2010.10.11 (Mon)
ビートルズのアルバム『フォー・セール』を聴く
左がCDで、右がLP盤。LP盤は1970年に買ったものでアップル盤。アップル盤はステレオだが、その前に姉が買ったモノラルのオデオン盤も持っていた。オデオン盤はボロボロになるまで聴きまくったので、5年後にアップル盤を購入したのである。
とうとう我がブログでもビートルズを採り上げる。思えば私が洋楽を聴くきっかけになったのもビートルズなら、洋楽を熱心に聴かなくなったのもビートルズ解散以降のことである。だから私が最も西洋のポップスを聴いていたのは1960年台後半ということになる。そして、絶えずその中心であり、核だったのがザ・ビートルズである。
一昨日の10月9日はビートルズのリーダーだったジョン・レノンの生誕70年の日であった。あったといってジョン・レノンは1980年の12月8日、ニューヨークの自宅前でファンという男にピストルで撃たれ40歳で亡くなっているから本人は生きている訳でもない。でもよくベートーヴェン生誕200年だとかモーツァルト生誕250年だとかいってクラシック音楽の世界では記念コンサートが行なわれたり、記念アルバムが出たりする。それでそういった慣習に倣っていうならばジョン・レノン生誕70年ということになる。また1980年に亡くなっているので、死後30年ということもいえる。
ところで今回、記事にしたアルバムは『フォー・セール』である。本家のイギリスではビートルズ4枚目のアルバムとして1964年12月4日にリリースされた。デビューから2年を経過し、ビートルズがビートルズらしいサウンドを創作しだした頃のアルバムであり、これまでのアイドル・グループらしき様相から徐々に脱皮し、音楽性がより確かなグループになりつつあった頃である。収録曲は全14曲である。彼らのオリジナルも8曲となり、初期のアルバムの頃と同様、そこへカバー曲が加わっている。ただし初期の頃のビートポップス的な曲から進化し、明らかにビートルズ・サウンドらしきものが現れより曲が洗練されている。
収録曲は『No Reply』『I’m A Loser』『Baby’s In Black』『Rock And Roll Music』『I’ll Follow The Sun』『Mr. Moonlight』『Kansas City~Hey,Hey,Hey』『Eight Day’s Week』『Words Of Love』『Honey Don’t』『Every Little Thing』『I Don’t Want To Spoil The Party』『What You’re Doing』『Everybody’s Trying To Be My Baby』以上である。
頭の『ノー・リプライ』を初めて聴いた時、衝撃を受けた。いきなりのジョン・レノンがシャウトして曲が始まるが、ビートルズが本当にビートルズらしくなりオリジナル性を発揮した曲の代表であろう。私にとっても『ノー・リプライ』はジョン・レノンによる珠玉の名曲である。ビートルズの中でも好きな曲の一つであり、何時聴いても新鮮な気持ちで聴けて、今でもこの曲を聴くと心が洗われる。『アイム・ア・ルーザー』は、ジョン・レノンがボブ・ディランを意識して書いたとされるが、ボブ・ディランをビートルズが意識していたというのも面白い。『ベイビーズ・イン・ブラック』ジョンとポールの共作だという。ビートルズにしては珍しい12拍子。『アイル・フォロー・ザ・サン』はポールの作。ポールお得意のバラード。この曲も私はよく鼻歌で歌ったものだが。
LPではB面の頭になるが、『エイト・デイズ・ア・ウィーク』はジョン、ポールの共作で、如何にもビートルズらしいメロディラインで、イギリスではシングル盤は発売されずアメリカでシングル盤が出された。そして当然のようにヒットチャート1位を記録。『エヴリー・リトル・シング』ジョン・レノン作の可愛らしい曲。ドラムスではなくティンパニをリンゴが叩いていて、リードをジョージではなくジョンが弾いている。ところでエヴリ・リトル・シングというと私よりもずっと若い世代では日本のグループ名だという。でも我々より上の世代では誰もグループ名を連想しない。やはりビートルズの曲名を連想してしまう。もっとも日本のグループも名前をビートルズの曲名から頂いたのだろうが・・・・・。『アイ・ドント・ウォント・トゥ・スポイル・ザ・パーティ』は『パーティはそのままに』という本題がついているが、当時は邦題がつけられることが多かった。ジョンとポールの共作で明るく楽しい曲である。『ホワット・ユー・ドゥーイング』はポールの曲で、片手間で作ったのかポールはあまり覚えてなく、ジョンが作ったといったらしい。
