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2018.05.18 (Fri)

暑すぎる

 一昨日ぐらいから暑い。まだ5月なんだと言うことを忘れてしまう。その前は雨が降ってひんやりしていたのに、急激に暑くなるから身体がついていかない。もう二ヶ月先に進んだような気温だ。それに加え湿気が凄い。70%ぐらいあるのだろう。カラッとしてないから蒸暑くて夜中でも気温が下がらない。寝苦しくて布団も被ってられない。これは堪えるな。外へ出歩いていると額や背中が発汗する。これはもう夏だな。梅雨を通り越して夏の感覚なんだが今年は梅雨が早いという。もうすでに梅雨前線が南の海上に張り出しているから沖縄方面では梅雨に入ってるそうな。それにしても今年は極端だな。暑いか寒いか。この前にも暑くなったが、その後は冷えた。それで今度はこの暑さ。中間がない。つまりちょうど良い季候が少ないってこと。冬と夏が同居しているようなもの。明らかに昔より気候にメリハリがつきすぎている。特に暑くなっていることは間違いない。小生は昔から夏が嫌いなのに、最近は早めに夏が来て何時までも秋が来ないから年々、住み辛くなっていくなあと考える今日この頃なんだが、今に始まったことではないかな。

EDIT  |  20:20  |  ちょっとした日常  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2018.05.12 (Sat)

今年の2000ギニーSaxon Warriorが勝つ

 最近は競馬の記事なんて書くこともないが今回は本場イギリスのクラッシックレースを史上初めて日本産馬が勝ったので記事にしてみた。馬名はサクソンウォリアー。アイルランドのクールモアスタッドのグループが所有する馬である(クールモアとはオーナーが違うので服色が異なる)。この有名なグループが何故に日本産馬を所有するのかというのは、実は父がかのディープインパクトであるからだ。ただし母はGalileoの子Maybe。メイビーは名門エイダン・オブライエン厩舎所属の牝馬で9戦5勝。GⅠは1勝だが2歳時の2011年に5連勝したという記録がある。さてこのメイビーはクールモアスタッドが所有したが、何と最初の種付けに選んだのが日本のディープインパクトだった。ヨーロッパでは珍しい血統だから選んだのかも知れないが、ヨーロッパのタフな馬場に合うかは別の問題だ。でも日本に渡り最初の仔は牝馬。この馬はアイルランドで競走馬になったが1勝止まり。そして2番目の仔がサクソンウォリアーであった。サクソンウォリアーは2015年1月26日に北海道早来のノーザンファームで生まれ10月まで過ごし、そこからアイルランドに渡りエイダン・オブライエンに預けられ2歳の8月にデビュー。2歳時はGⅠのレーシングトロフィーで先頭に立ちながらRoaring Lionにいったん差されるもののゴール前で再び伸びて勝った。これで3戦全勝して2歳時は終わり。
 3歳初戦が先日の5日行なわれた2000ギニーだった。この伝統ある英国のクラシック路線に進み、14頭立ての2番人気だったが中団待機から最後に抜け出して追い込み勢を防いで1分36秒55のタイムで2着Tip Too WinにⅠ馬身半差をつけて優勝。これにより英国ダービーでの人気も跳ね上がった。でも英国ダービーに出るのかなと言うのが小生の感じるところである。でも伝統ある本場のクラッシックレースを日本産馬が勝ったというの讃えられてもいいと思う。たとえ種付けだけが目的だったとはいえ母のメイビーは日本に数年間はいたのだから。
 でも力のいる馬場のヨーロッパでもマイルなら十分ディープインパクトの血は通用すると言うことだ。ただ絶対数が少ないから勝ってないが。もっともエイシンヒカリというディープインパクトの産駒で日本で走っていた競争馬がフランスのGⅠイスパーン賞(1800m)を逃げ切り楽勝したことがある。だからアイルランドで調教され英国で走っているディープインパクト産駒は日本で走っているディープインパクト産駒とはすべてが同じということもないので今後、どうなるか注目していきたいと思う。


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2018.05.06 (Sun)

