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2011.02.11 (Fri)

雪だ

 今朝、起きて外を見たら雪化粧であった。祝日なので助かったかなと胸をなでおろすのであった。こんな日に湖国まで出ていくと積雪も相当なものだろう。想像すると道路にも雪が積もりその上を車が走り雪が固まる。固まると滑りやすい。こうなるとチェーンを巻かないとタイヤもスリップする。交通停滞が起こる。当然バスもノロノロ運転。何時もの何倍もの時間がかかる。そして遅刻・・・・・・といった可能性もある。これだと歩いた方が早いと言いたいが、積雪の上を3km歩くとなると辛い。靴はベトベト靴下にまで浸水。この真冬に冗談じゃない。ということで祝日でホッとしたというのが正直なところである。

 でも今日は朝から用事があって京都駅まで出て行ったのだが、意外にも我が家の周辺よりも雪が降ってなかった。常なら我が家の近辺(京都の大阪より)よりも京都市内は雪が降る。それが木造家屋の屋根は薄っすらと白くなっているものの、さほどの積雪ではなかった。この後、四条方面に行ったが、こちらも道路は濡れてはいるがチラホロと雪が降っているものの、大した降りではなかったようだ。こうして用事を済ませ、午前11時頃に河原町から阪急に乗って大阪へ向かう。特急に乗って地下を走っている間は暗いので居眠りしたいたが、何時の間にか地上に出たいた。でも外は暗い。厚い雪雲で覆われていたからなのだが、不思議なことに桂あたりだと薄化粧なのに、長岡天神の方が雪がよく降ったという痕跡が残っていた。そして天王山を抜け大阪府に入ると積雪量が目だって多いことに気がつく。さらに進んで高槻、茨木、摂津、吹田、そして大阪市内へ入る。しかし、幾分、溶けてはいるが駐車場に停められている車の屋根やボンネットには雪が積もっている。

 こうして正午には大阪の梅田に到着。気温は1℃。大阪の正午の気温にしては珍しく低い。それにところどころ雪がの残っていた。京都市内はほとんど積雪した痕跡がなかったのに珍しいことがある。これだともしかして滋賀県は雪が降ってなかったかも・・・・・・まあ、そんなことはないけども、時々、こういった現象があるとはいう。つまり今回の降雪は京都よりも大阪の方がよく降っていたということになる。大阪市内というところは滅多に積雪などないところである。雪は降ることは降るが数年に1回、雪が積もるかどうかという程度で、今回も珍しいことになる。それで中之島近辺まで歩いてみた。


 すでに午後1時。でも堂島川の遊歩道にはまだ雪が溶けずに部分部分残っていた。この写真は中之島の堂島川べりの遊歩道から堂島方面を眺めたところ。
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 遊歩道の芝生の上はまだ雪が残っていた。
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 堂島川にかかる橋の歩道は雪が残っていて、歩くとグシャグシャと音がする。かなり水分混じりの雪で靴がベトベトになる。橋の上から西の方角を見る。
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 それにしても珍しい雪の降り方であった。それも電車に乗って気がつくという。まあ、滅多にない現象といってもいいだろう。

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2010.11.27 (Sat)

晩秋の嵯峨野をブラブラ

 ポカポカと暖かい晩秋の土曜日。懐は寂しいが心は豊でありたいものだ。朝、耳鼻咽喉科に行く。医院を抜けてその足で目的も無く当ても無くJRに乗ってしまう。本当に行くつもりは無かったのだが、西山連山の紅葉を眺めていたら、我が家から比較的近いので、ぶらりと嵯峨野へ行きたくなった。京都駅に到着するや山陰線に乗り換える。ところが、この山陰線、物凄い乗車率。観光客で満員。普段なら高校生や大学生、通勤に利用する会社員で朝は結構、混むのだが、土曜日の午前の時間帯にこれだけの人が乗ってくるというのは、如何にも11月の京都であるという証明か。何しろ日本最大の観光都市である京都は11月が最も観光シーズンののである。この季節は錦秋の京都といって紅葉で染められるからだろう。しかし、山陰線は単線部分が残っているので、ピストン運転というような訳にはいかず、なかなか発車しない。ようやく発車してもトロトロと走る。東海道線の新快速とは違って、随分とのんびりしている。日頃は乗ることも無いけど・・・・・・。何時もなら嵯峨野に行くにしても私は阪急を利用するから、JRで嵯峨野に行くこともない。しかし、今日は途中で気が変ったから、JRを利用したまでだ。

