2007.09.22 (Sat)
嵐山、嵯峨野を歩く



今日の土曜日は休日だった。ところが秋分の日も過ぎたというのに、未だに真夏と言ってもいいような強烈な陽射しが差してくる毎日。毎度、毎度、言うことは暑い!暑い! これだけ酷暑が何時までも続くと、もう諦めの心境になるが家の中で燻ってもおれない。だから暑いのは承知のうえでトコトコと出かけてしまった。行く当ても無いのだが、自宅から比較的近い嵐山、嵯峨野まで散歩がてらに出かけるのもいいだろう。子供の頃、花見に行くといえば決まって嵐山だったことを思い出す。考えて見れば最近は嵐山周辺に行くことも極めて少なくなった。去年の秋に渡月橋周辺を歩いてみたが、人垣の山で落ち着いて歩けやしなかった。だから観光シーズン前の今頃だと、まだ人も少ないと考え、出かけようと咄嗟に思いついたのである。でも昼からだと、また33℃、34℃辺りまで気温が上昇するというから午前9時半には家を出た。
阪急嵐山駅に電車が到着したのは10時過ぎだったろうか、こんなに暑いのに人がぞろぞろいるではないか。駅前広場から渡月橋まで歩くが、予想以上に暑かった。すでに肌シャツは汗でビッショリ、額からも汗が顔を伝わって落ちていく。こんなに暑いと来るのではなかったなあと、後悔するが後の祭りである。桂川の畔に来ると僅かであるが涼しさが増してくる。でも焼け石に水。雲ひとつ無い空から強烈な紫外線が容赦なく放射する。ジリジリと照らし続け、渡月橋を渡る人も汗だくの様子だった。通りかかる車のナンバープレートを見ると、名古屋、石川、福井、岐阜、尾張小牧、岡山、鳥取、香川・・・・他府県ナンバーが多いが、比較的、関西から近県の人が車でやって来るようである。それ以上遠くなると新幹線で来るのかなあ。
渡月橋を渡りきると、人力車の兄ちゃんが声をかけてくる。「乗りませんか。いい所知ってますよ」「いや、遠慮するわ。あんたらより、俺の方が良く知ってる」と言って、真っ直ぐ北に向って歩いて行く。しかし、この暑さでも流石に名勝・嵐山である。考えていた以上に人が多い。もちろん11月の頃と比べるほどのことはないが・・・。
美空ひばり館の前を通り過ぎる。現在は閉館して数ヶ月なるが、また美空ひばりの遺族が新たに運営すると聞いている。でも美空ひばりという歌手を知る人がだんだんと減っていく現状では、はたして安定した経営を保つことが出来るかどうか、大いに疑問が残るが、時々、通りすがりの人が「なんで美空ひばり記念館が京都にあるの?」と不思議がっている。確かに横浜出身の美空ひばりの記念館が京都の嵐山にあるのはおかしい。・・・・つまり美空ひばりが映画の撮影で頻繁に嵐山に訪れていて、行きつけの旅館や店や知人が多いことと、本人が気に入っているところでもあるから嵐山に記念館が造られたようなことは聞いたことがある。
さらに北へ歩くと左側に広大な天龍寺の大伽藍が姿を現す。すでに世界文化遺産ではあるが、ここには入る気もしない。ここまで歩くと体温が上昇するのか、ますます発汗が増す。何の当ても無く化野念仏寺まで歩くつもりであったが、この暑さではバテがくると思い急遽、天龍寺の境内に沿って設けてある竹やぶの小径に入った。
最近は京都観光ガイドに載っている小路だとかで、人気があるのか観光客が嵯峨野に来ると決まって歩くという。この日も人はまばらだが歩いている人もそこそこいる。小径を日陰が覆い隠し涼しい。いくらかホッとする。この竹藪の間をテクテクと歩く。時々、人力車が人を乗せて通っていくのはいいが、この小径をタクシーで入って来る人がいるから興ざめする。観光に来ているのなら出来る限り自分の足で歩いて欲しいというのが、私の願いではあるが、この小径を抜けて先の目的地までタクシーで行こうという考えなのだろう。でも徒歩でないと観光した気分になりませんよ・・・。
竹やぶの小径を抜け大河内山荘の前までやって来る。大河内山荘とは往年の俳優・大河内傳次郎が住んでいた住居を改装して有料で見物させているところである。私は当然、入ることも無く前を通り過ぎる。大河内傳次郎が丹下左膳の恰好で、「姓はタンゲ、名はシャジェン」と日本刀を振りかざして「オヨオヨヨ!」と言っている映画のワンシーンを思い出した。
大河内山荘を抜け、嵯峨野らしき風景が姿を現す。ここは常寂光寺である。さらに歩くと二尊院。ここまで歩いてきたら、もう降参。暑くて暑くて、散歩どころではなくなった、私はきびすを返すように後戻りして、知り合いがやっている茶房にお邪魔して休憩をすると、脇目も振らず嵐電の嵐山駅から京都の都心へ向う電車に飛び乗った。・・・・まだまだ歩き回って散歩する気候でもなく、まだ8月が続いているような信じられない9月の末。本当に秋はやってくるのだろうか。心配になってきた。
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