以上がビートルズのオリジナルで、残りの曲はカバー曲である。実を言うとビートルズは全てをオリジナルにしたかったらしいが、1964年というとビートルズの人気が絶頂であった。この年の9月21日にアメリカ公演から帰国し、10月9日からはイギリスの国内ツアーが控えていた。そんな中でレコーディングが開始され、それもEMIの強い要望でクリスマス商戦にアルバムを出すことになり、短期間の間に作曲せねばならなかったが、8曲は用意したが、アルバムを出すには曲が少ないということで残りがカバー曲になってしまったのである。
『ロック・アンド・ロール・ミュージック』はいわずと知れたチャック・ベリーの曲。ジョンのヴォーカルで光っているが、この曲は来日公演でオープニングを飾った曲として有名であり、またザ・ピーナッツが紅白歌合戦で『ピートルズ・メドレー』として歌っていた。・・・・恋をするならロックン・ロール・ミュージック・・・・・と、だから私はビートルズの曲かと思っていたぐらいだ。『ミスター・ムーンライト』も印象的な曲である。オリジナルはドクター・フィールグッド&インターンズだが、ほとんどの人はビートルズの曲と思い込んでいるようだ。あと『ハニー・ドント』『エヴリバディズ・トライング・トゥ・ビー・マイ・バイビー』は等ブログでも何年か前に記事で紹介したことのあるカール・パーキンスの曲である。でもカール・パーキンスの曲をビートルズは幾つかカバーしているが、それはジョージ・ハリスンがカール・パーキンスのファンだったからでもある。
さて、このアルバムを久しぶりに聴き返して感じたことであるが、このアルバムまで、ビートルズはジョンのバンドであるということが窺える。それが次の『ヘルプ!』あたりからポール・マッカートニーが才能を発揮しだし、次第とポール中心のバンドとなっていくのが判る。そしてただのビートポップ・グループから真のミュージシャン、アーティストとしての評価が段々となされるようになるのである。
『ノー・リプライ』の演奏。動画はなし。
1966年6月、ビートルズ来日時のコンサート。E・H・エリックの司会のあとに登場したビートルズがオープニングで『ロックン・ロール・ミュージック』を歌う。残念ながら、この日のジョン・レノンは声のはりがない。
この初日の武道館でのコンサート。テレビで生中継され、姉と一緒になって歌っていた覚えがある。もう、44年も前のことになった。
とうとう我がブログでもビートルズを採り上げる。思えば私が洋楽を聴くきっかけになったのもビートルズなら、洋楽を熱心に聴かなくなったのもビートルズ解散以降のことである。だから私が最も西洋のポップスを聴いていたのは1960年台後半ということになる。そして、絶えずその中心であり、核だったのがザ・ビートルズである。
一昨日の10月9日はビートルズのリーダーだったジョン・レノンの生誕70年の日であった。あったといってジョン・レノンは1980年の12月8日、ニューヨークの自宅前でファンという男にピストルで撃たれ40歳で亡くなっているから本人は生きている訳でもない。でもよくベートーヴェン生誕200年だとかモーツァルト生誕250年だとかいってクラシック音楽の世界では記念コンサートが行なわれたり、記念アルバムが出たりする。それでそういった慣習に倣っていうならばジョン・レノン生誕70年ということになる。また1980年に亡くなっているので、死後30年ということもいえる。
ところで今回、記事にしたアルバムは『フォー・セール』である。本家のイギリスではビートルズ4枚目のアルバムとして1964年12月4日にリリースされた。デビューから2年を経過し、ビートルズがビートルズらしいサウンドを創作しだした頃のアルバムであり、これまでのアイドル・グループらしき様相から徐々に脱皮し、音楽性がより確かなグループになりつつあった頃である。収録曲は全14曲である。彼らのオリジナルも8曲となり、初期のアルバムの頃と同様、そこへカバー曲が加わっている。ただし初期の頃のビートポップス的な曲から進化し、明らかにビートルズ・サウンドらしきものが現れより曲が洗練されている。
収録曲は『No Reply』『I’m A Loser』『Baby’s In Black』『Rock And Roll Music』『I’ll Follow The Sun』『Mr. Moonlight』『Kansas City~Hey,Hey,Hey』『Eight Day’s Week』『Words Of Love』『Honey Don’t』『Every Little Thing』『I Don’t Want To Spoil The Party』『What You’re Doing』『Everybody’s Trying To Be My Baby』以上である。
