2014.06.16 (Mon)
You Tubeでワールド・カップ伝説の試合を観る
昨日、ブラジルのワールド・カップで日本の緒戦である対コートジボワールが行われた。それで小生はちょっと出かける用事があったのだが前半だけは観た。それで本田がゴールを決めてリードした。それで前半は終了。ただ印象的には重苦しい試合で、ほぼボールは支配されていて日本の選手の動きが悪いところが目につき後半危ないかなと思いながら家を出たら、案の定、逆転されて負けていた。高温で多湿、雨が降っていたからと言いたいが、これは言い訳にはならない。相手も条件は一緒だから。ただコートジボワールの選手の方が暑さに強かったかもしれないかな。とにかく完敗だった。前半を観ただけだが日本が世界の舞台で強豪と渡り合うには、まだ時間を要するという感じがした。2戦目以降、非常に厳しい戦い方が要求されるようになったな。
ところで最近はYou Tubeという便利なものがあって、色々な貴重な動画をいとも簡単に観ることが出来るので有難い。なにしろ世界中の誰かが色々な動画を投稿してくれるので、時々、あっと驚くような動画にお目にかかれる。それでワールド・カップで盛り上がっている最中と言う時期もあって、それとなく検索していたら1958年のワールド・カップ・スウェーデン大会の決勝がそのまま実況付きでアップされていて、初めて試合を最初から最後まで観た。おそらくスウェーデンの放送局がテレビで中継した時の映像が残っていて、それを投稿した人がいるのだろう。1958年と言うと昭和33年である。まだ日本ではテレビのある家庭も少なかった時代だから、この時代のテレビ中継の録画が残っていることにまず驚く。それと、この試合は伝説の試合として知られている。それはサッカー王国ブラジルが初優勝したこと。そしてサッカーの王様ペレが17歳で衝撃的なデビューをしたこと。これだけで伝説の試合と言われるのだ。小生は小学校の高学年のころに外国にペレと言うサッカーの天才プレーヤーがいるということを雑誌で読んで知ったが、何処の人かも知らないしどんなプレーをする人なのかも判らなかった。サッカーと言うと、ただボールを前に蹴ってゴールに蹴り込むものだと思っていた。それが中学に入り1966年のワールド・カップの記録映画を観て、それまでのサッカーの概念が180度変わってしまたのである。その当時、日本でも社会人による日本リーグと言うのが創設されたので試合中継もあった。ところがワールド・カップで行われている映像を観ると、日本リーグよりも遥か上の水準のプレーを外国人が繰り広げられていたのである。そんな中でブラジルの選手のプレーにより惹かれたことは言うまでもない。殊に右のサイドからドリブルで突破をするガリンシャ、そしてサッカーの申し子ペレ。残念んがらこの大会、ペレは徹底的にマークされ、脚を蹴られ負傷して、ブラジルは敗退した。その4年後、ブラジルはメンバーを一新してメキシコのワールド・カップで3度目の優勝をして、ペレはブラジルの代表から引退するのだが、そんな中で、ペレが世界的に有名になった1958年のワールド・カップのことが当時、雑誌とかでよく採り上げられていた。この大会、初優勝を目指していたブラジルだが大会の始めの頃は調子が上がらず、得点不足に悩んでいた。そして監督は、大会途中からビッコのガリンシャと17歳の新人ペレを苦し紛れに投入した。するとこの2人がチームに加わってからブラジルは快進撃。とうとう優勝してしまったのである。そして17歳のペレはここから伝説が始まるのであり、狂気のドリブラーと言われたガリンシャもこの大会から羽ばたいたのである。
さて前置きが長くなったので、1958年ワールド・カップ決勝。ブラジルVSスウェーデンの話をする。スウェーデンは地元。ブラジルは南米のサッカー大国だが不思議と、これまで優勝を逃してきた。1950年の地元ブラジルで行われたワールド・カップでウルグアイに敗れ自殺者まで出た。これをマラカナンの悲劇と言うが、その後に才能豊かなタレントが大勢出てきて、初優勝を狙っていたのである。
メンバーはスウェーデンがGkスベンソン、FBベリマルク、グスタフソン、アックスボム、HBボルイェソン、バーリング、FWハムリン、グレン、シーモンソン、リードホルム、スコーグルンド。ブラジルはGKジウマール、FBオルランド、ベリーニ、ジャウマ・サントス、HBニウトン・サントス、ジト、FWジジ、ザガロ、ババ、ペレ、ガリンシャである。つまり両方とも5―2―3の布陣であり、現在のサッカーとは随分と違う感じがする。FBは今ではDFのことでありHBはMFのことである。今のようにMFが多い時代とは違い、当時はのんびりとした牧歌的サッカーをやっていたから、中盤の選手を多く入れることはなかった。プレスもあまりかけないしボールをとにかく持たしてくれる。だから接触プレーも少なく従ってファウルもあまりないから観ていても気持ちがいい。現在のようにコンパクトで流動的サッカーとは明らかに違っているし、悪く言えば古色蒼然としたサッカーともいえる。だが、そんな中でもきらりと光るプレーも多い。
