2008.10.11 (Sat)
平等院へ行く
今年は秋の訪れが早いのかと思ったら、案の定、暑さがぶり返し、昨日と一昨日は夏日を記録して、また夏服の出立に戻ってしまった。そして、昨日の夜半から雨が降り出し、またいくらかは涼しくなった模様であるが、それでいても平年よりは暖かい。まだまだ上着など必要ない暖かさであるが、今日から三連休という事情もあって、京都駅は朝から人でごった返していた。これから本格的な観光シーズンに突入しようとするが、京都へ来る観光客は11月が1番多いのだそうだ。それは紅葉シーズンというのもあるが、気候的にも1番良いからなのである。とにかく京都が最も栄える季節は11月ということになる。だから最近の10月というのは、まだ暑くて本格的な観光シーズンとはいいがたいが、それでも人は多い。
今朝、私はJR京都駅から奈良線に乗り宇治に向かった。宇治というのは京都市の南隣で、宇治川を越えると直ぐに宇治駅に到着する。宇治というと宇治茶が有名であるが、それ以外だと全国的には平等院が知れ渡っているのだろうか。でも平等院と言っても関西の人は知っているだろうが、全国的にどの程度の認知度だろうか・・・・・。だが10円玉の裏面に描かれてある建物だといえば、誰でも知っているだろう。つまり平等院とは鳳凰堂で知れ渡っている寺院だからである。
そんな秋の始まりの日に、私は宇治の平等院へ行ってきた。たいした目的もあったというのでもないが、久しぶりに訪れてみた。JR宇治駅で降りて、そこから徒歩で10分かもかからない。以前なら宇治へ来るのも京阪か近鉄と言った私鉄を使うことの方が多かったのだが、今はJRの定期を持っている関係で、どうしてもJRに乗ってしまう。でも京都駅までは良いが、そこからだと奈良線というローカル線に乗り換えるので、電車の編成も本数も、幹線とは比較にならないほどお寒い限りである。103系なんていう昭和30年代の車両をまだ使っているし、僅か4両編成でなかなか発車しない。これなら近鉄で行ったほうが良かったかなあと後悔する。こんなところ一つとっても、やはり京阪神は私鉄王国だと痛感する。どうもJRは幹線以外だと、今でも私鉄に対して分が悪い。京都駅始発だというのに、部分的に単線区間のある奈良線だから電車がピストン運転できない。したがって駅の待避線で上り電車や快速の通過待ちをしたりで、とにかく遅い。でも何だかんだといいながらも20分かけて、ようやくJRの宇治駅に到着。
駅前から南東の方角に向って歩く。京都市内の清水寺界隈や嵐山界隈、金閣寺界隈に比較すると人出は少ないが、それでもゾロゾロと観光客が連なって歩いている。そして、小学校の時に来て以来の鳳凰堂ご対面となった。
平等院というのはそもそも、『源氏物語』の光源氏のモデルとなった源融が営んだ別荘である。それを1052年関白藤原頼通が寺院に改め、平等院と定めたのが始まりとされ、ご本尊の阿弥陀如来を安置する意味で、鳳凰堂の名で知られているお堂が翌年の1053年に建立されたということである。現在は浄土宗の浄土院、天台宗系の最勝院が共同で管理している。
さて、平等院の境内に入るや、鳳凰堂が池の辺に浮かんでいるように姿を現す。
極楽浄土の宮殿をモデルにした鳳凰堂は、中堂。左右の翼廊、尾廊からなる、他に例を見ない建物である。池の側から写真を撮るが、建物全体が入らない。
仕方なく鳳凰堂の全体が写せるところまで後退するが、そうすると大勢の人が写真に写ってしまいどうすることも出来ない。でも確かに10円玉の裏だ・・・・・。
右の翼廊を大写しする。
鳳凰堂の名前の由来にもなっている中堂の屋根上に屹立している鳳凰。でもこの鳳凰は複製で、本物は別途に保管されている。
鳳凰堂をもっと横から見ると・・・・・。
今朝、私はJR京都駅から奈良線に乗り宇治に向かった。宇治というのは京都市の南隣で、宇治川を越えると直ぐに宇治駅に到着する。宇治というと宇治茶が有名であるが、それ以外だと全国的には平等院が知れ渡っているのだろうか。でも平等院と言っても関西の人は知っているだろうが、全国的にどの程度の認知度だろうか・・・・・。だが10円玉の裏面に描かれてある建物だといえば、誰でも知っているだろう。つまり平等院とは鳳凰堂で知れ渡っている寺院だからである。
そんな秋の始まりの日に、私は宇治の平等院へ行ってきた。たいした目的もあったというのでもないが、久しぶりに訪れてみた。JR宇治駅で降りて、そこから徒歩で10分かもかからない。以前なら宇治へ来るのも京阪か近鉄と言った私鉄を使うことの方が多かったのだが、今はJRの定期を持っている関係で、どうしてもJRに乗ってしまう。でも京都駅までは良いが、そこからだと奈良線というローカル線に乗り換えるので、電車の編成も本数も、幹線とは比較にならないほどお寒い限りである。103系なんていう昭和30年代の車両をまだ使っているし、僅か4両編成でなかなか発車しない。これなら近鉄で行ったほうが良かったかなあと後悔する。こんなところ一つとっても、やはり京阪神は私鉄王国だと痛感する。どうもJRは幹線以外だと、今でも私鉄に対して分が悪い。京都駅始発だというのに、部分的に単線区間のある奈良線だから電車がピストン運転できない。したがって駅の待避線で上り電車や快速の通過待ちをしたりで、とにかく遅い。でも何だかんだといいながらも20分かけて、ようやくJRの宇治駅に到着。
駅前から南東の方角に向って歩く。京都市内の清水寺界隈や嵐山界隈、金閣寺界隈に比較すると人出は少ないが、それでもゾロゾロと観光客が連なって歩いている。そして、小学校の時に来て以来の鳳凰堂ご対面となった。
平等院というのはそもそも、『源氏物語』の光源氏のモデルとなった源融が営んだ別荘である。それを1052年関白藤原頼通が寺院に改め、平等院と定めたのが始まりとされ、ご本尊の阿弥陀如来を安置する意味で、鳳凰堂の名で知られているお堂が翌年の1053年に建立されたということである。現在は浄土宗の浄土院、天台宗系の最勝院が共同で管理している。
さて、平等院の境内に入るや、鳳凰堂が池の辺に浮かんでいるように姿を現す。
極楽浄土の宮殿をモデルにした鳳凰堂は、中堂。左右の翼廊、尾廊からなる、他に例を見ない建物である。池の側から写真を撮るが、建物全体が入らない。
仕方なく鳳凰堂の全体が写せるところまで後退するが、そうすると大勢の人が写真に写ってしまいどうすることも出来ない。でも確かに10円玉の裏だ・・・・・。
右の翼廊を大写しする。
鳳凰堂の名前の由来にもなっている中堂の屋根上に屹立している鳳凰。でもこの鳳凰は複製で、本物は別途に保管されている。
鳳凰堂をもっと横から見ると・・・・・。
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