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2009.10.13 (Tue)

ロドリーゴ・・・・・『アランフェス協奏曲』を聴く

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 今から40年近く前になるが女性用の服飾ブランドのCMでロドリーゴの『アランフェス協奏曲』の第2楽章アダージョが使われていた。残念ながら当時、ロドリーゴなんていう人を知らなかった。その後の調べで1901年、スペイン東部。地中海沿いのサグントに生まれた音楽家ということを知るに至った。でもとっくに故人であろうと思っていた。ところがである。今から10年ほど前になるだろうか。日本の若い女性クラシック・ギタリストである村治佳織が、テレビの番組中で何とホアキン・ロドリーゴ本人と対面して、本人の作曲した曲を演奏するといったところが映し出されていた。私はロドリーゴが生きていたということに驚嘆したのだが、それからまもなくロドリーゴは98歳で亡くなった。

 確かロドリーゴは幼いときに悪性ジフテリアが原因で失明したはず。なのに長生きというのが驚いた理由なのだが、スペインに住んでいるということが長生きの要素かもしれないが、スペイン人の芸術家の長生きというのは私の頭の中ではインプットされている既成概念なので、なかなか変えることは出来ない。アントニ・ガウディ73歳。ジョアン・ミロ90歳。パブロ・ピカソ91歳。サルバドール・ダリ84歳。パブロ・カザルス96歳。スペイン出身の著名な芸術家はおしなべて以上のような年齢で亡くなっている。最も早世する人もなかにはいるが、スペインを代表する上記の芸術家達に限ってはガウディの73歳以外は長生きである。要因は色々とあると思うが、おそらくスペインの温暖な気候とスペイン人の気質によるものと考えられるが、それでも90年生きるのは難しい。今でこそ日本は世界でも屈指の長寿国になったから90歳といっても驚かなくなったが、今から30年そこら前は、80年生きると長生きだと感心されたものである。でも幼い時に悪性ジフテリアに罹って失明したはずのロドリーゴが90年以上も生きているわけがないと私は思い込んでいた。だからロドリーゴが98歳まで生きていたというのが信じられなかったのである。

 さて、そんなロドリーゴであるが本来はピアニストだったらしい。盲目にもかかわらず音楽的才能に恵まれていて、20歳頃からすでに作曲に勤しんでいた。いくつか作品を発表しポール・デュカスから目をかけられ徐々に作品を発表していき、1938年にこの『アランフェス協奏曲』を完成。一躍、有名になったのである。題名は『アランフェス協奏曲』であるが、内容はギター協奏曲といってもよく、20世紀におけるギターという楽器の最高峰の協奏曲といってもいいだろう。その後、ギター協奏曲が多くの作曲家によって作られたものの『アランフェス協奏曲』ほど成功した例はないだろう。ポップスという分野において、ギターは大いに発展した楽器だが、ことクラシックというジャンルにおいてはマイナーな楽器でしかなく、そのことがロドリーゴの『アランフェス協奏曲』をより際立たせているものと考えられる。

 そもそもアランフェスとはマドリードから南へ50㎞ほどいった土地の名で、雨が少なく荒涼とした土地の多いスペイン中部の高原の中で、タホ川の恵みを受けたアランフェスは緑が豊な土地である。でも目が見えないロドリーゴは、夫人と共に訪れた際、夫人が語る情景に想像力を働かせ作曲意欲が湧いたものと思える。そしてギターのことが良く判らないロドリーゴは、マドリード音楽院でギター科の教授をしているレヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサの助言を受け作曲が進められ、1940年11月9日、バルセロナでレヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサのギター演奏により初演されたのである。

 ロドリーゴは情感豊なアランフェスの風景を、スペインの国民的楽器といってもよいギター協奏曲に仕上げたことで、スペインもとより世界中に旋律美と民族的彩を広めたといったも過言ではないだろう。これこそ日本人にとって行きたい国に必ず名前の挙がるスペインの心の協奏曲である。

 『アランフェス協奏曲』第2楽章の演奏。12弦ギター独奏はナルシソ・イエペス。

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