この動画を観て感じるところも多く、当時からブラジルの選手は個人技が素晴らしいということが判る。試合はベリーニ、リードホルムの両キャプテンの握手から始まって、開始4分でリードホルムが左隅に先制のゴール。地元の観衆を味方にしてスウェーデンがリードする。しかし、徐々にブラジルの個人技が勝りだす。9分には右サイドをドリブルで持ち込んだガリンシャが右へグランダーのクロスを出すとペレが左へ出す。それをババがゴールして同点。ブラジルの選手は喜ぶがババは「時間がない」といって先を急ぐ。32分にはまたガリンシャからクロスボールが出てババがシュート。ブラジルは2点目で逆転。ババとペレが抱き合う。後半に入り54分、伝説の3点目と言われるゴールが生まれる。ニウトン・サントスから前線にいるペレへセンターリングが上がるとそれをペレは胸でトラップし、膝で浮かし相手ディフェンスをかわしてボレーシュート。3点目が入る。このプレーが当時、あまりにも衝撃的だったので、たちまちペレの名は世界中のサッカーファンの中に轟いてしまったのである。さらに68分にブラジルはザガロ(後のブラジル代表監督)が決め4対1、80分にスウェ-デンが1点を返し4対2。ところが終了間際にセンターリングをペレがヘディングでゴールし5対2。そして終了。ブラジルが念願の初優勝。ところで今思うこと。この当時は、ほとんどロスタイムを取ってない。まあ、ファウルも少なかったので、ロスタイムも必要ないかもしれないし、オフサイドも非常に少ない。今のようにオフサイド・トラップを果敢にかけることもないし、FBの選手は前線に攻撃参加することも滅多にない。古き良き時代のサッカー・スタイルだったかもしれない。今のサッカーのスタイルは1974年のオランダ・チームが築きあげたとされ、ヨハン・クライフを中心とした激しいサッカーを試みるようになってからである。DFの攻撃参加、オフサイド・トラップ、リベロの存在。カウンター攻撃。今は色々ある。まあ、何だかんだというよりも動く映像を観る方が説得力があるので1時間半堪能してください。
尚、モノクロの古い映像なので観にくいから主な選手の背番号を記しておく。ペレが10番、ガリンシャが11番、ババが20番、ジジが6番、ジトが19番、ザガロが7番、ニウトン・サントスが12番、オルランドが15番、ベリーニが2番、ジャウマ・サントスが4番。ジジはFWだが今でいうとMFの位置かな。ニウトン・サントスはボランチのようなもの。スウェーデンはハムリンが7番、グレンが8番、シーモンソンが9番、リードホルムが4番、もう残りはいいか。スウェーデンは大ベテランのグレンが精神的支柱であり、彼からボールが回される場合が多く、個人技はブラジルに劣っているので組織サッカーをしている。ところでブラジルもスウェーデンもユニフォームは黄色と青で全く同じ。だからこの時はブラジルが青と白のセカンド・ユニフォームを着用している。
ところで最近はYou Tubeという便利なものがあって、色々な貴重な動画をいとも簡単に観ることが出来るので有難い。なにしろ世界中の誰かが色々な動画を投稿してくれるので、時々、あっと驚くような動画にお目にかかれる。それでワールド・カップで盛り上がっている最中と言う時期もあって、それとなく検索していたら1958年のワールド・カップ・スウェーデン大会の決勝がそのまま実況付きでアップされていて、初めて試合を最初から最後まで観た。おそらくスウェーデンの放送局がテレビで中継した時の映像が残っていて、それを投稿した人がいるのだろう。1958年と言うと昭和33年である。まだ日本ではテレビのある家庭も少なかった時代だから、この時代のテレビ中継の録画が残っていることにまず驚く。それと、この試合は伝説の試合として知られている。それはサッカー王国ブラジルが初優勝したこと。そしてサッカーの王様ペレが17歳で衝撃的なデビューをしたこと。これだけで伝説の試合と言われるのだ。小生は小学校の高学年のころに外国にペレと言うサッカーの天才プレーヤーがいるということを雑誌で読んで知ったが、何処の人かも知らないしどんなプレーをする人なのかも判らなかった。サッカーと言うと、ただボールを前に蹴ってゴールに蹴り込むものだと思っていた。それが中学に入り1966年のワールド・カップの記録映画を観て、それまでのサッカーの概念が180度変わってしまたのである。その当時、日本でも社会人による日本リーグと言うのが創設されたので試合中継もあった。ところがワールド・カップで行われている映像を観ると、日本リーグよりも遥か上の水準のプレーを外国人が繰り広げられていたのである。そんな中でブラジルの選手のプレーにより惹かれたことは言うまでもない。殊に右のサイドからドリブルで突破をするガリンシャ、そしてサッカーの申し子ペレ。残念んがらこの大会、ペレは徹底的にマークされ、脚を蹴られ負傷して、ブラジルは敗退した。その4年後、ブラジルはメンバーを一新してメキシコのワールド・カップで3度目の優勝をして、ペレはブラジルの代表から引退するのだが、そんな中で、ペレが世界的に有名になった1958年のワールド・カップのことが当時、雑誌とかでよく採り上げられていた。この大会、初優勝を目指していたブラジルだが大会の始めの頃は調子が上がらず、得点不足に悩んでいた。そして監督は、大会途中からビッコのガリンシャと17歳の新人ペレを苦し紛れに投入した。するとこの2人がチームに加わってからブラジルは快進撃。とうとう優勝してしまったのである。そして17歳のペレはここから伝説が始まるのであり、狂気のドリブラーと言われたガリンシャもこの大会から羽ばたいたのである。
