それに医者から水分を十分摂るように言われていて、大量の汗をかいたらかいたでそれを補わないといけない。そのような状況なので今夏は例年の夏以上に麦茶や水を飲んでいる。
そんな残暑厳しい中、久しぶりに美術館に行ってきた。今回行ったのは『ルノワールとフランス絵画の傑作 奇跡のクラーク展』という催し。ところでクラーク展て何だということになるが、これは美術館の名前である。小生も知らなかった。アメリカのマサチューセッツ州西部にある私立の美術館らしい。1955年に建てられた比較的新しい美術館で、スターリング・クラークとフランシーヌ・クラーク夫妻の美術コレクションが収蔵されている美術館ということになる。このスターリング・クラークという人は祖父がかのシンガー・ミシンの共同創業者だった関係から遺産を引き継ぎ若い頃から美術品を収集していた。アメリカにはポール・メロンといい、こういった美術収集を行う財産家が多く羨ましくもあるが、それを個人の所有物としてではなく一般に公開するために美術館を建てるのも社会への還元だとしている人も多い。クラーク美術館もその中の一つだろう。それで収集品はフランスの印象派の作品が多く、今回、ルノワールとフランス絵画の傑作と題した展覧会が神戸に巡回してきたので行ってきた。
しかし猛烈に暑いな。阪神電車の岩屋という地下路線の入り口にある小さな駅を降り、海岸へ向かって10分ほどのところにある兵庫県立美術館。過去に何度も来ているが、夏の8月に来ることはほとんどない。8月の盆明けの平日だから空いていると思ってきたのだが、
予想外に人が多かった。それも女性が圧倒的に多い。若い人からおばさんまで。ルノワールとフランス絵画というと人気があるのだな。ルノワールなんて今まで何度、日本で展覧会が行われてきたのか。もう新しい発見何てあるのかなと訝りながらも来てしまう。でも今回はルノワール以外の絵画に興味があったのだが・・・・・。
展示作品のメインはオーギュスト・ルノワールの22作品であることに変わりはないが、それ以外だとカミーユ・コローが5、ジャン=フランソワ・ミレーが2、クロード・モネ6、アルフレッド・シスレー4、カミーユ・ピサロ7、エドガー・ドガ4、ジャン=レオン・ジェローム3、アルフレッド・ステヴァンス2、ジャヴァンニ・ボルディーニ2、トゥールーズ・ロートレック2、コンスタン・トロワイヨン、1、テオドール・ルソー1、ヨハーン・バルトルト・ヨンキント1、ウジェーヌ・ブーダンン1、オノレ・ドーミエ1、メアリー・カサット1、エドゥアール・マネ1、アンリ・ファンタン=ラトゥール1、カロリュス=ヂュラン1、ウィリアム=アドルフ・ブグロー1、ジェームズ・ティソ1、ベルト・モリゾ1、ピエール・ボナール1と全73点、それも全て油彩という展覧会。規模としてもそれほど大きな絵画展でもないし、19世紀中心のフランス絵画というと普通はデッサンやパステル画等も無数に展示されるものだが、クラーク美術館の所蔵というのは油彩画ほとんどなのかな。
それでも人は入るものだ。8月の猛烈に暑い平日の午前中に、これだけの人がつめかけるというのはルノワールを含めたフランス絵画が日本では特に人気がある証拠だろう。ところで感想はというと、もう観飽きている絵画の類が並んでいるという印象しか残らなかったが、それでも観に来てしまうという自分のお粗末さに呆れかえってしまう。でもこれが個人で集めた収集品だということを考えれば羨ましくもある。こういった作品のたとえ一つでもマイホームの壁に飾っていたら、映えるだろうなと思いをはせるものの、狭い我が家には油彩画を飾るスペースもない。従って豪邸しかこういった油彩等は飾れないかな。もっとも我が家では掛け軸さえも飾る場所もない。階段にも所狭しと本を並べているぐらいだからな。
2013.05.18 (Sat)
リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝展に行く
