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2010.08.20 (Fri)

高校野球の思い出⑤

 1969年春、小生は久々に甲子園へ行った。1961年の夏以来である。前回は親父に連れられてだったが、この時は中学校の級友と行ったのである。ただ、前回と同様、浪商絡みであった。この年の選抜に浪商が久々に出場したので観にいったのである。それは2回戦だったと思う。浪商対三沢の一戦。級友が「三沢って何処?」って聞くほど馴染みのない学校であった。当然、初出場。青森県からやってきた三沢高校だが、白い帽子、白いユニフォーム、緑の文字と緑のアンダーシャツにストッキング。当時、黒か濃紺の文字、アンダーシャツ、ストッキングが当たり前だったから新鮮に見えたものであるが、級友は青森の学校なので、浪商が楽に勝てると思っていたらしい。でも1回戦で三沢は小倉高校を4対2で勝利をものにしている。楽な相手ではないはずだ。浪商は1回戦で日体荏原高校を相手にホームラン3本を含め16対1で圧勝していたから、三沢には勝てると思っても不思議ではなかったし、当時は北海道を含め、青森、秋田、岩手、山形といった東北の学校には勝って当たり前という雰囲気があったことは確かだった。ところがこの三沢高校は強かった。エースの太田幸司投手が本格派で大会屈指の好投手であったし、野手にも八重沢、菊池、桃井といった好打者が揃っていた。浪商は油断してはいけないぞと言っている間に三沢が2点を先取した。浪商は2点を返し延長戦になった。果てしない延長戦である。何回か忘れたが、裏の攻撃で三沢が一死満塁、ボールカウント・ノースリーのチャンスを迎えた。浪商絶体絶命のピンチ。これで浪商は負けると小生も級友も思い込み、帰り支度に取り掛かっていた。するとその時、浪商のピッチャー上田が、絶妙のタイミングで二塁に牽制球を投げた。ランナーは飛び出していてアウト。浪商は最大のピンチを切り抜け延長15回の表に2点を入れ4対2で勝った。でも小生の頭の中に三沢高校という名前がきっちり叩き込まれた瞬間であった。

 その年の夏、あの三沢高校が北奥府(青森、岩手)を勝ち抜いて甲子園にやってきた。あのハーフの本格派投手・太田幸司がより大きくなって甲子園に戻ってきた。この夏、三沢旋風が吹いた。前年が沖縄の興南旋風で、今回は北の三沢旋風か・・・・・・。渋い試合をするのだが、粘りで大分商業、明星、平安、玉島商業とすべて1点差で倒し、まさかとは思ったが決勝に勝ち上がってきた。一方は優勝候補筆頭だった松山商業であった。これは死闘になった。

 試合前は松山商業が勝つと予想した人が圧倒的に多かったように思う。技巧派の井上投手と控えに中村投手がいて、3番樋野、4番谷岡を中心に打線も強力で守備は鉄壁を誇っていた。だが太田投手の速くて切れのある球を松山打線は簡単に打てない。三沢もコントロールの良い技巧派井上投手に巧くかわされている。とうとうスコアーボードに0が18も並び延長戦に突入。でも淡々と試合は進むが両リームとも点が入らない。こういった展開の中で山場がきた。延長15回裏、三沢の攻撃。まず菊池が三遊間を破り出塁。高田が送りバント。ピッチャーの左側に転がるがそれをサードの谷岡がハンブル。これで無死1塁2塁。谷川が送りバント成功で一死2塁3塁。ここで松山商業は次打者を歩かせ満塁策をとる。三沢サヨナラのチャンス。松山絶対絶命のピンチ。井上投手は打者立花のスクイズを警戒してたちまちノーストライク、スリーボール。いよいよ三沢の勝利か・・・・・・。だが次の球がど真ん中のストライク。次の球はやや低めだった。ボールで押し出しサヨナラか・・・・・。でも郷司主審はストライク。ボールカウント2―3。次の球を投じた。カキーンと立花はバットを振った。ボールは井上のグラブをはじく。これで決まったと思ったら、前進守備をしていたショート樋野の正面にボールが来て、それを本塁へ返球。アウトアウトアウト。三沢の菊池は本塁憤死。これで二死になり次の打者がセンターフライで15回裏無得点。

 16回裏も山場が来る。三沢はヒット、エラーなどでまたも一死満塁のビッグチャンス。だが松山の監督一色はスクイズを見破った。見事にスクイズを外しピンチを脱した。死闘は18回終了で引き分け。翌日再試合となった。結果は皆さんはご存知であろう。だから翌日のことは書かないでおく。ところでこの試合、小生は友人と外野席で観戦していたので、とても疲れたがよくぞこんな試合を観れたことに対して感謝したものだった。とにかく1時に始まったのに終わったのが5時16分だったと記憶している。

 さて、ここまで高校野球の思い出を書いてきたが、これで最後にしようと思う。これ以降、小生は噂の江川を観に訪れ、作新学院VS柳川商業の試合を観戦しているし、あの箕島VS星稜の延長18回も甲子園で観ている。まあ、自慢するのでもないが、高校野球史上に残ると言われる試合を何試合か観ていることになる。これを幸運というのだろうか。観にいった試合が凡試合よりも好試合の方がいいのに決まっている。でも観にいく試合が不思議と延長戦になったり、もつれたりすることが多い。一方的にならないでシ-ソーゲームになることの方が多いので、観にいっている小生も驚くが、まさか小生に野球の神がついているのでもないだろうが、行く度にいい試合を見せてもらっている。これは選手に感謝しなくてはならないが、今後、甲子園に行くことも減っていくだろう。何故なら、最近は大味の試合が多くて、かつての小技で点をコツコツと取るような野球とは違いすぎて、10点リードでも今の高校野球は追いついてしまうことがある。それはあの金属バットという打ち出の小槌のせいである。非力な打者でも簡単にホームランになってしまう。これが高校野球の魅力を半減させたと小生は今でも思っている。そら清原なら木のバットでもホームランを打つだろうが、これだけ打高投低になってしまうと野球本来のきめ細かいプレーが疎かになる。そんなことよりもパワーを身につけ、遠くへ飛ばすことばかり指導者は考えているようなところがあり、どうも短絡的すぎるのではないだろうか。野球はホームラン以外にも見所はあるだろうに・・・・・・。

 今後も高校野球は続くだろうが、もう一度だけ観たいのは木のバットで繰り広げられる高校野球である。ホームランの応酬はもういい・・・・・・・・。


小生の拙文よりもこの映像を観てもらったほうが説得力があるだろう。









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