 京都駅を出て、丹波口、二条、円町、花園、太秦と京都の市街地ばかりを走る。太秦を出るとようやく郊外の雰囲気に変ってくる。次の駅が嵯峨嵐山である。満員の電車だが、ここでほとんどの人が降りてしまう。みなさん、目的は嵐山、嵯峨野の紅葉である。駅前は人で溢れてしまった。さっさと人のいないところへ行こうと、西側の方角へ歩く。新丸太町通に出て、嵯峨小学校のところまで来たのはいいが、また人がゾロゾロ歩いている。こりゃ、人のいないところへ行くのは無理か。流石に11月の京都である。2月ごろ、このあたり誰も歩いていないのにと思いながら常寂光寺に向う。

 常寂光寺は日蓮宗の寺院で究竟院日上人が、1595年に開創したものである。小倉百人一首で有名な小倉山の東麓に建立され、嵯峨野一帯を見渡せるのである。ところが常寂光寺も以前テレビで採り上げられてから、毎年のように人が溢れている。風情のある茅葺の仁王門もこの有様である。
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 仁王門と紅葉。
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 常寂光寺は小倉山の山麓にある。したがって山の中腹にも境内がある。小倉山から東の方角を望む。宇多野、鳴滝あたりから双ヶ丘の丘が見渡せる。
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 苔の上に落葉。
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 多宝塔と紅葉。
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 紅葉だが色が薄いなあ。
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 カメラをズームしてみた。仁和寺の五重塔がボンヤリと見える。ここから5㎞先。
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 多宝塔を上から見る。
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 嵯峨野らしい光景だ。
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 紅葉の見頃にはまだ早かったかも。
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 常寂光寺から東に歩いて数分のところに落柿舎(らくししゃ)がある。俳人・松尾芭蕉の弟子、向井去来の別荘だったところである。落柿舎の名の由来は、庭に柿の木40本あって、その柿の実が一夜にして殆ど落ち尽くしたということからついたのである。
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 竹林の向こう側に民家が。嵯峨野にはこのような家が多い。
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 竹林の下にはトロッコ列車の嵐山駅(右側)とJR山陰線の線路が見える。でもトロッコ列車は昔は旧山陰線だった。その後に新しい山陰線が完成して、旧山陰線の線路を活用して観光用のトロッコ列車を走らしたのである。
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 ここは大河内山荘。往年の時代劇俳優である大河内傳次郎(おおこうちでんじろう)の別荘。ここで大河内伝次郎はセリフを覚えたという。知らない人も多いだろうから説明すると、大河内伝次郎とは戦前から戦中にかけての時代劇の大スターである。阪東妻三郎、嵐寛寿郎、市川歌右衛門、片岡知恵蔵、林長二郎(長谷川一夫)と並んで時代劇6大スターといわれ、丹下左膳で一世を風靡した。大河内伝次郎の決まり文句というと「シェイはタンゲ、ナはシャゼン」。彼の物真似をした人は数知れず。桂三枝がオヨヨといいだしたのも、実は大河内伝次郎の物真似からである。もっとも若い人には何のことかも判らないだろうが・・・・・・・・・。
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 大河内山荘と抜けると竹林の小径がある。ポカポカ陽気だったが、此処にくるとひんやりとする。
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 竹林の小径を抜け野宮神社と天龍寺の間を抜けると、人垣で溢れかえる嵐山の渡月橋へ繋がる表通りに出る。ウンザリするほど人が多くて、歩いていても前に全く進まない。イライラする。道路の両側は土産物屋、料理屋、休憩所、喫茶店等が並び、人が道路まではみ出していて、警備員がマイクで「危ないから歩道から出ないでください」と叫んでいる。その延長で渡月橋も一方通行。早く阪急の嵐山駅に行きたいのに、かいもく前に進まない。イライライラ・・・・・・・・・。
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 やっと阪急の嵐山駅に到着。今から大阪の梅田まで行くので急いでいたのである。 
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 阪急電車、嵐山駅のプラットホームにあったベンチ。面白い形をしていたので写真を撮ってみた。
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 何と嵐山から電車に乗ったのはいいが、乗車した車両には私と若い女性と二人だけという少なさ。嵐山に到着する電車は超満員なのに・・・・・・。みなさん、そんなに京都がいいかな・・・・・・・。身近にあると何とも感じないが・・・・・・・。
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2010.04.10 (Sat)

