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2007.09.29 (Sat)

なくなった喫茶店

喫茶『みゅーず』のあったところ
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 ようやく気温のうえでは秋らしくなったが、また来週辺り暑さがぶり返すという。もう10月だというのに、どうなってるのだろうか。異常気象もとうとうここまできたか・・・・・・。

 今日は京都の歓楽街・四条河原町周辺へ出かけてきた。これといって当ても無いのだが、目的もなく繁華街をブラブラすることはよくある。書店やレコード屋(今は言わないか)へ行ったりして、昔は本を買うと必ず喫茶店に立ち寄って、コーヒーの香りに包まれながら煙草をプカプカさせながら読書に耽っていたものである。なのに最近は喫茶店に皆目行かなくなった。何故だろうと自問自答してみたら、煙草を止めたからであろう。煙草を止めてかれこれ10年にはなる。それまでは1日にして、2箱は吸っていたかもしれない。でもだんだんと煙草との相性が悪くなって、喉が何時もゼイゼイとしているし風邪もよくひく。そして、思い切って止めてしまったのだ。すると次第に喫茶店も行かなくなってしまった。そういえば喫茶店に通い始めたのは高校生の頃だったろうか。大人ぶってコーヒーを飲むようになり、喫茶店のマッチなんかを集めていたという覚えがある。

 その頃から、京都の四条河原町周辺にある著名な喫茶店には出入りしていた。当時はまだ市内を市電(路面電車)が縦横に走っていて、何処まで乗っても25円だった(歳が判りそうである)。四条通りも河原町通りも市電が走っていて、市電に乗ると窓から11階建ての喫茶店が見えていたのを思い出す。何時の間にか無くなったが、四条河原町を少し上がったところに確かにあった。店名を11(イレブン)といい、1階から11階まで全て喫茶店なのである。高校の仲間とよく行ったものだ。また四条河原町を少し西に入ったところには『トレッカ』という明るい大きな喫茶店があった。パーラーのような雰囲気でチョコレートパフェといったデザート類が充実していたように思う。でも、2店舗とも何時の間にか消滅し今は痕跡も無い。とはいえ京都というところは、大阪や東京と違い、公家の伝統が生きている街である。つまり犬の都ではなく猫の都なのである。だから、あまり儲かりもしない昔ながらの純喫茶が未だに健在で、古くからの常連客が通い詰めるのである。そのほとんどの喫茶店が老舗と呼ばれるもので、創業から50年なんて店が珍しくない。

 私が高校、大学を通してよく行った喫茶店が姿を変えずに今でも在るから嬉しい限りだが、煙草を止めてからは、その方にもご無沙汰になってしまった。それで四条河原町、寺町、新京極、三条周辺を歩いたついでに昔の老舗喫茶店が在るのか確かめてみた。

 京都の喫茶店というと昔、フォークシンガーの故・高田渡が唄って有名になった『イノダコーヒー』というのが大丸の横の堺町通りを上がったところにある。京町屋風の喫茶店で、知らない人なら通り過ぎてしまいそうな店である。1940年創業で、私も何度か行ったことがある。テラス席というものがあって、コーヒーを注文すると砂糖もミルクもかき混ぜて持ってくるので、知らない人は仰天する。1999年に火事で焼けたのだが、その後、リニューアルオープンした。でも、私は新しくなってからは一度も行ってない。

 三条河原町を下がったところに『六曜社』という間口の狭い喫茶店がある。1階と地下1階からなる喫茶店であるが、ここも創業は1950年と古い。しかし、ここのコーヒーは何度でも飲みたくなる。でも、この店も長い間、行ってない。

 京都に百万遍というところがある。ここは京都大学の本拠地であるが、この近くに『進々堂』いう創業1930年の老舗喫茶店がある。ここは学生だらけで、大きな長いテーブルがあり、読書をしている学生や眠っている者、議論を盛んに繰り広げている者が入り乱れて、長居していたものである。最近は百万遍周辺は近付きもしないので、今もあるかどうか判らない。

