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2012.05.14 (Mon)

チャーリー・パーカーのアルバム『チャーリー・パーカー・ストーリー・オン・ダイアルVol.1』を聴く

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 このCDはダイアル・レコードという西海岸に存在したレコード会社が第2次大戦後の1946年2月から1947年2月にかけて録音した中から集められているもので、全19曲収められている。録音自体は古いが中身は濃く、新しいスタイルのジャズが登場した時代の期待感で埋まっているアルバムと言えそうだ。そもそもダイアル・レコードと言うのは1946年に誕生したばかりのレコード会社であった。というのもオーナーであるロス・ラッセルがチャーリー・パーカーの熱狂的支持者だったからに他ならないのだが、ことの起こりは1945年夏にロン・ラッセルがオープンさせたレコード店で客同士がトラディショナルなジャズと新しいビ・バップとの違いについて論争していた。それがやがて当レコード店はビ・バップ支持者のたまり場となり、何時の間にか伝統的ジャズの支持者だったロン・ラッセルまでが新しいジャズであるビ・バップに魅せられてしまったのである。そして1945年12月にディジー・ガレスピー、チャーリー・パーカー等のバンドがウェスト・コーストで公演を行った。この公演はロサンジェルスで3週間行われたが、西海岸のジャズ・ファンやミュージシャンはすっかり、このビ・バップの虜になったと言われる。こうしてビ・バップは当時の若者を中心に熱狂的支持を得ていくのである。

 こうしてレコード会社を立ち上げたロン・ラッセルはチャーリー・パーカーに1年間の専属契約を結び(その後延長)、録音を開始することになるが、問題児チャーリー・パーカーのことである。これがすんなりといく筈がない。どうにかディヒー・ガレスピー、チャーリー・パーカー、ラッキー・トンプソン、グレッグ・ハンディ、アーヴィン・ギャリソン、、レイ・ブラウン、スタン・リーヴィのメンバーで『ディギン・ディズ』を録音したものの、その後がいけない。翌日の2回目の録音をチャーリー・パーカーはすっぽかしてしまい、ニューヨークへ帰る飛行機のチケットを換金しヘロインを買ってしまう。帰れなくなったチャーリー・パーカーは仕方なくロサンジェルスのクラブに出演して旅費を稼ごうと考える。すると同時期にマイルス・デイヴィスが運良くロサンジェルスに滞在していたので、一緒にフィナーレ・クラブで演奏する。そして、クラブの録音メンバーを集めて当アルバムの2曲目から6曲目を録音することとなる。『ムース・ザ・ムーチェ』『ヤードバード組曲』『オーニソロジー』『ザ・フェイマル・アルト・ブレイク』『チュニジアの夜』である。この時のチャーリー・パーカーは狂気ぶり治まって純粋に音楽的な才気だけで突っ走っていて、流石のマイルス・デイヴィスも影が薄い。

 続くセッションっは7月に行われたチャーリー・パーカーは例によって栄養失調とアルコール中毒と判断され、どうにか『マックス・メイキング・ワックス』『ラヴァーマン』『ザ・ジプシー』『ビバップ』の4曲を録音するが、チャーリー・パーカーは奇行を繰り返し精神病患者と診断を受け州立病院に収容されてしまうのである。

 1947年の1月にロン・ラッセルが後見人になってチャーリー・パーカーはようやく社会復帰する。其れから間もなく3回目の録音がなされた。このときはヴォーカルのアール・コールマンとピアニストで後に『ミスティ』の作曲者として有名になるエロル・ガーナーが加わって『ジス・イズ・オールウェイズ』『ダーク・シャドウズ』『ホット・ブルース』『クール・ブルース』が録音された。

 4回目のの録音はそれから7日後に行われチャーリー・パーカーが4曲の自作を持ってくる筈が1曲のみにとどまり他はトランペッターのハワード・マギーがオリジナル曲を用意するというチャーリー・パーカーのがまた失態を演じている。だが録音は巧く行き、ワーデル・グレイ、バーニー・ケッセル等の西海岸の若手ジャズメンにチャーリー・パーカーが多大なる影響を与えていることが窺える。今日ではモダン・ジャズの創始者の1人として語られることが多いチャーリー・パーカーーであるが、このアルバムを収録し終わって僅か8年後に亡くなってしまうのである。1955年5月9日、胃潰瘍からの出血により呼吸困難となり死にいたったのである。享年34歳。あまりにも早すぎる死であるが、アルコールと麻薬中毒が彼の死を早めたとしか言いようがなく自業自得ではるが、音楽的に早熟であったがそれ故、精神的には未熟だったのかもしれない。


チャーリー・パーカー『Yardbird suite』(音声のみ)・・・ヤードバードとはチャーリー・パーカーの仇名である。

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