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2008.07.18 (Fri)

野茂英雄が引退した

 暫くブログの更新をしていなかった。このところパソコンの具合が悪く、記事を書いていてもすぐに電源が落ちてしまい簡単に更新できなくなってしまった。もしかすると無期限でブログを中断しなくてはならないかもしれない。でも書ける間は、間隔が空こうと書くことにしようと思う・・・・。しかし大した記事は書けないとは思うが・・・・・・・・・。

 ところで野茂英雄が引退したという。1995年にアメリカに渡り日本人大リーガーのパイオニアとして長らくその名を轟かせたが、とうとう引退してしまった。とりあえずお疲れさんといっておこう。

 私が野茂英雄の名前を知ったのは、1985年の7月、全国高等学校野球選手権大会の大阪府予選。成城工業VS生野高校の試合結果を記載したスポーツ新聞を読んだ時である。つまり成城工業のエース野茂英雄が生野高校を相手に完全試合を達成したという記事を読んだ時に始まる。私は無名の高校にも良いピッチャーがいるものだと妙に感心したことを覚えている。でもこの時の野茂は内野ゴロが多く、打たせてとるピッチングで完全試合を達成したと記憶しているが、どうだろうか・・・・。とにかく大阪の普通の公立の工業高校で素質があるピッチャーが完全試合を達成したといっても、当時の大阪といえばPL学園の全盛時代。野茂の1年上には清原、桑田がいて、1年下には立浪、片岡、野村、橋本、2年下には宮本らがいて、野茂のいた成城工業が甲子園に行くことなどまず不可能。結局、高校時代の野茂は大阪の予選で、少し目立った程度のピッチャーであった。

 それが社会人野球の新日鉄堺に入りフォークボールをマスターし都市対抗で頭角を現し出した。この頃には既にトルネード投法といわれる変則的な投球フォームで、三振の山をバッタバッタと築く片鱗を見せていた。その後、野茂はソウル・オリンピックに出場し、銀メダルを取り、1990年にドラフトで近鉄に入団した。

 近鉄時代はドクターKと呼ばれエースで三振奪取王であったが、実働5年でチームを去ることになる。その理由が大リーグに行くということであった。ただ周囲からは反対され、身勝手だとか、無謀だとか、通用しないとか揶揄され、野茂叩きにマスコミは奔走した。ところがである。村上雅則以来、31年ぶりのメジャー・リーガーとして、13勝6敗の好成績で新人王を獲得すると、手の平を返したようにマスコミの野茂讃美が始まった。

 こうして野茂英雄が日本人大リーガーの先駆けとして活躍すると、その後に後進が続き、今や日本人大リーガーは何人いるのだろうか・・・・・・。今では日本のプロ野球でブレーしている選手よりも、アメリカに渡った日本人ブレーヤーで選抜軍をつくった方が強いのではないかと思えるぐらいだから、野茂が日米の野球に架けた橋というものは、日本の野球史上において特筆される出来事であったといえるだろう。

 もし野茂が大リーグに行かず、日本に残ってプレーしていたとしても名投手といわれる活躍はしていただろう。だが、彼の前例のない思い切った大胆な行動が、それまでの沈滞化したプロ野球に冷水を浴びせ、その後の野球界の国際化に寄与したとしたら、野茂の残した功績というものは非常に大きいと考える。

 野茂が海を越えてアメリカの地で第一球を投じてから、早くも13年。今では大リーグも国際化し、韓国人選手、台湾人選手等のアジアの選手が大勢いるし、アメリカ大リーグの開幕試合を日本で行なう時代でもあり、本当に1990年代初頭では考えられなかった今日のプロ野球の現状である。それまでの閉塞寒のあったプロ野球界。今や選手の選択肢は増え、プロ野球で活躍し、その後に大リーガーへ飛翔する。すっかりこういった構図が出来てしまい、日本のプロ野球界はつまらないといった声も聞かれるが、それでいて観客で埋まっている球団は多い。つまりファンの価値観が変わってしまったといってもいいだろう。

 昔なら、人気のセ・リーグといわれ、パ・リーグ在籍選手の無念さはいやというほど聞かされていたが、今や全国に分散して行ったパ・リーグのチームが新たなフランチャイズで、地元に密着し、ファンを獲得しつつある。このような状況はつい5、6年前までは考えられなかったが、それもこれも野茂がアメリカに行って成功し、レールを敷いたから、日本のプロ野球が動き出したのではないだろうか・・・。何れ、国際化時代が進み、アメリカ大リーグを含めて、アジアン・リーグという時代がやってくるかもしれない。

 何時までも古い慣習に拘っていては、つまらなくなるのは見えている。野茂が先鞭をつけたプロ野球の国際化の波は、いよいよ国際リーグ創設ということを視野にいれて考えるべきかもしれない。もしかして2050年には、日本、韓国、台湾、中国を含めてアメリカ大リーグの組織の中に組み込まれて、ワールド・リーグといった形でペナント・レースが行なわれているかもしれない。だから私は単身でアメリカ大リーグに挑戦した野茂英雄を賞賛するが、またプロ野球をさらに大きく国際的に発展させるべき人物の登場を待っているのである。
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