2008.12.18 (Thu)
ガンバ大阪VSマンチェスター・ユナイテッド
まさかガンバ大阪が、こんなに早くクラブ世界一を決めるトーナメントで、あのマンチェスター・ユナイテッドと真剣勝負をするとは思わなかった。結果はガンバも守らずに攻めたが5-3でマンチェスター・ユナイテッドの勝利。流石はヨーロッパの王者である。しかし面白い試合だった。昨年も浦和レッズがレアル・マドリードと対戦したが、関西の人間にすればガンバがアジアの代表として戦うほうがより衝撃が強い。ただ残念なのは、試合会場が横浜という現実に甘んじなければならないこと。つまりこのクラブ・ワールドカップといって日本で開催していても会場は東京か横浜とスポンサーのある愛知県のみに限られている。これはいかにも関西という土地においてサッカーの人気が低く、熱気がなく、盛り上がりに欠けるという現状を考えればやむを得ない事象かもしれない。とにかくサッカーでどんな国際マッチを開催しても、関東に比べれば人が入らないし関心が低いといわれる関西では、日常でサッカーの事が話題になることはまずないから仕方がないことかもしれない。
今から30年以上前は、年末年始の高校サッカーが、大阪や兵庫を開催地としていたことを知る人も、今では50歳以上になってしまっただろう。結局は関西でのサッカー人気のなさが、開催地を関東に移す一因になってしまったという事実さえ、もはや知る人も少なくなった。だから当時も今もサッカーに対する環境は、関西においてはあまり変わってない現実を考慮すると、クラブ・ワールドカップに参戦するガンバ大阪が、地元の大阪で試合が出来ないというのは、地域を取り巻く現況を考えると致し方ないかなあとは思う。とにかくサッカー記事がスポーツ紙の一面を飾ることなど大阪では滅多にないから、ガンバ大阪がマンチェスター・ユナイテッドと国際マッチをするといっても関心のある人は少ないだろう。
でもサッカーが好きな人には、そんなことはどうでもいい事であって、日本のクラブが世界のビッグクラブと公式戦を行なうことは貴重なことなのだ。それも相手がマンチェスター・ユナイテッドとなればなおさらである。思えば私がマンチェスター・ユナイテッドというクラブの名前を認識したのは何10年前になるだろうか・・・・・・・・・・。サッカーの母国イングランド。そのイングランドを代表するクラブがマンチェスター・ユナイテッドである。イングランドにはリヴァプール、チェルシー、アストンビラ、アーセナル等の名門クラブがあるが、私が知るところ最も印象に残っているクラブがマンUなのである。
このクラブは1958年2月6日、ヨーロッパ・チャンピオンズ・カップに参戦し、その試合の帰路、マンUの選手を乗せた飛行機が、西ドイツのミュンヘンで離陸に失敗し飛行機は大破。マンUの中心選手ダンカン・エドワーズを始め8人が亡くなった。これで念願のヨーロッパ・チャンピオンの道は閉ざされてしまった。だが生き残ったマット・バスビー監督と弱冠20歳だったボビー・チャールトンが中心となり、10年後のヨーロッパ・チャンピオンズ・カップに参戦。ジョージ・ベスト、デニス・ロー等と共にヨーロッパ・チャンピオンズ・カップを制した話は、サッカー・ファンの間では知れ渡っているところである。昨年、来日したレアル・マドリードはビッグネームの勢揃いだったが、このマンUもクリスチャノ・ロナウド、ルーニー、テベス、ナニ・・・・・・・サッカー・ファンなら一度は見てみたい選手が顔を揃えている。
このように今は、ヨーロッパの伝説のクラブが毎年のように来日するが、はるか30年以上前では有り得なかったことである。ましてや日本にプロのサッカー・クラブが誕生し、Jリーグが発足してすでに15年。時代の流れは急速で、とうとう日本のクラブが世界の舞台で戦うようにまでなり、隔世の感があるなどと感傷に浸っているばあいではないが、ガンバ大阪がマンチェスター・ユナイテッドと試合をしたということに、今さらながら付加価値を考えてしまうのである。
・・・・・・・でも個人的にいうと、小生はガンバ大阪よりも、セレッソ大阪や京都パープルサンガの方を贔屓にしているのであるが・・・・・。
1968年のヨーロッパ・チャンピオンズ・カップ マンチェスター・ユナイテッドvsベンフィカ・リスボン
object width="425" height="344">
今から30年以上前は、年末年始の高校サッカーが、大阪や兵庫を開催地としていたことを知る人も、今では50歳以上になってしまっただろう。結局は関西でのサッカー人気のなさが、開催地を関東に移す一因になってしまったという事実さえ、もはや知る人も少なくなった。だから当時も今もサッカーに対する環境は、関西においてはあまり変わってない現実を考慮すると、クラブ・ワールドカップに参戦するガンバ大阪が、地元の大阪で試合が出来ないというのは、地域を取り巻く現況を考えると致し方ないかなあとは思う。とにかくサッカー記事がスポーツ紙の一面を飾ることなど大阪では滅多にないから、ガンバ大阪がマンチェスター・ユナイテッドと国際マッチをするといっても関心のある人は少ないだろう。
でもサッカーが好きな人には、そんなことはどうでもいい事であって、日本のクラブが世界のビッグクラブと公式戦を行なうことは貴重なことなのだ。それも相手がマンチェスター・ユナイテッドとなればなおさらである。思えば私がマンチェスター・ユナイテッドというクラブの名前を認識したのは何10年前になるだろうか・・・・・・・・・・。サッカーの母国イングランド。そのイングランドを代表するクラブがマンチェスター・ユナイテッドである。イングランドにはリヴァプール、チェルシー、アストンビラ、アーセナル等の名門クラブがあるが、私が知るところ最も印象に残っているクラブがマンUなのである。
このクラブは1958年2月6日、ヨーロッパ・チャンピオンズ・カップに参戦し、その試合の帰路、マンUの選手を乗せた飛行機が、西ドイツのミュンヘンで離陸に失敗し飛行機は大破。マンUの中心選手ダンカン・エドワーズを始め8人が亡くなった。これで念願のヨーロッパ・チャンピオンの道は閉ざされてしまった。だが生き残ったマット・バスビー監督と弱冠20歳だったボビー・チャールトンが中心となり、10年後のヨーロッパ・チャンピオンズ・カップに参戦。ジョージ・ベスト、デニス・ロー等と共にヨーロッパ・チャンピオンズ・カップを制した話は、サッカー・ファンの間では知れ渡っているところである。昨年、来日したレアル・マドリードはビッグネームの勢揃いだったが、このマンUもクリスチャノ・ロナウド、ルーニー、テベス、ナニ・・・・・・・サッカー・ファンなら一度は見てみたい選手が顔を揃えている。
このように今は、ヨーロッパの伝説のクラブが毎年のように来日するが、はるか30年以上前では有り得なかったことである。ましてや日本にプロのサッカー・クラブが誕生し、Jリーグが発足してすでに15年。時代の流れは急速で、とうとう日本のクラブが世界の舞台で戦うようにまでなり、隔世の感があるなどと感傷に浸っているばあいではないが、ガンバ大阪がマンチェスター・ユナイテッドと試合をしたということに、今さらながら付加価値を考えてしまうのである。
・・・・・・・でも個人的にいうと、小生はガンバ大阪よりも、セレッソ大阪や京都パープルサンガの方を贔屓にしているのであるが・・・・・。
1968年のヨーロッパ・チャンピオンズ・カップ マンチェスター・ユナイテッドvsベンフィカ・リスボン
object width="425" height="344">
| BLOGTOP |