ただ今、京都市美術館で開催中の『リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝』と題された展覧会に行ってきた。と言いたいが、同じ美術館内で同時開催中の『ゴッホ展 空白のパリを追う』の方は人が数珠つなぎだったので、こちらの方の展覧会に入っただけである。つまり予想されたことだが、ゴッホの方は人が入るだろうからと最初からあまり乗り気ではなかった。でも日本未公開の作品が何点かあると言うので、早目に家を出て美術館に到着したのだが、予想以上にゴッホ展の方は人気があったようだ。既に開館の前から列をなしていたようである。まあ日本人はゴッホが好きだからしょうがないが、もし人が余り並んでいなかったらゴッホ展に行くつもりであった。しかし考えは甘かった。やはり土曜日だ。人出が凄い。ゴッホの展覧会なんて平日の早朝に行かないとまず空いてない。判り切ったことだが、絵の回りに何重もの人垣が出来て、その外から絵を観るなんてことだけは避けたいから諦めた。それでリヒテンシュタイン展の方に行った訳なんであるが・・・・・・。
何でゴッホと言うのは何時ものことながらこれほど人気があるのかな。勝手に小生が分析したのだが、おそらく我々の身近にいる画家だから人気があるのだと思う。絵そのものはけして天才、達人、名人の域ではないし、レンブラントやダ・ヴィンチ、フェルメールのように到底、素人に真似が出来ないという絵でもない。つまり絵心のある人なら描ける絵だから人気があるのだろう。日曜画家と言われるアマチュア画家の手本になるといってもいいぐらいの絵であるし、それでいて個性がある。でもゴッホが何故に人気があるかというのは、その生きざまなのであるが・・・・・。これは話が長くなるからやめるとして、とにかくゴッホに限らず一般的にいって印象派の絵は人気がある。それに比べると、リヒテンシュタインの方は人が入ってなかった。でも空いている方がゆっくり絵を鑑賞できるので結果として良かったのだが。
ところでリヒテンシュタインって国名ではないかと思われるだろう。その通り。オーストリアとスイスに挟まれた小さな小さな国である。国名からも判る通りドイツ語圏の国である。人口は僅か35000人。もともとオーストリアのハプスブルク家の臣下として活躍したリヒテンシュタイン家が1608年に侯爵家となり、17世紀末から18世紀にかけて現領地を獲得。神聖ローマ帝国に属する領邦国家としてリヒテンシュタイン侯国が誕生。後の1866年にドイツ連邦解体と共に独立国となるのである。ところが国家元首であるリヒテンシュタイン侯爵家はリヒテンシュタインのファドゥーツ城に住まず、長らくウィーンに居を構えていたので、美術コレクションはウィーンにあって一般市民でも鑑賞することが出来た。それが第2次世界大戦を機に侯爵家はリヒテンシュタインのファドゥーツ城に住むようになり、一緒にコレクションも移されたという。しかし、同時にコレクションも秘蔵となってしまったのである。それが2004年からリヒテンシュタイン侯爵家のウィーンにある夏の離宮でコレクションが公開されることとなり、このほどコレクションから約90点が日本での公開となった。
さて、その内容であるがルネッサンス、イタリア・バロックの絵画を始めとして、ラファエロ・サンティ『男の肖像』、レンブラント『キューピッドとシャボン玉』、フランドルの画家ブリューゲル、ヴァン・ダイクの油彩画数点。そしてルーベンスの油彩画が8点。中でも小品であるが、まな娘を描いた『クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像』は見逃せない一点ではある。その他、彫刻、工芸品、家具等、侯爵家が過ごした雰囲気を、今も残す夏の離宮そのものを再現する形となっている。展覧会としてはリヒテンシュタイン侯爵家のコレクションは、過去にニューヨークで1985年~1986年に開催された時以外は例がなく、今回は日本での公開となったということである。でもその貴重な作品が陽の目を見るにしては隣のゴッホ展に比べると人気がなさすぎだな。
2013.02.11 (Mon)
フィンランドのくらしとデザイン展に行く
青森、宇都宮、静岡、長崎と巡回中だった『フィンランドのくらしとデザイン ムーミンが住む森の生活展』が最終の巡回展になる神戸で今、開催中なので行ってきた。会場は岩屋にある兵庫県立美術館。もともと王子公園の側にあったが10年前に浜側に引っ越してきた美術館である。それで旧兵庫県立美術館は現在別館及び横尾忠則美術館となっている。