桜も散りだして・・・

 昨日、一昨日の寒さが嘘のように暖かい1日、いや暑い1日。今日なんか上着がいらないしシャツの半袖姿の人も目立った。これだけ日によって気温差があると身体のほうもついていかないから体調を崩しやすい。判っているから用心しているのだが、今年のように雨が多く気温の低い日が続くと、たまに晴れて気温が上昇すると一気に夏が来たかのような錯覚になる。でも朝方は冷えるから、同じ日でも気温差がかなり違ってくる。なので着て出る服も難しい。薄着をすると寒いし、厚着をすると暑いし、しょうがないから薄手の上着を羽織って、暑くなれば上着を手荷物しかない。でもこれだけ温度が上がると一気に桜の花も散るほうに向うだろう。今年は例年よりも桜の開花が早かったのに、寒さがぶり返したので長い間、桜が咲いていたとテレビのウェザーリポーターが喋っているが、よく見ると咲き方が汚いだろう。満開の桜の木があると思えば、すぐ隣ではツボミのまま葉桜に変ってしまった。全体的に花びらがしおれていて元気がない。また土曜日、日曜日に桜が見頃になればいいのだが、こればかりは判らない。結局は平日の火曜日、水曜日あたりが京都の桜のピークだったという。それで今は各地とも花吹雪模様であるとは聞いていた。残念だが京都では満開のところはほとんどなくなってしまった。ならば近畿で今、現在、桜が満開のところはというと、小生が何時も通っている滋賀県内ということになる。でも滋賀県なんて休みの日まで行きたくはない。それで近場で桜の名所はないかと探っていたら、歩いて行けるところがあった。それが今日行った山崎聖天である。

 山崎聖天は正式には観音寺といい、平安時代の899年に創建された真言宗派の古いお寺である。でも京都の洛西、乙訓地域の人以外は、ほとんど知らない桜の名所である。天下分け目の天王山の山麓にあって、鄙びた田舎の山寺といった雰囲気を醸しだしているが、観光寺ではないので、桜が満開の時以外は誰も訪れないお寺である。でも小生、このお寺は子供の頃から良く知っている。小学生の頃、天王山ハイキングといって頂上まで登る途中にあったお寺なので、御馴染みであった。すぐ近くにはアサヒビール大山崎山荘美術館があって、こちらの方は結構、人が訪れるものの、こちらの方の山崎聖天は誰も訪れない。でも先週は花見客が多かったのではないかと推測できるのだが・・・・。

 小生の自宅から歩いていける範囲にあるが、知らない人だとどこから参道に行けばいいのか判らないほど目立たない山寺である。阪急大山崎駅から西国街道を京都方向に向って15分ほど歩くと、左側に寺へ向う参道がある。JR東海道線と阪急京都線のガードを潜ると山崎聖天の鳥居が現れた。仏教寺院なのに鳥居があるとは・・・・・。でもこんなお寺、日本各地には数多くある。この寺の場合、観音菩薩や歓喜天を始め神仏両方を祀っている関係から、お寺なのに鳥居があるのだが、初めてくる人は神社と勘違いするかも・・・・いや、今時の若者は神仏の違いさえ判らない人が多いから、気がつかないかも・・・・・・・。また神社造りの建築物があるのも特徴。これは明治天皇の命によるとされる。
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 境内には桜が植えられていて、桜の名所として名高いのだが・・・・・・。
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 もう散り始めて数日はなるかなあ・・・・。
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 この手前の木はほとんど咲かないで、ほぼ葉桜になっている。
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 本殿へ向う階段だが、人っ子1人いない。いや、女性1人と天王山ハイキング中の中年男性数人を見かけたが。
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 今日は暑い。本殿まで登るのもアホらしくなってきた。それで側道のゆるい階段を下りていったのだが、桜の花びらが石畳の上に散っていた。もう3日もすれば完全に桜の花は散り行くだろう。また来年まで桜とはおさらばだ。
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 お寺の参道を降りていくと、阪急電車の線路の向こうにJR東海道線の線路が見える。ちょうど特急列車が通過していくところであった。
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2010.03.13 (Sat)

EXPO70から40年

 明日、3月14日はEXPO70の開会式が行なわれてから、ちょうど40年目にあたる。EXPO70とは1970年、大阪の千里丘陵で半年間、開催された日本万国博覧会の通称である。当時、日本初の国際博覧会として183日間開催され、77ヶ国、4国際機関、1政庁、9州市、50以上の民間企業・団体が参加した。350haの広大な会場に述べ入場者6421万8770人がつめかけ未だに万国博覧会史上空前の記録として残っている。

