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2009.07.08 (Wed)

古い映画を観る・・・・・『大いなる幻影』

 『大いなる幻影』1937年製作、フランス映画

 監督 ジャン・ルノワール

 出演 ジャン・ギャバン
     ピエール・フレネー
     エリッヒ・フォン・シュトロハイム
     ディタ・パルロ
     ジュリアン・カレット
     マルセル・ダリオ

 【あらすじ】第一次世界大戦の最中、敵であるドイツ軍を偵察する任務でマレシャル中尉とポアルデュー大尉の2人は飛行機で飛び立つがドイツ軍の飛行機に撃墜され2人は捕虜となる。捕虜になった2人は貴族階級出身のドイツ飛行隊長ラウフェンシュタインに食事に招待される。彼は同じく貴族出身のポワルデューに親近感を抱く。2人は収容所に入れられ、そこで先に捕虜になっていたローゼンタール中尉から脱走の計画を聞く。でも脱走決行の直前、捕虜達は別の収容所に移送されてしまう。その後も収容所が変わっても脱走計画が失敗し、何時しかスイス国境に近い収容所に送られる。さが、そこの収容所の所長はラウフェンシュタインだった。ポワルデューは再会を喜び、マレシャルは、ここでも脱走の計画を進めていた・・・・・・。

 この作品は反戦的であり反国家的であるとして、当時の日本では当然のように公開されなかったし、監督のルノワールはナチス占領軍によりブラックリストに載せられ、フランスからアメリカへ暫くの間は亡命していた。ジャン・ルノワールとは名前で判るとおり画家オーギュスト・ルノワールの次男である。彼は父の描いた絵を売却した資金で映画を撮ったと伝えられているが、興行的には失敗した作品が多く、この名作と言われる『大いなる幻影』で名は知れ渡っているものの、昔は日本でもジュリアン・デュヴィヴィエの作品と比較して人気がなく現在ほど評価されてなかったようだ。

 この映画は一見、収容所に入れられた捕虜達が脱走を企てる話といってしまえば簡単なことなのだが、そこはヒューマニズム精神旺盛なルノアールのこと一介の監督ではない。捕虜となったフランス兵、マレシャルは機械工の出、一方ポアルデューは貴族の出である。最終的にはスイスとの国境を突破して脱走は成功ということになるのだが、この作品に見え隠れする身分の違い、国籍の違いを取っ払って、みんな1人の人間であるということを細々と訴えている。特に貴族の出であるポアルデューは、仲間の捕虜達との脱走計画にも本気になれないし、フランス軍善戦の報道にもあまり喜ぼうとはしない。それでいて戦争が終焉することも脱走の成功をも希望していないかのように見える。そんな中、ラウフェンシュタインとの会話で彼等が言った台詞がある。・・・・・この戦争を最後に、我々貴族の時代も終わるだろう・・・・・・つまりポアルデューにとってもラウフェンシュタインにとっても、戦争が行なわれている間だけが貴族でいられるのであった。従って彼等にとっては終戦も、脱走もどうだってよかったのだ。

 終戦が見えてくるにあたって彼等のような貴族出身者は、その後の生き方を選択しなければならなかった。20世紀に入り続々と貴族が崩壊していく、身分制度がなくなっていく、世は帝政主義から新しい世の中に変わりつつあった。そんな中でルノワールは、この映画を通して、全て同じ人間であり、国境を越えても、身分は違っても友情は分かち合える、また理解しえるといった人間ドラマを、この映画に投影していたのであろう。でもどちらかというとルノアールらしくないといえば言いすぎだろうか。ルノワールにしてはやや大人しい映画であり、ベタなヒューマンドラマに徹しすぎとは思うが・・・・・。それにしてもラウフェンシュタインを演じたエリッヒ・フォン・シュトロハイムの存在感が大きくて、ジャン・ギャバンでさえも食われている。

 映画の冒頭10分

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