 百万遍は行かないが、出町柳にはよく行く。昔は京阪電車の終点が三条だったので、便利が悪いところであったが、今は終点が出町柳というから叡電(叡山電車)に乗り換えるのに都合が良くなったから時々、出町柳には行くことがある。その出町柳には『柳月堂』がある。京都では有名な名曲喫茶で、椅子が全て正面を向いていて、正面にはグランドピアノ、両サイドには巨大なスピーカーが陣取っていて、今でもLP盤でクラシック音楽を聴かしてくれる。昔は各家庭にステレオ・プレーヤーなんてものが無かったから、近くの京大、同志社、立命館(昔は衣笠ではなく京都御苑の横にあった)の学生が聴きに来たという。一度、客足が減ったので閉店したが、ファンの熱望により再開業したという店である。そのためかしらないがコーヒー一杯が1000円と高目である。なお、この店は私語厳禁である。

 三条寺町を上がったところには『スマート珈琲』という創業1932年の店が今もある。最近は知らないが、よくコーヒーとホットケーキを食べた思い出がある。今もメニューとして残っているのかな?

 今も四条通りの烏丸よりに『イシズミ』という喫茶店があるが、昔は新京極の四条側入り口にもあった。1階が婦人服の店で2階が純喫茶だった。確か三条店も同様だったが、喫茶店は経営が難しくなっているのかもしれない。ここの黒い箱に入ったマッチは気に入ってたのだが。

 それでは四条河原町というより四条木屋町周辺の喫茶店に話しを移そうと思う。阪急電車の河原町駅の東口を出て、地上に上がると四条木屋町に出る。すぐ側を高瀬川が流れているが、高瀬川沿いの木屋町通りを少し南に下がると『フランソワ』がある。1934年創業と古く、イタリアン・バロック風の建築物でサロン風な雰囲気である。建築物は文化財でもあるが、京都では特別珍しいことでもない。ここも音楽喫茶でよくショパンが流れていた気がする。

 四条河原町を僅かに上がり、一筋目を東に入ったところに『築地』がある。築地なんて名前は東京の魚河岸みたいだが、どうして『築地』という名前なのかは知らない。ここも創業は1934年と古く、この店舗ともう一店舗が、河原町通りをさらに上がった二筋目を東入って路地を左に曲がったところにも在った。私は、この二筋目にあった『築地』の方が店内の装飾がシンプルだったので、好きだったのだが、こちらの店舗は何時の間にかなくなっていた。よくバッハ等のバロック音楽を聴かしてくれていて、混雑してくると2階の方に案内され、長い時間を友人と雑談して居座ったものだ。ここのコーヒーはウインナー・コーヒーで、私は京都の喫茶店では、この店に一番多く通ったのでもある。

 現在、1店舗だけある『築地』の前を通り抜けると木屋町通りに出る。すると高瀬川が目に入るが、その前に『ソワレ』がある。創業1948年で、店内に入ると薄暗く感じる。照明が青く、ステンドグラスのランプが独特の雰囲気を醸しだす。東郷青児の絵が飾ってあって、女性の多い喫茶店である。私がこの店に初めて行ったのは高校2年の時である。同級生のO君がよく行ってたらしく、彼に連れて行ってもらったのが最初だった。

 『ソワレ』の斜め前、高瀬川の辺に沿って音楽喫茶『みゅーず』がある。というより在ったというべきかもしれない。昨年の5月にとうとう閉店してしまい、現在は建物は残っているが外装が変わり韓国風焼肉屋に変身してしまった。・・・・この店も1954年の創業で、昔からクラシック音楽を聴かせてくれた。私は阪急から京阪電車に乗り換えるとき、この店に入るのが常であった。よくモーツァルトのセレナードが流れていたりしたが、昨年の春に行った時は(これが最後になろうとは・・・)、ワーグナーのローエングリンが店内に流れていた。何故、閉店に追い込まれてしまったのか・・・・おそらく喫茶店は経営が難しくなっているということだろうか。でも、まさかこの『みゅーず』が切っ掛けになって、老舗の喫茶店が次から次へと廃業って事はないと思うが、せめて東京や大阪のように次から次へと新しいものに変わってしまうような愚かな現象を、京都だけは追随して欲しくない。何時までも悠久の時間を過ごせる空間を少しでも残していてくれと、私は願いたいし、そのように在るべきだとも思う。

高田渡と坂崎幸之助がイノダコーヒ本店へ行く

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