 3日から昨日までの3日間

 GW終盤の昨日までの3日間は何をしていたかというと音楽三昧になってしまった。と言うと知っている人は知っていると思うが、5月3日から4日と昨年までは高槻JAZZ STRETが2日間行なわれていた。それが今年は開催20周年と言うことで3日間開催となった。そして、今年は風が強く天候もあまり安定しなかったので野外の演奏は敬遠して、出来る限り室内のコンボ演奏を中心に回ろうと思った。だがほとんどの会場が午後の1時スタート。これを知らず午前に行ったのだが待ち時間が長すぎる。しょうがないので早めに飯を食って行列のある所は行かず意外と空いているところへ足を運ぶ。
 コンボの演奏はいいね。コンボなんてジャズ好きしか行かないから。素人の聴衆は学生のビッグバンド及び吹奏楽団を聴きに行く場合が多い。これは会場が大きいから大勢入れるというのもあるが、小生は吹奏楽のジャズ演奏が大の苦手というより大嫌い。吹奏楽団は吹奏楽の曲かマーチをやってればいいのに、最近は何でも演奏するがもう一つ様になってないと痛感する。でも大勢の人はビッグバンドも吹奏楽も同じと思っているみたい。区別がついてないのかな。ビッグバンドは聴くが吹奏楽のジャズ演奏は聴く気が起こらない。リズムが違うと言うよりグルーヴ感がない。それに人数が多すぎる。音の重圧感だけは凄いものの音色が違う。これをジャズだと思ってもらっても困るのだが・・・・。
 一般的にどこやらの高校の吹奏楽のシング・シング・シング(演奏会で必ず演奏している)に人気があってYou Tubeの視聴回数が何十万回、何百万回もあり書き込みも美辞麗句で大勢埋め尽くされていて驚愕するのだが小生が聴くと何かが違う。でもほとんどの人はこれがジャズだと思っているのかもしれない。一応、吹奏楽用にビッグバンド風の楽譜が出回って今やビッグバンドの曲よりも吹奏楽の曲になってしまった。それに日本ではジャズのビッグバンドよりジャズの曲をやっても吹奏楽団の演奏の方が人気が遥に高いんだろうなあ。そういう理由もあってコンボを中心に観に行ったのである。でもほとんどの会場が狭いので人ゴミの頭の上から聴く場合もある。でも腕は確かな人が多い。各会場でコンボを何箇所か行く。3日から4日の2日間で10数カ所聴いた。トリオからクインテットが多い。プロもいるしセミプロもいる(敢えて名前は書かない)。社会人や大学生の混ざったバンドもある。こちらはどこもソロが長い。ただなじみの曲があっても各自、ソロでかなり自由に演奏するのでその曲だと思わない。これこそジャズなんだけど・・・・・。吹奏楽みたいに楽譜通りに演奏。ソロは耳で覚えるか楽譜に書いたものを暗譜する。一方、高度なコンボになると毎度同じフレーズってことはない。アンサンブル重視な吹奏楽とコンボとは基本的に違う。コンボは一つの楽器が1人ずつ。従ってソロも長くアドリブも多い。なので同じ曲を聴いても演奏は異なることが多い。こうして一昨日の夜の11時過ぎまで聴いていたから帰宅が遅くなってしまった。