 それで今日、1970年の日本万国博覧会から40年を記念して、EXPO70パビリオンなるものがオープンした。だからというのでもないが、その話を聞いて突如、訪れてみようと思い立ったのである。そういえば私も長い間、万国博覧会の跡地がどのようになっているのか気になった。この付近、よく来るのだが会場跡に来ることは皆目ない。近くの万博競技場にサッカーを観に来たり、万博球場に高校野球の予選を観に来たりしたことはある。また、かつて公園内にあった国立国際美術館(旧・万博美術館)や国立民俗学博物館に用があって来ることもあった。でも過去の遺産であるような万国博の跡地である公園内をくまなく散策したことはほとんどない。でも40年経ったのかと考えると、何か青春時代の忘れ物を捜しに来るような思いに囚われてしまった。あの頃、まだ10代半ばのガキだった自分にとって、あのEXPO70とは何だったのかと、振り返ってみたくなったということだろうか・・・・・。

 今から40年前の3月15日、一般入場者に開放された最初の日に、私は大学生の姉と会場に訪れたことを思い出す。肌寒くて人が多くて何処のパビリオンも行列だらけであった。40年前、会場に足を踏み入れた途端、そこは未来都市が広がっているような錯覚におちいったものである。でも一般的な生活様式は40年経った今も劇的に変化したというのでもなく、相変わらず電車に乗って通勤するし、帰ってテレビを観る、新聞を読む、音楽を聴く、食事をする、風呂に入る。やっていることはほとんど変わらない。車の構造も飛行機も船も当時とは大差はない。しかし1970年当時、今とどのように違うかを考えた場合、大きな違いは携帯モバイルだろう。当時は勿論、携帯電話もなく家庭には黒電話しかなかった。それもまだ全家庭に行き渡っていなかったように思う。だから連絡方法はどうするのかといった疑問を若い人は持たれるだろうと思う。そういった場合は街の公衆電話から家に連絡するしか方法がない。もっとも携帯電話が一般化したのも、この10年ぐらいではあるが・・・・・。それと電話以外にもメールといった連絡方法があるし、パソコンといった便利な物が今はある。40年経って大きく変化したといえば、このような分野に関してである。

 思い返せばあの当時、こういった携帯電話がこれだけ普及するなんて予測できただろうか。あの当時、展示されていたものとして人間洗濯機だとか電気自動車だとか、未来を予測した色々な展示物があった。人類の進歩と調和というテーマの下に開催されたEXPO70だから、20年後の世界、30年後の世界はこうだといった展示物が多かった。でも実際に40年経った現在、あの当時に予測した世界とは大きく違っているようにも感じる。それは時代は進み、科学も進化しあの当時に予測した多くの物は現在では存在しつつある。でも経済発展まで恒久的に続く訳でもなく、公害といったものが、それらを阻んでいることを当時は計算に入れてなかったように思える。フロンガスやCO2といった地球温暖化なるものが新聞紙上を賑わすなど、あの頃、考えていただろうか。それを考えた場合、人類の進歩と調和なんてテーマは今、考えれば滑稽ではある。結局、1970年という時点で考えた近未来の地球像という形で会場は造られたのだと思えば実に面白い。それで当時の記憶のまま、私は今の万国博記念公園内を歩いてみた。