頭の『ノー・リプライ』を初めて聴いた時、衝撃を受けた。いきなりのジョン・レノンがシャウトして曲が始まるが、ビートルズが本当にビートルズらしくなりオリジナル性を発揮した曲の代表であろう。私にとっても『ノー・リプライ』はジョン・レノンによる珠玉の名曲である。ビートルズの中でも好きな曲の一つであり、何時聴いても新鮮な気持ちで聴けて、今でもこの曲を聴くと心が洗われる。『アイム・ア・ルーザー』は、ジョン・レノンがボブ・ディランを意識して書いたとされるが、ボブ・ディランをビートルズが意識していたというのも面白い。『ベイビーズ・イン・ブラック』ジョンとポールの共作だという。ビートルズにしては珍しい12拍子。『アイル・フォロー・ザ・サン』はポールの作。ポールお得意のバラード。この曲も私はよく鼻歌で歌ったものだが。
LPではB面の頭になるが、『エイト・デイズ・ア・ウィーク』はジョン、ポールの共作で、如何にもビートルズらしいメロディラインで、イギリスではシングル盤は発売されずアメリカでシングル盤が出された。そして当然のようにヒットチャート1位を記録。『エヴリー・リトル・シング』ジョン・レノン作の可愛らしい曲。ドラムスではなくティンパニをリンゴが叩いていて、リードをジョージではなくジョンが弾いている。ところでエヴリ・リトル・シングというと私よりもずっと若い世代では日本のグループ名だという。でも我々より上の世代では誰もグループ名を連想しない。やはりビートルズの曲名を連想してしまう。もっとも日本のグループも名前をビートルズの曲名から頂いたのだろうが・・・・・。『アイ・ドント・ウォント・トゥ・スポイル・ザ・パーティ』は『パーティはそのままに』という本題がついているが、当時は邦題がつけられることが多かった。ジョンとポールの共作で明るく楽しい曲である。『ホワット・ユー・ドゥーイング』はポールの曲で、片手間で作ったのかポールはあまり覚えてなく、ジョンが作ったといったらしい。
以上がビートルズのオリジナルで、残りの曲はカバー曲である。実を言うとビートルズは全てをオリジナルにしたかったらしいが、1964年というとビートルズの人気が絶頂であった。この年の9月21日にアメリカ公演から帰国し、10月9日からはイギリスの国内ツアーが控えていた。そんな中でレコーディングが開始され、それもEMIの強い要望でクリスマス商戦にアルバムを出すことになり、短期間の間に作曲せねばならなかったが、8曲は用意したが、アルバムを出すには曲が少ないということで残りがカバー曲になってしまったのである。
『ロック・アンド・ロール・ミュージック』はいわずと知れたチャック・ベリーの曲。ジョンのヴォーカルで光っているが、この曲は来日公演でオープニングを飾った曲として有名であり、またザ・ピーナッツが紅白歌合戦で『ピートルズ・メドレー』として歌っていた。・・・・恋をするならロックン・ロール・ミュージック・・・・・と、だから私はビートルズの曲かと思っていたぐらいだ。『ミスター・ムーンライト』も印象的な曲である。オリジナルはドクター・フィールグッド&インターンズだが、ほとんどの人はビートルズの曲と思い込んでいるようだ。あと『ハニー・ドント』『エヴリバディズ・トライング・トゥ・ビー・マイ・バイビー』は等ブログでも何年か前に記事で紹介したことのあるカール・パーキンスの曲である。でもカール・パーキンスの曲をビートルズは幾つかカバーしているが、それはジョージ・ハリスンがカール・パーキンスのファンだったからでもある。
さて、このアルバムを久しぶりに聴き返して感じたことであるが、このアルバムまで、ビートルズはジョンのバンドであるということが窺える。それが次の『ヘルプ!』あたりからポール・マッカートニーが才能を発揮しだし、次第とポール中心のバンドとなっていくのが判る。そしてただのビートポップ・グループから真のミュージシャン、アーティストとしての評価が段々となされるようになるのである。
『ノー・リプライ』の演奏。動画はなし。
1966年6月、ビートルズ来日時のコンサート。E・H・エリックの司会のあとに登場したビートルズがオープニングで『ロックン・ロール・ミュージック』を歌う。残念ながら、この日のジョン・レノンは声のはりがない。
この初日の武道館でのコンサート。テレビで生中継され、姉と一緒になって歌っていた覚えがある。もう、44年も前のことになった。
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