 そして昨日は滋賀県の大津まで行くつもりだった。それはラ・フォル・ジュルネびわ湖が昨年で終わり、今年から近江の春びわこ音楽祭としてスタート、開催が5月3日から5日まで高槻のジャズストと被る、まあこれは例年通りなのだが、今年は5日だけジャズ辞めてクラシックを聴きに行くかと考えた。5日のびわ湖大ホールの午後に大フィルが大植英次指揮でショスタコーヴィチの交響曲5番を演奏するというのでチケットの当日券を手に入れるために朝早く行こうと考えていた。だが起きたのが遅く朝の8時半。もう諦めた。びわ湖ホールまでは遠い。JRで膳所まで行ってそこから京阪石山坂本線に乗り換えて一駅。そこから歩くと我家からどれぐらいかかるかな。前にラ・フォル・ジュルネびわ湖でベルリオーズの幻想交響曲を聴きに行くときは朝の8時に家を出てチケットを手に入れたのだが、もうこの時間から急いで身支度して出かけていって当日券がもし手には入らなかったらバカらしいのでやめた。
 しかたなく買い物するものがあって大阪の梅田まで行った。昼になってまた回転寿司に入る。今度は隣2人が白人女性。最近は本当に外国人が多い。しかし待てども待てども鉄火巻きだけが流れてこない。しょうがないので鉄火の注文をした。そのとき手渡されたんだけど手元が狂い、皿が斜めになり鉄火の2巻がカウンターの上に転がった。となりの白人女性達が驚いた模様。小生は「I’m sorry」と言ったら彼女たちと目が合った。若い女子達だ。そのとき「Come from」と咄嗟に出てしまった。「Italy」と言った。イタリア人かと思い最近はヨーロッパ各所から来ているんだと思った。前はクロアチアから来ている人にも会ったがイタリア人は珍しくはない。ただ日本人の悪い癖で白人とみるやアメリカ人と思いがちなんである。どうりで2人の会話が英語ではないとは思っていた。イタリア語だったんだ。スペイン語にも聞こえたからオレのヒアリングも大したことないが・・・・。
 買うものを買ったので帰ろうと大阪駅に向かい、エスカレーターで3階に上がろうとしたが考えことをしていたのか5階に上がってしまった。5階は大阪駅の大屋根の直ぐ下で広場になっている。ここで音楽が聴こえた。何だろうと思い近づくと日本センチュリー交響楽団の4人の奏者が演奏していた。ヴァイオリンとフルートとホルンとドラムス。なんだか妙な組み合わせだな。ヴァイオリンとフルートはメロディを奏でる。ドラムスはリズム。だがホルンって微妙だな。難しい楽器で音が安定しない。が、トランペットでは音がやかましい。トロンボーンは音が低い。チューバもそうだが。まあいいかと思ったが、やっていた曲はスタジオジブリの作品が中心で『千と千尋の神隠し』『天空の城ラピュタ』『魔女の宅急便』と久石譲、木村弓の作品に渡辺岳『アルプスの少女ハイジ』、大野雄二『ルパン三世のテーマ』。クラシックからハイドンのロンドントリオ第1楽章と演奏。最後に葉加瀬太郎の『情熱大陸』でほぼ30分。こういった無料コンサートを開催していた。しかし、小生、音楽が聴こえるとすぐに聴いてしまうな。ということでこの3日間、すべてただでプロ及びセミプロの演奏を聴かせてもらった。
EDIT  |  10:27  |  ちょっとした日常  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2018.04.29 (Sun)