ところでこの新しい美術館であるが如何にも安藤忠雄設計らしいコンクリートむき出しの建物である。この新美術館に来るのは3度目ぐらいかな。旧館も何度か行ったことがあるがあちらは阪急の西灘駅(現王子公園駅)から近かったが、新館は阪神電車の岩屋駅が最寄り駅。矢鱈と駅の多い阪神電車なので梅田からだと時間がかかる。御影で特急から普通に乗り換えるが駅の間隔が短すぎる。昔の市電並みだ。やっと着いた。駅から如何にもニュータウンらしき街並みを浜に向かって歩くこと10分で到着。大きな美術館だ。
フィンランドのくらしとデザイン展だけに美術だけでなくフィンランドの国そのものを紹介するような展覧会である。美術、工芸品、家具、繊維、インテリア、日本でファンの多い北欧デザイン。なかでもフィンランドデザインは独自の人気を地位を得ている。そんなフィンランドの魅力を紹介するような展示となっている。まずは歴史から始まってフィンランドの風土、気候を紹介。フィンランドのデザインの源流を19世紀までさかのぼりアルヴァ・アアルト、カイ・フランク、マリメッコ等の製品デザインを通して20世紀に黄金時代を迎えたフィンランドのモダンデザインを紹介。さらに今世紀に入ってからの動きも伝え出展数は350点に及ぶ。
そして目玉の展示の一つであるが、フィンランド人のトーヴェ・ヤンソン女史が描いたムーミンの世界。ムーミンというと今から40年ほど前に盛んにテレビでアニメが放映されたので有名になったのだが、それ以降も何度かアニメ化され映画も上映され誰でも知っているキャラクターだが本来はトーヴェ・ヤンソンが描いた小説の中の架空の生物。
トーヴェ・ヤンソンは画家でもありムーミンの原型はムーミンシリーズの小説を書く以前からたびたび描かれていて、ムーミンが小説に初めて登場するのが1945年。『小さなトロールと大きな洪水』にムーミントロールとして登場。作品は童話のようなファンタジー小説のような架空の世界の話。ただし内容は難しいが。こうしてムーミンシリーズが始まるのである。その後にはコミックにも登場して語学が堪能な弟のラルスが翻訳してイギリスで紹介。人気は世界へ広まっていくのである。そしてその後にアニメーション化されることとなる。日本では岸田今日子の声が特徴的で人気シリーズとなった。ところでムーミントロールって何だということなのだが一見カバのようでもある。トーヴェ・ヤンソンによると妖精の生き物ということである。作画が展示されていて幾つか拝見したが、体表には毛が生えていて直立歩行する。ムーミント言うのは種族名であり、ムーミンと言う主人公を指す場合はムーミントロールなのだそうだ。この生物はトーヴェ・ヤンソンが少女の時代、すぐ下の弟ペル・ヤンソンとの口喧嘩に負け、悔しくてトイレの壁にとても醜い生き物として描いた絵が原型らしい。それで伯父の家へ下宿して学校へ通っていた時代に、夜に勉強中、冷蔵庫からおやつを失敬して叔父に見つかり「つまみ食いをやると裏にいるムーミントロールというお化けが頸筋に冷たい息を吹きかけにくるぞ」と脅され、そこからムーミントロールという名になったという。
こうして我々は日本でアニメが放映されてからムーミンを知ることとなった。だが、同時にフェンランドと言う北欧の小国をよく知るきっかけとなったことはいうまでもない。国土の70%が森林で蔽われたスオミの国(正式名称はスオミ共和国)。北緯60度~70度にわたり南北に長い国で3分の1が何と北極圏に位置する。スオミとは湖、池を意味するスオから来ているとされ森林以外では国土の10%が湖、沼、池、川である。面積は日本よりやや小さいが人口は500万強と少ない。これより人口の多い県は日本では幾つもあり自然条件が厳しいことをある意味では伝えている。歴史上においてもスウェーデンに650年間、帝政ロシアに100年間支配され続け、その後も国境線を破られ国が消滅したこともある。でも民族愛を失うことなく独立を勝ち取った小国フィンランド。でもこんな小国であるが、教育水準が非常に高く、キシリトール、ノキア、サウナ、ログハウスの国、サンタクロース発祥の地、そしてムーミン・・・・・なにかと国の規模を考えれば凄いと言わざるを得ない。それにフィンランドは関西の人にとっては遠い外国とは思えない。ここの人のファミリーネームというとコッコネン、タッカネン、ムストネン、サルミネン、ニッカネン、アホネン、ヒュンニネン、サロネン、コーレマイネン、リストネン、ハッキネン、バタネン、ライコネン、ヒルボネン・・・・同様に関西では話し言葉で語尾にねんを付けるしね。あほやねん。好きやねん。あかんねん。しんどいねん。おいしいねん。遅いねん。違うねん。下らないオチで終わり・・・・・・・・。