 未だに残る太陽の塔。岡本太郎作の記念碑である。会場のシンボルとして残されたが、当時はメイン・パビリオンとして中も入れたし、大屋根がこの辺り一帯を覆っていた。
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 太陽の塔の裏側である。
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 まだ会場内にあった人工池と噴水が当時の姿で残っていた。右の丸い噴水は回転しながら水を吐き出していた。
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 パビリオンで唯一残されたのが、この鉄鋼館である。この建物がEXPO70パビリオンとして今日リニューアル・オープンした。
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 太陽の塔の裏にあったお祭り広場は当時のままであったが、会期中はこの辺りも大屋根で覆われていた。
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 太陽の塔を中心としたシンボルゾーン一帯を覆っていた大家根の鉄組みが残っていた。大屋根は当時、太陽の塔の手の先から上がれるようになっていた。
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 かつてカナダ館? 韓国館? があった辺りだと思うが梅園になっていた。
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 この辺りにはオーストラリア館があったと記憶している。いや西ドイツ館だったかなあ。西ドイツ館ではライトナー指揮、ケンプ(ピアノ)、ベルリン・フィル演奏のベートーヴェンの皇帝のLP盤を買って帰った思い出がある。今は木々が鬱蒼と繁っている。その向こうには太陽の塔が・・・・。
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 せせらぎが・・・・・・。
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 もうかつての未来都市の姿は何処にもない・・・・・。
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 自然に出来た小川のように。
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 40年前、ここにアメリカ館があった。東京ドームのように白いエアドームで造られていた。館内はアポロ飛行船が持ち帰った月の石が展示され、待ち時間2時間とか当たり前だった。でも私は待ち時間、10分ほどで入れたような・・・・・。私にとっては往年の大リーガーのユニフォームの展示の方が興味深かった。 
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 こんな森林公園が大阪の中心部にあればいいのにとは思うが・・・・・。
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 人工の森のようには見えないほど密生している。
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 ここにはソビエト連邦館があった。今やソビエト連邦は崩壊し、ロシアを始め多くの国に分裂した。時代を偲ばせるなあ。
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 ソビエト連邦館は高さが130mもあり阪急電車からも見えていた。館内はスプートニク、ボストーク、ソユーズの各宇宙船が展示してあって、アメリカとの宇宙開発競争が熾烈だったことを思い出させた。私はチャイコフスキーが使っていた展示品のピアノを触って係員に注意されたことを思い出す。
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 この付近はベルギー館があったと思う。今では憩いの場になっている。ここからだと太陽の塔までかなりの距離がある。
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 何か天然の沼のようだが人工の池である。水鳥の生息地になっている。
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 会場の中央を東西に目抜き通りがあったことを思い出した。その通りは今でも使われている。
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 かなりの距離を歩いたと思う。当時は会場内にそれこそ100以上の巨大なパビリオンが建ち並んでいた。でもさほど会場が大きいとは感じなかった。でも今、何もない会場跡を歩いてみると如何に巨大な会場だったということを痛感させる。当時、甲子園球場83個入るといわれた。もともとは千里丘陵という竹林の多い手の加えられてない丘だった。それが突如として万国博覧会の会場として整備され、今、また自然の森に戻っていった。やはり人間は自然と共棲してこそ生きていけるのだ。科学ばかりを信仰していては何時か反動がくると会場址を訪れて改めて感じた次第である。

EXPO70の映像



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2010.01.04 (Mon)

もう4日だけども

 正月の三ヶ日すっかりだらけてしまった。ただゴロゴロと寝ていただけというだらしなさ。テレビは相変わらずくだらない。大晦日の紅白歌合戦も下らないが、バラエティはもっと下らない。何時もお馴染みのタレントが出てきて画面を占拠してはつまらない話と芸を繰り返すだけ。あとは例によってラグビーとサッカー、それに駅伝中継。ただ箱根駅伝なんて関東の大学しか出てないから観る気も起こらない。関東のローカル駅伝にしか過ぎないのに、読売新聞が主催し、日本テレビが全国ネットで大袈裟に中継するから全国大学対抗の駅伝のように思えるのだが、実際は関東地方の大学のための駅伝大会。せめて自分の出身大学が出ているのなら観る気も起こるが、所詮、関西の大学は出られるわけもない。だからこんなの観る気もない。それでテレビも観ず、音楽を聴いていたり本を読んでいたり、毎年、同じことばかりやって三ヶ日が過ぎていった。

 さあ、年が改まってすでに4日目。今さら初詣というのでもないが、ちょっと雰囲気だけでもと思いたったので、神社にいってみることにした。それで取り敢えずいったところが平安神宮。大きな神宮であり観光客も多い。京都の岡崎公園の中にあり、近辺は府立図書館、国立近代美術館、京都市美術館、京都市勧業館、京都会館、細見美術館、京都市動物園といった公共施設が点在している文京地区である。でも正月三ヶ日明けの4日となると初詣の人混みもガクッと減るようである。来ている人は初詣の人もいるが観光客の方が多いのではと思わせる。

 平安神宮の境内は広いから人がいてもまばらにしかいないように見える。でも元日は多かっただろうなあ・・・。
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 平安神宮から南へ1.5キロほど歩くと八坂神社へ到着する。ここは平安神宮よりも人が多い。観光客もいることはいるが、大阪あたりから大挙して訪れた初詣の人の方が圧倒的に多い。やはり繁華街の隣にある神社だからか、色々と願をかけに来る人が多いのかなあ・・・・。
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 一方、所変わって大阪の天満宮。大阪の北新地から東へ僅か1キロのところにある神社。大阪では住吉大社と競い合うほど初詣の人の多いところだが、境内は京都の神社と比べると、とても狭くビルに囲まれた一角にある。
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 大阪天満宮は学問の神様・菅原道真を祀っているだけに大学や高校、私立中学の合格祈願の絵馬が数え切れないほど吊り下げられてある。受験生は必死なんだなあと、30数年前のことを思い出した。
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 ところで明日から、またまた出勤だ。やる気もないし、ため息しか出ない。また虚しい経済の枠組みの中で、停まることのない歯車のように働かなければならないのだなあ・・・・・。
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2009.12.26 (Sat)

