2008.11.26 (Wed)
リー・モーガンのアルバムを聴く
『ザ・サイドワインダー』の入っているアルバム

昨年の9月30日、当ブログでアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズのことを採り上げたとき、そのバンドにトランペッターとして加わっていたリー・モーガンという子供の頃から神童と呼ばれたハード・バップの代表的トランペッターがいる。 彼は1938年フィラデルフィアで生まれ、15歳で自分のコンボを持ち、その頃から注目されていた。さらに1956年、ディジー・ガレスピーのバンドに参加。その年には早くもブルーノートから『リー・モーガン・インディード』でデビュー。そのとき、彼はまだ18歳だった。
その艶やかな音色からクリフォード・ブラウンの再来とも呼ばれたもので、特に1957年3月24日にレコーディングされたアルバム『リー・モーガン Vol.3』の中の『アイ・リメンバー・クリフォード』の演奏で高い評価を得た。58年にはアートブレーキーのジャズメッセンジャーズに参加。クリフォード・ブラウンの死と入れ替わるように、ニューヨークのジャズシーンに登場したため“第2のクリフォード”とも言われたのである。ハードバップの頃に登場し、ジャズメッセンジャーズ時代にはファンキージャズへとスタイルを変え、アルバム『ザ・サイドワインダー』ではジャズロックという新しいスタイルを生み出したのである。つまり、いずれの時代においても、人気トランペッターとして脚光を浴びていたようで、艶やかな音色と伸びのあるトーンが特徴である。
さて、そんなリーモーガンであるが、上の写真にのアルバムは、1963年12月21日にレコーディングされてブルーノート・レーベルからリリースされた 『The Sidewinder』」で、何とビルボード・チャートの25位までランキングした。これは、当時のジャズ界からすれば空前のヒット作と言えるだろう。 『ザ・サイドワインダー』は8ビートをジャズにいち早く取り入れた楽曲の1つで、ジャズ・ロックなどと称されることもあり、現在でもカヴァーされる人気のある曲である。ところで『ザ・サイドワインダー』が、ビルボード25位まで上がってきた頃の1位の曲は何かというとベルギーの女性歌手ラ・スール・スーリールの唄う『ドミニク』であり、ボビー・ヴィントンの唄う『ブルー・ファイアー』であり、ビートルズの『抱きしめたい』であった。だからジャズ・ナンバーとしては、そんなに古い曲ではない。まさに天才トランペッターとして輝き始めていた。そして、彼は人気グループアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズに参加したことは前述したが、61年に来日した時のはなしで、楽屋にはリー・モーガン目当ての女性ファンが花束を持って押し寄せ、リーダーのアート・ブレイキーは「奴ばかり何故モテる」と苦笑いだったという。でも彼の人生も長くはなかった。
1972年2月18日、リー・モーガンはニューヨークにあったジャズクラブ『スラッグス』でライブ演奏をしていたが、その2ステージ目と3ステージ目の合間の休憩時間に、愛人のヘレン・モア に拳銃で撃たれ、ただちにベルビュー病院に移送されたが、ほぼ即死状態だった。 死亡が確認されたのは2月19日午前2時45分だった。
彼の最期は天才の例に漏れず、三角関係のもつれから、愛人によって射殺されたというモテ男の生き様そのものであった。享年34歳。
当アルバムの『ザ・サイドワインダー』の音声のみ。
ジャズ・メッセンジャーズでトランペットを吹くリー・モーガン。曲は『チュニジアの夜』

昨年の9月30日、当ブログでアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズのことを採り上げたとき、そのバンドにトランペッターとして加わっていたリー・モーガンという子供の頃から神童と呼ばれたハード・バップの代表的トランペッターがいる。 彼は1938年フィラデルフィアで生まれ、15歳で自分のコンボを持ち、その頃から注目されていた。さらに1956年、ディジー・ガレスピーのバンドに参加。その年には早くもブルーノートから『リー・モーガン・インディード』でデビュー。そのとき、彼はまだ18歳だった。
その艶やかな音色からクリフォード・ブラウンの再来とも呼ばれたもので、特に1957年3月24日にレコーディングされたアルバム『リー・モーガン Vol.3』の中の『アイ・リメンバー・クリフォード』の演奏で高い評価を得た。58年にはアートブレーキーのジャズメッセンジャーズに参加。クリフォード・ブラウンの死と入れ替わるように、ニューヨークのジャズシーンに登場したため“第2のクリフォード”とも言われたのである。ハードバップの頃に登場し、ジャズメッセンジャーズ時代にはファンキージャズへとスタイルを変え、アルバム『ザ・サイドワインダー』ではジャズロックという新しいスタイルを生み出したのである。つまり、いずれの時代においても、人気トランペッターとして脚光を浴びていたようで、艶やかな音色と伸びのあるトーンが特徴である。
さて、そんなリーモーガンであるが、上の写真にのアルバムは、1963年12月21日にレコーディングされてブルーノート・レーベルからリリースされた 『The Sidewinder』」で、何とビルボード・チャートの25位までランキングした。これは、当時のジャズ界からすれば空前のヒット作と言えるだろう。 『ザ・サイドワインダー』は8ビートをジャズにいち早く取り入れた楽曲の1つで、ジャズ・ロックなどと称されることもあり、現在でもカヴァーされる人気のある曲である。ところで『ザ・サイドワインダー』が、ビルボード25位まで上がってきた頃の1位の曲は何かというとベルギーの女性歌手ラ・スール・スーリールの唄う『ドミニク』であり、ボビー・ヴィントンの唄う『ブルー・ファイアー』であり、ビートルズの『抱きしめたい』であった。だからジャズ・ナンバーとしては、そんなに古い曲ではない。まさに天才トランペッターとして輝き始めていた。そして、彼は人気グループアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズに参加したことは前述したが、61年に来日した時のはなしで、楽屋にはリー・モーガン目当ての女性ファンが花束を持って押し寄せ、リーダーのアート・ブレイキーは「奴ばかり何故モテる」と苦笑いだったという。でも彼の人生も長くはなかった。
1972年2月18日、リー・モーガンはニューヨークにあったジャズクラブ『スラッグス』でライブ演奏をしていたが、その2ステージ目と3ステージ目の合間の休憩時間に、愛人のヘレン・モア に拳銃で撃たれ、ただちにベルビュー病院に移送されたが、ほぼ即死状態だった。 死亡が確認されたのは2月19日午前2時45分だった。
彼の最期は天才の例に漏れず、三角関係のもつれから、愛人によって射殺されたというモテ男の生き様そのものであった。享年34歳。
当アルバムの『ザ・サイドワインダー』の音声のみ。
ジャズ・メッセンジャーズでトランペットを吹くリー・モーガン。曲は『チュニジアの夜』
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