さて前置きが長くなったので、1958年ワールド・カップ決勝。ブラジルVSスウェーデンの話をする。スウェーデンは地元。ブラジルは南米のサッカー大国だが不思議と、これまで優勝を逃してきた。1950年の地元ブラジルで行われたワールド・カップでウルグアイに敗れ自殺者まで出た。これをマラカナンの悲劇と言うが、その後に才能豊かなタレントが大勢出てきて、初優勝を狙っていたのである。
メンバーはスウェーデンがGkスベンソン、FBベリマルク、グスタフソン、アックスボム、HBボルイェソン、バーリング、FWハムリン、グレン、シーモンソン、リードホルム、スコーグルンド。ブラジルはGKジウマール、FBオルランド、ベリーニ、ジャウマ・サントス、HBニウトン・サントス、ジト、FWジジ、ザガロ、ババ、ペレ、ガリンシャである。つまり両方とも5―2―3の布陣であり、現在のサッカーとは随分と違う感じがする。FBは今ではDFのことでありHBはMFのことである。今のようにMFが多い時代とは違い、当時はのんびりとした牧歌的サッカーをやっていたから、中盤の選手を多く入れることはなかった。プレスもあまりかけないしボールをとにかく持たしてくれる。だから接触プレーも少なく従ってファウルもあまりないから観ていても気持ちがいい。現在のようにコンパクトで流動的サッカーとは明らかに違っているし、悪く言えば古色蒼然としたサッカーともいえる。だが、そんな中でもきらりと光るプレーも多い。
この動画を観て感じるところも多く、当時からブラジルの選手は個人技が素晴らしいということが判る。試合はベリーニ、リードホルムの両キャプテンの握手から始まって、開始4分でリードホルムが左隅に先制のゴール。地元の観衆を味方にしてスウェーデンがリードする。しかし、徐々にブラジルの個人技が勝りだす。9分には右サイドをドリブルで持ち込んだガリンシャが右へグランダーのクロスを出すとペレが左へ出す。それをババがゴールして同点。ブラジルの選手は喜ぶがババは「時間がない」といって先を急ぐ。32分にはまたガリンシャからクロスボールが出てババがシュート。ブラジルは2点目で逆転。ババとペレが抱き合う。後半に入り54分、伝説の3点目と言われるゴールが生まれる。ニウトン・サントスから前線にいるペレへセンターリングが上がるとそれをペレは胸でトラップし、膝で浮かし相手ディフェンスをかわしてボレーシュート。3点目が入る。このプレーが当時、あまりにも衝撃的だったので、たちまちペレの名は世界中のサッカーファンの中に轟いてしまったのである。さらに68分にブラジルはザガロ(後のブラジル代表監督)が決め4対1、80分にスウェ-デンが1点を返し4対2。ところが終了間際にセンターリングをペレがヘディングでゴールし5対2。そして終了。ブラジルが念願の初優勝。ところで今思うこと。この当時は、ほとんどロスタイムを取ってない。まあ、ファウルも少なかったので、ロスタイムも必要ないかもしれないし、オフサイドも非常に少ない。今のようにオフサイド・トラップを果敢にかけることもないし、FBの選手は前線に攻撃参加することも滅多にない。古き良き時代のサッカー・スタイルだったかもしれない。今のサッカーのスタイルは1974年のオランダ・チームが築きあげたとされ、ヨハン・クライフを中心とした激しいサッカーを試みるようになってからである。DFの攻撃参加、オフサイド・トラップ、リベロの存在。カウンター攻撃。今は色々ある。まあ、何だかんだというよりも動く映像を観る方が説得力があるので1時間半堪能してください。
尚、モノクロの古い映像なので観にくいから主な選手の背番号を記しておく。ペレが10番、ガリンシャが11番、ババが20番、ジジが6番、ジトが19番、ザガロが7番、ニウトン・サントスが12番、オルランドが15番、ベリーニが2番、ジャウマ・サントスが4番。ジジはFWだが今でいうとMFの位置かな。ニウトン・サントスはボランチのようなもの。スウェーデンはハムリンが7番、グレンが8番、シーモンソンが9番、リードホルムが4番、もう残りはいいか。スウェーデンは大ベテランのグレンが精神的支柱であり、彼からボールが回される場合が多く、個人技はブラジルに劣っているので組織サッカーをしている。ところでブラジルもスウェーデンもユニフォームは黄色と青で全く同じ。だからこの時はブラジルが青と白のセカンド・ユニフォームを着用している。
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