中国人と韓国人がますます増えている

 朝から暑いね。もういつの間にやら4月の終りになっている。今年の4月は雨の降る日が少ないのに降るときはバカみたいに降る。気温の差も激しい。はっきり言ってあまり春らしくなかった。晴れれば夏のよう。雨が降ったときは冬のような気温まで下がる。極端すぎるではないか。それで昨日からゴールデンウィークに入ったのかな。どこもかしこも人でいっぱいになるだろうな。小生は人の多いのが苦手なのでだんだんと出不精になってくる。かといって出て行かないわけにも行かないので出て行くが、最近は阪急でもJRでも各駅停車なのに人が多いね。先日、平日の昼間に乗ったのに席があまり空いてない。えっと思った。阪急の場合はサイドシートなんだが乗った車両が混雑してた。それも通路にキャリーケースが10個ぐらい並んでいる。なんだこりゃ。邪魔でしょうがない。どうやら中国人が大勢乗り合わせていたのだ。それも河原町行きの各停である。彼等は何時もキャリーケースを持ち歩いて移動するのか電車の中でも必ずシートに座って前に置く。それがロングシートがサイドに分れているが、両サイドに10人ぐらい腰掛けて前に置いているから通路が狭くて通れない。これに乗って京都市内まで行くのかな。彼等はJRでもそうだが特急、急行、快速の類いは乗らないみたい。こららの電車は混んでいるので座れない。それなら時間はかかっても確実に座っていける各停に乗った方が楽できると思ったのか知れない。この数年よく見かける光景になったが、だんだんと数が増えてくるから嫌になる。
 それと韓国人が最近は中国人に負けてないほど増えてきたな。阪急でもJRでも大阪~京都をやはり各停で行くのだ。彼等は中国人と違いキャリーケースを持ち歩かないから通路が通れなくなるってことはないけど、郊外型電車なら各停で行く種族特性があるみたいだ。そもそもソウルには地下鉄網がこの30年で急激に発達したから阪急でもJRでも1時間以内で行けるところなら各停になる癖がついているのかも知れない。つまり私鉄のないソウルと一緒で阪急も地下鉄感覚で乗る。もっとも阪急は地下鉄堺筋線と総合乗り入れしているからそのまま京都に行くときに乗っているのかも知れない。それとも郊外型電車の特急だとか急行だとか快速だとかの感覚がわからないのかも(韓国も新線でようやく急行が走り出したので、日本のシステムのように複雑になっていくみたいだが、ソウルの地下鉄で同じ駅にもかかわらず方向先で改札が違うところが多いのは面食らう)。
 日本の電車って全て特急券がいる思っているのかも知れない。いるところもあるが私鉄の多くは乗車券だけで特急に乗れるところが多い。ただこれらの電車は混んでいるからな。そのせいか各停は特急待ちするために大きな駅に来ると待避線で待ち特急が先に出ることが多い。それを韓国人は不安に思うのかよく駅員にそういった駅に来ると訪ねていることが多い。正直言って日本の都市の鉄道システムはソウルより遥かに複雑であるから判りにくいだろ。下手したら何処に行ってしまうから判らないからな。
 それはそうと先日の土曜日、大阪の千日前から道頓堀を通った。久しぶりなんだが、日本人より外国人の方が多いじゃないか。ここまでなっているとはしらなかった。100人いたら60人は外国人。いやそれ以上かも。中国人や韓国人が多いのは判っている。もちろん西洋人もいるし中韓以外のアジア人もいる。中韓系の人は最近、外見でほぼ判断できるようになったから大体あっていると思う。時々、日本人に似た人を見かけるが近づくと日本語じゃなかった。まあここは大阪でも外国人が多く訪れる繁華街だからしょうがないか。だから最近はこちら方面にいきたくなくなったのだ。梅田近辺は外国人比率が少ないけどそれでも多い。こちらは白人が目立つ。
 酷いのは天神橋筋の商店街だ。あんな地元民しか行かない庶民的な商店街にアジア人観光客がウロウロしている。どうなってるのだ。この前、久しぶりにカウンター(20人ぐらいは入れる)だけの回転寿司店に入った。えらい混んでいるなあと思い一番奥の席に案内された。そしてよく見るととなりの5人は韓国人。その他の席もよく見ていたら韓国人と中国人ばかり。日本人は小生入れて3人ぐらい。いや驚いた。
 それはそうと端の席で隣はトイレ。中国人の女が用を足しに入ったのはいいが出た後は扉を開けっ放しにする。仕方なく小生が扉を締める。すると今度はその子供らしい男の子がトイレに入る。そしてまた開けっ放し、そして、また小生が締める。すると今度は主人らしい男がトイレに入る。そしてまた開けっ放し。こちらは寿司食っているのに横で便器なんか見たくもない。用を足せば扉を閉めろよと言いたい。流石に頭にきて店員に文句を言ってやった。すると「すみません。今度トイレのドアに中国語で張り紙しときます」と言われた。そのやりとりを見ていたのか、となりの韓国人の女が「チューコクチン、コマリマスネ」と小生に言ったので苦笑した。いや、あんたらも日本に来すぎだよ。嘘で固めた捏造歴史で徹底した反日教育をしているのに大嫌いな日本によく来るよ。あーあ、慰安婦問題、独島問題ばかり取り上げる国と南京大虐殺を大袈裟に誇大報道する国からあきれるほど大勢、日本へ観光に来る。どうなってるのと感じた。
EDIT  |  10:43  |  その他  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2018.04.22 (Sun)