大阪駅周辺を歩く

 このところ体調を崩していたので久しぶりに大阪の都心へ行った。まあ、何時も見慣れた光景で、どうってことはないのだが、何やら知らぬ間に大掛かりな工事中であったJR大阪駅の外観が、少しずつ変貌しつつあり、2011年の全面完成に向けて急ピッチで工事が進んでいる模様であった。

 大阪駅というのはいうまでもなく大阪の玄関口にあたるのだが、新幹線は乗り入れておらず、実際の大阪の玄関口は、これより3㎞ほど北にある新大阪駅なのであるが、ここは繁華街から外れていて大阪の玄関といった趣からはかけ離れている。したがって初めて大阪にやって来て新大阪駅に降り立った人は、大阪って意外とビルも低くて街も大したことないなあといった感想を持つ。だから新大阪駅で在来線に乗り換えて、一駅で大阪駅に到着してみてからようやくその威容に驚くという。

 でも、この大阪駅周辺を地元の人は梅田という。その昔、この辺り一体を埋め立てて大阪駅を造った時から、この辺りの造成が始まるのだが、田を埋めたということで埋田といわれ、やがて埋の字に換えて梅の字を当てた時から梅田と呼ばれるようになったという経緯がある。それ以来、大阪の玄関口として発展し続け現在に至るのだが、最近は梅田周辺で工事がなされていて、阪急百貨店、富国生命ビル、大阪ターミナルビル、そして大阪駅全面工事が進行中だった。そこでどれほど工事が進んでいるのか探ってみたまでだが・・・・・・。


 大阪駅ターミナルビルの増床工事が進行中。大阪駅南側のターミナルビルの低層階に大丸百貨店が入っているが、その大丸の売り場面積を広げるための工事を行なっているのである。この梅田は、大丸の正面に阪神百貨店があり、すぐ東側には、このほど一部、完成した阪急百貨店(右側の超高層ビル)と、さらに2011年目指して、大阪駅北側に出来る新ビルに三越伊勢丹百貨店が入ることが決まっているので、この辺りだけで大型百貨店が4店舗出現することになる。それで他社に負けてられないとばかり、大丸までが増床工事を始めたという訳だ。でも共倒れならないのか、そちらの方が心配になるが、1日、280万人が動くという、この大阪駅周辺だから大丈夫だという学者もいるにはいるが・・・・・・・・。
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 大阪駅の北側のビルも工事中である。左側の高い部分はオフィス棟かな。
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 そして、大阪駅のホームの上でも工事が進行中。何とホームの上に大屋根が誕生するという。ちょうど工事中の北ビルから、南側のターミナルビルに向って大屋根でプラットホームの中央を覆う形となるようだ。聞く所によると、かなり近未来的な斬新な駅の姿が見られるようになるという。
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 大阪駅から離れて、北の方角から大阪駅周辺を見渡したところである。周辺はビルの高層化が目立つ。手前の線路の集まりは梅田貨物駅である。この貨物駅も何れ、完全に立ち退いて、再開発されることが決まっている。
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 今度は大阪駅の北東側から撮ってみた。大阪駅北ビルも来年の完成を目指し姿を現しつつある。この中に、百貨店、専門大店、シネマコンプレックッス、フィットネスクラブ、オフィス等が入るらしいが、詳細は完成してからのお楽しみということか。右端のビルはヨドバシ・カメラ梅田店である。
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 ところで26日の今日、梅田を彷徨ったが、昨日まで飾られていたクルスマスツリーやクリスマス商戦らしき様子は嘘のように影を潜め、飾りはすっかり迎春モード。ホントに、この国の変わり身の早さといったら呆れ返ってしまう。一般的にヨーロッパではクリスマスの飾りつけは1月6日のエピファニアまでは続けるというのに、どうなってるの・・・・。つまり非キリスト教徒の国が、クリスマスの形だけを真似るとこのようになってしまうということなのか・・。それともただ節操がないだけなのか。毎年、この時期になると考えさせられる。
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