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2014.06.15 (Sun)

シベリウス 交響詩『フィンランディア』を聴く



 第2世界大戦後、連合国側は戦争責任者の摘発を始め、やがて勝者側が敗者を捌く極東国際軍事裁判(東京裁判)が開かれた。小生は当然、この時代を知る筈もないが当時の映像がニュース映画として残っていて、その映像が映し出されると同時にナレーションとともにある音楽が流されていて、やけにその音楽の印象が強かったのを覚えている。そして、その曲こそがシベリウスの『フィンランディア』であった。
 何故、この歴史的事件の映像にフィンランディアが流されたかというのには訳があるだろう。この『フィンランディア』はタイトルから察しされると思うが、シベリウスが祖国フィンランドの大自然や住民の心を歌い上げた勇壮な交響詩である。そもそもフィンランドという国は長い間スウェーデンに、ついでロシアに征服され支配下に置かれていたのである。殊に19世紀末には帝政ロシアの圧政下で喘いでいて1899年ロシア皇帝ニコライ二世の公布した二月宣言によって立法権を奪われたのである。フィンランドの民は、この暴政に対する抗議のしるしとして1899年11月ヘルシンキにおいて一連の愛国劇を上演する。その時、ヤン・シベリウスは『フィンランドは目醒める』というタイトルの管弦楽組曲を提供。その組曲のフィナーレが10分に満たない交響詩『フィンランディアである』。そして、4曲の組曲の最後の『フィンランディア』が現在は独立して頻繁に演奏されるようになったということである。
 この曲が誕生した頃、フィンランドは国そのものが存亡の危機にあったのである。当時34歳だったシベリウスは、ロシアの支配下にあったフィンランド国民に愛国心を蘇らせ、独立への希望をかき立てようと意図してこの曲を作ったことは疑う余地もないだろう。事実として1900年7月のパリ万国博覧会で初演されて以来、フィンランド国民から熱狂的に支持されたのである。ところが、あまりにもこの影響が大きいことを心配した時の政府は、ロシア治下ということもあり、この曲の演奏を喜ばず一時は『フィンランディア』というタイトルを変えなければならなかった。さらには演奏禁止の処分を受けてしまうほどだった。少なくとも一つの音楽、特定な理由に基づいて権力機構から政治的干渉を受けた例は、当時としては非常に珍しかったのである。
 1917年、ロシアには革命が起こりレーニン一派によりソヴィエト連邦が形成される。そして皮肉にもフィンランドは念願の独立を獲得、1919年共和国宣言が行われ、独立式典の開幕には『フィンランディア』が演奏され、以来、この曲はフィンランド内の式典開幕の象徴として毎度、演奏されるのである。
 この曲の中間部に出てくる民謡風の旋律は、よくフィンランド民謡と解説されるが、シベリウス自身のオリジナルであると本人が述べているので、おそらくそうだろう。管楽器が自由と独立を求めて祈願する讃美歌を歌い、弦楽は希望への祈りを歌う。管と弦が交錯し民族の勝利を高らかに誇らしげに絶叫するかのようだ。
 ところでシベリウスは1929年、60歳を過ぎたところで作曲活動を止めて、91歳で亡くなる1957年までの一生の3分の1を、別荘にアンテナを立て、世界中の短波による自作品の演奏を聴いて過ごしたという。これを人呼んで謎の空白と言う


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