ウェス・モンゴメリーのアルバム『フルハウス』を聴く

 ウェス・モンゴメリーというジャズのギタリストがいた。いたってことは既に故人になっているっとことだが、亡くなったのが1968年6月15日と言うからほぼ50年前である。でもジャズのギタリストってまず第一に名前が挙がるのがこの人だからな。ジャズ界においてギターってのはいかに日陰の存在であったかが判る。ジャズのギターってビッグバンドでは存在するがコンボではあまり出てこないからさほど目立たないのだろう。実際に彼もジャズ界の世界で頭角表すのは1960年と遅い。彼は1923年生まれだから37歳の時である。このときはキャノンボール・アダレイが彼の演奏を観て気に入りレコーディングさせたアルバム『The Incredibke Jazz Guitar Of Wes Montgomery』で評判を呼び、彼は一気にジャズのギタリスト界で有名になる。それまで彼は生まれたインディアナポリスのローカルなジャズギタリストにしか過ぎなかったのである。もっとも彼は兄と弟と組んだザ・モンゴメリー・ブラザーズというジャズ・トリオでアルバムも出している。しかしアメリカは広い。いい腕を持っていてもジャズの辣腕ミュージシャンは数知れない。彼が有名になるわけがない。ましてやジャズでは地味なギタリストである。ただ彼の奏法は変わっていてオクターヴ奏法だが彼は親指1本で弦を弾くのである。だから音色が他のギタリストとは異なる。つまりベーシストのような音色のギタリストであった。これは彼が深夜しか練習する時間がなく煩い音を出せなかったからピックを使わず指で弾いていたことによるものである。ウェスは有名なミュージシャンにありがちな薬や酒、女に溺れることもなくただ真面目に朝から夕方近くまで労働者として働き、その後はバンド活動を行なっていたのである。こんな生活が長く続きキャノンボール・アダレイに見いだされるまでジャズでの演奏だけでは食っていけなかったのだろう。ただ一度、ライオネル・ハンプトン楽団の一員になり全米を回っていたのである。これは1948年から1950年のことで彼が25歳から27歳の頃であった。ただ彼は大の飛行機嫌い(小生と一緒だ)。結局、2年で楽団を辞めてしまいインディアナポリスの引っ込んでしまう。こうして細々と演奏活動をしていたときに彼の名が拡がり、一躍ジャズギタリストの寵児となる。
 そして当アルバム『フルハウス』を1962年に出すのである。メンバーはウェス・モンゴメリー(ギター)、ジョニー・グリフィン(テナー・サックス)、ウィントン・ケリー(ピアノ)、ポール・チェンバース(ベース)、ジミー・コブ(ドラムス)という豪華なメンバーである
収録曲は『Full House』『I’ve Grown Accustomed To Her Face』『Blue’N’Boogie』『Cariba』『Come Rain Or Come Shine』『S.O.S』『Born To Be Blue』で、これはバークレーでのライヴ録音でありウェスのギターが冴え渡っていて名盤として通っている。ウェスが世に出るやこの独創的なギター奏法はジャズギタリストに影響を与えることとなるが簡単に真似が出来るものではない。ロックギタリストにもその影響力は及んだが、ほとんどのエレキギタリストはピックで弾くから音色が変わってくる。やはりこの音はウェスしか出せないのだ。
 最もウェスは兄にギターを買ってもらい独学で学んだと言うからやはり唯一無二の存在なのだろう。彼はギターの先輩チャーリー・クリスチャンのレコードを聴き漁り20歳の頃には完全にコピーできるまでになったという。ところでこの『フルハウス』が出た頃、彼はジャズギター界で飛ぶ鳥を落とす勢いだったにも関わらず、何故かポップスの曲をアルバムで出すようになる。ビートルズの曲を出したのもこの後で、彼にとってはジャズ界ポップス界とあまりこだわっていなかったようだが、残念なことに彼はジャズが変わりつつあった1968年に心臓発作で亡くなっている。まだ45歳だった。これは若いときの無理な労働が後年まで響いているとも言われているが・・・。
 ところで小生がウェス・モンゴメリーの名を知ったのもビートルズの『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』を発表してからである。そのときにジャズのギタリストだと聴いて驚いた覚えがある。当時イージーリスニング風の曲を多数録音し色々と批評もあったようだが、彼は彼で考えていたのだろう。当時はロックが全盛でジャズ界は曲がり角に来ていたからな。小生が中学から高校にかけての頃だったが。


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2018.04.22 (Sun)

早くも暑いな

  この3日ほど暑いな。その前は朝はひんやりしてい日中も暑くなく4月らしかったのに一昨日ぐらいから一気に夏が来たかのような暑さ。4月の今頃でこの気温は確かにおかしい。最近は5月で初夏のような気温の日が多くなってもう5月から夏模様だなと思っていたのだが、今年はとうとう4月から夏模様か。暑いのは嫌いだからそれだけ嫌な季節が増えてきたってことだな。小生が小学生の頃は夏って夏休みの間だけだったって記憶があるのdが。当時はエアコンなんて家になかった。あるのは扇風機ぐらいで小学校定低学年の頃は蚊帳をつって寝ていたのだ。これを今すると間違いなく熱中症になることは間違いがない。我家にエアコンがついたのは1971年年だった。もうこの頃からだんだんと夏が長くなっていったのかも知れないが、まだ衣替えは6月から、秋は10月からで大丈夫だった。それが今だと無理だ。4月から半袖を着たくなるとは思わなかった。もう地球温暖化もここまできたか。これからだんだんと夏が長くなっていくのか。あーあ、もう長いk生きするのが嫌になってきた。小生の場合夏が大嫌いだから暑いのは敵なのだ。最近は年齢と共に冬も苦手にはなってきているけど夏ほど嫌いなものはない。気温が30どをを越えるとほぼ仮死状態亡いなる。あーあ、また頃から先が思いやられる。なんだか年々、暑い時期が長くなっていってるからぼやきたくもなるのだが。
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