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2010.02.11 (Thu)

雨、雨、くもり雨

  一昨日も時雨れていて、昨日も雨模様だというのに、今日はさらに1日、本降りでこのところ晴れ間が一向に見られず陰鬱な日々が続いている。いったいどうなっているのかしらないが、2月にこれだけ雨量が続くのも珍しい。いつも言っていることだが、真夏の雨は涼しくなるから嫌いではないが、冬の雨ほど厭なものはない。ただでさえ薄暗いのにこれだけ外が鬱陶しいと、部屋の中まで重苦しい。またせっかくの休日で用事をすまそうと思ったのに、1日中、本格的な雨が降り続いたせいで、結局は外出を控えてしまった。

 でもなんでこんなに雨ばかり降るのだろうか・・・・・まるで菜種梅雨のようによく降る。前線もせり出しているし、まさか気候が1カ月以上も前倒しになったのでもあるまいが、このところの暖かは春到来を感じさせる。その前が強烈な寒波だったのに、この気候の変動はどうなっているのか。

 啓蟄はまだ先だが、虫が土の中から出てきたりしないだろうなあ。とはいうもののまた平年並みの寒さに逆戻りするだろうから、このまま春がやってくることはないが、全体的に見てみるとやはり暖冬気配なのだろうなあ。日本海側では相も変わらず積雪量が凄いが、こちらは雨ばかり、本当に困ったものだ。外の重苦しい空を眺め、何もしないで結局はごろ寝をしていたという日であった。とにかく無駄な過ごし方をしてしまったが、気が晴れないと何もやる気が起こらないから、冬の日の日射しというものは有り難く感じるものである。外が暗いから室内までが暗く、本を読めなかったというのがどうしようもなかった。蛍光灯をつけろと言われそうだが、あいにく蛍光灯もいかれていてチカチカして交換しなくてはならなかったのだが、この雨で何処も出かける気がしなくなった。それで本が読めなかったかという訳なのであるが、歳をとると老眼がすすんで小さい文字が読みにくくなるから薄暗い日は辛いものだ。そろそろ老眼鏡の度数の強い眼鏡に変えなくてはいけないかもしれない。

 とにかく建国記念日という国の誕生の日に、こちらは老いを感じないわけにはいかなくなった日でもあった。ああーあ・・・・・・・。若い感性と柔軟で吸収力と記憶力に優れた若い脳が欲しいよ。それと眼鏡をかけなくてもいいような視力のある目と・・・・。10代の時に戻りたいとは思はないが、10代の時の身体に戻りたいとはいつも思うこの頃である。
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2010.02.11 (Thu)

トルストイ・・・・・『クロイツェル・ソナタ』を読む

IMG_0125.jpg

 トルストイというとなんか『戦争と平和』に代表されるように、長編で理屈っぽい小説が多いように思うが、この『クロイツェル・ソナタ』はさほど長くはないし、読みやすい作品である。

 早春の頃、汽車に乗っている数名の乗客がいた。彼らは職業もバラバラなら年齢も様々である。語り手である私を含め車内にいる老紳士、婦人、商人、弁護士等が離婚について意見をいいあっていた。ただ一人だけ会話に加わろうとしない紳士がいた。彼は話しかけられても加わろうとせず、態度もどこかぎこちなかった。

 列車は進み会話は弾む、みんなそれぞれの意見をたたかわすがこれといって決め手のある意見はない。ある婦人は停車した駅で立ち去った老紳士が言った意見に対し「ああいう人は本当に大切なことが判ってないのです」と言って、結婚は愛によってきよめられる神聖なものだとと唱える。するとそれまで会話に参加しなかったぎこちない態度の紳士が口を開いたのである。「いったいどんな愛が結婚を清めてくれるというのだ」。婦人は「真実の愛です」という。すると紳士は「真実の愛とは何だ」と問い返し、そこから彼の持論が展開していくのである。結局、話の終結は彼が妻を殺してしまったということで、一同は沈黙してしまったのだが・・・・。列車が次の駅にて停車し、婦人と弁護士は別の車両に移ってしまい車内はそれまでの熱い会話が途絶え静寂していた。そのとき、語り手の私とぎこちない紳士と目が合い、彼が自身を延々と語り始めるのである。

 彼は妻を殺すにまでに至った半生を語りだす。彼は公爵ポズドヌイシェフといい、ロシアの貴族生活は退廃していて、正装して舞踏会で若い貴婦人との出会いや物色することが立派なことだと考えていた。でもやがて、こんな社交界の女も商売女も所詮は同じと思うようになり、ドレスを着て着飾る上流階級の女も売春宿の女も男の前では同じだと言い放つのである。そして、上流階級の令嬢が大はしゃぎする両親の手で、梅毒男と結婚させられた例をいくつも知っているといい、自分は他の連中とは違うのだと、心に言い聞かせ自分に相応しい純潔な娘を見初めて結婚して、結婚後は愛人を作らず、妻との愛を育むのだと語るのだった。

 ポズドヌイシェフは、妻が友人トルハチェフスキーと浮気していることに気が付き婦喧嘩の末に妻を刺してしまった。そして妻は平常心を失い、やがて死亡してしまうのであるが、トルストイはいったい、ポズドヌイシェフの語りから何を訴えたかったのか・・・・・・。ただ禁欲的な愛を説いているのだとしたら、あまりにも常套的な展開でありすぎると思えし、いささか短絡的過ぎる。もっとも19世紀の帝政ロシアという時代背景を考えるよりも、これは男女間にある普遍的なテーマであるかもしれないが、現在でも通用しそうな道徳的なものを説いている。

 紳士は妻を殺してしまった今の心境と真実の愛を求めて苦悩し、挙句の果てに妻を殺すことに至るまでの深層心理が複雑に交錯し、それが列車内でも絶えず態度に表れていたのかもしれないが、彼の告白で女性の見方が徐々に変わっていくという描写でも判るが、トルストイ考える男女の性的関係は極めてストイックであり純潔であるということが披歴してある。男女間の性的な関係は大別して三つあり、まず女性は男性の性欲に支配され絶対的貞操を要求される。次は女性も権利の平等を要求し性欲を自由に満たす。最後は男女間に精神的結びつきはなく、惰性による醜悪な性欲の満足があうだけという。それでトルストイは性的欲望こそ、人間の生活の様々な悪や不幸、悲劇の源であると考えているようだ。

 ・・・・・・あまりこの作品に対して深く追求するのはよそう。男女間の性的関係に関する考えは、時代、土地柄、職業、身分、意識、それぞれで違うだろうし、トルストイが説くような事象も多く存在するだろうが、あれから100年以上が経過、社会がより複雑化してしまった。だからすべては適用されないだろう。でも彼が指摘した男女間の情念というものは、現在でも立派に通用するだろう。

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