2009.01.30 (Fri)
任天堂・・・・・・
任天堂の2009年3月期連結決算が見通しが公表され、売上高が1兆8200億円になるというから、何とも景気の良い話である。世界的な大不況でGMをはじめ、日本のトヨタやソニーといったところまでが軒並み業績悪化の中、よくぞこれだけの売り上げがあるものだと驚いている。
任天堂といえば、京阪電車に乗って大阪に向かう時、東福寺の駅を過ぎると間もなく進行方向右側にかつての本社が見える。今は南区の上鳥羽の方に本社を移してしまったが、創業から一貫して京都に本拠のある企業である。一般的にはゲーム会社と思われているようだが、私が子供の時は、花札やトランプ、それ以外だと将棋、囲碁、麻雀の駒や牌や盤を作っていた会社である。だから、今の任天堂の大躍進を考えると信じられない。
創業は1889年と古く、山内房次郎が『任天堂骨牌』という会社を設立して、花札を製造していたに過ぎない。1902年に日本で初のトランプの製造も始め、カルタなんかも作っていたのだろう。さsらに将棋盤、駒、囲碁セット、麻雀セット・・・・・。この辺りは日本の家庭では何処の家にもあった。だが、一つあれば事足りる。だからさほど売り上げが伸びることもなく、京都の片隅で細々と目立たず営業してきた会社といえるだろう。
それが1970年代後半にテレビゲーム業界に参入して、この会社の躍進が始まるのだが・・・・。『ブロックくずし』『ドンキーコング』というとテレビゲームの古典だろう。でもテレビゲームというものに興味を全く示さなかった私は、これらのゲームを一度もやったことがない。また大流行した『スペースインベーダー』というのも、一度も挑戦したことがない。だから1983年に任天堂が『ファミリーコンピューター』というものを発売して会社が急成長している頃も、『ファミリーコンピューター』と聞いて、いよいよ家庭にもコンピューターが登場する時代になったのかと思ったぐらいである。
こんな調子だから、時代に取り残されるようにゲームに興味も関心もなく、『スーパーマリオブラザース』や『スーパーファミコン』の登場で、任天堂が世界でも躍進していることなど知らず、ただ京阪電車に乗ると、大きな任天堂と書かれた社名の看板を見て、この会社の何処が凄いのだろうかと疑問に思っていた時期もある。
しかし、その後にソニー等のゲーム業界の参入で、任天堂も危うしといった時期があるという。ソニーが『プレイステーション』を売り出して、急激に業績を伸ばし、ソフト会社までが任天堂から離れていったという。そのあたりの事情はゲームに疎い私のことなので、あまり詳しくはないが、その後に『ポケットモンスター』のヒットや、最近の『wii』『ニンテンドーDS』といったゲーム機で、さらに売り上げを伸ばし、色々な企業が四苦八苦する中、これrだけ業績を伸ばすというのは驚異である。昨年などはアメリカ、ヨーロッパにおいてゲーム機販売台数の記録を塗り替えたといい、本業の営業利益も5300億円に達するという。たかが子供のゲーム機がそんなに売れるのかと、私なんかは思うけども、最近は大人も中心に頭脳ゲームなんて夢中になっているという。こんな現況を知ると任天堂の先見性には感服するしかなく、その昔、花札を作っていた時代の任天堂の従業員達が、今日の同社を知るとたいへん驚かれるだろう。今や世界屈指の大企業だから・・・・・。でもこの会社は、どんなに大きくなろうとも、本社を京都から移さないし、また京都の多くの企業もそうだが、だからいいのかもしれない。それにひきかえ大阪の企業は、少し大きくなるとすぐに東京へ本社を移したがる。移したからといって、メリットがあったかといえば疑問符がつくのに・・・・・馬鹿じゃないの。だから大阪は地盤沈下が止まらないのだ。少しは京都の企業を見習え・・・・。
任天堂といえば、京阪電車に乗って大阪に向かう時、東福寺の駅を過ぎると間もなく進行方向右側にかつての本社が見える。今は南区の上鳥羽の方に本社を移してしまったが、創業から一貫して京都に本拠のある企業である。一般的にはゲーム会社と思われているようだが、私が子供の時は、花札やトランプ、それ以外だと将棋、囲碁、麻雀の駒や牌や盤を作っていた会社である。だから、今の任天堂の大躍進を考えると信じられない。
創業は1889年と古く、山内房次郎が『任天堂骨牌』という会社を設立して、花札を製造していたに過ぎない。1902年に日本で初のトランプの製造も始め、カルタなんかも作っていたのだろう。さsらに将棋盤、駒、囲碁セット、麻雀セット・・・・・。この辺りは日本の家庭では何処の家にもあった。だが、一つあれば事足りる。だからさほど売り上げが伸びることもなく、京都の片隅で細々と目立たず営業してきた会社といえるだろう。
それが1970年代後半にテレビゲーム業界に参入して、この会社の躍進が始まるのだが・・・・。『ブロックくずし』『ドンキーコング』というとテレビゲームの古典だろう。でもテレビゲームというものに興味を全く示さなかった私は、これらのゲームを一度もやったことがない。また大流行した『スペースインベーダー』というのも、一度も挑戦したことがない。だから1983年に任天堂が『ファミリーコンピューター』というものを発売して会社が急成長している頃も、『ファミリーコンピューター』と聞いて、いよいよ家庭にもコンピューターが登場する時代になったのかと思ったぐらいである。
こんな調子だから、時代に取り残されるようにゲームに興味も関心もなく、『スーパーマリオブラザース』や『スーパーファミコン』の登場で、任天堂が世界でも躍進していることなど知らず、ただ京阪電車に乗ると、大きな任天堂と書かれた社名の看板を見て、この会社の何処が凄いのだろうかと疑問に思っていた時期もある。
しかし、その後にソニー等のゲーム業界の参入で、任天堂も危うしといった時期があるという。ソニーが『プレイステーション』を売り出して、急激に業績を伸ばし、ソフト会社までが任天堂から離れていったという。そのあたりの事情はゲームに疎い私のことなので、あまり詳しくはないが、その後に『ポケットモンスター』のヒットや、最近の『wii』『ニンテンドーDS』といったゲーム機で、さらに売り上げを伸ばし、色々な企業が四苦八苦する中、これrだけ業績を伸ばすというのは驚異である。昨年などはアメリカ、ヨーロッパにおいてゲーム機販売台数の記録を塗り替えたといい、本業の営業利益も5300億円に達するという。たかが子供のゲーム機がそんなに売れるのかと、私なんかは思うけども、最近は大人も中心に頭脳ゲームなんて夢中になっているという。こんな現況を知ると任天堂の先見性には感服するしかなく、その昔、花札を作っていた時代の任天堂の従業員達が、今日の同社を知るとたいへん驚かれるだろう。今や世界屈指の大企業だから・・・・・。でもこの会社は、どんなに大きくなろうとも、本社を京都から移さないし、また京都の多くの企業もそうだが、だからいいのかもしれない。それにひきかえ大阪の企業は、少し大きくなるとすぐに東京へ本社を移したがる。移したからといって、メリットがあったかといえば疑問符がつくのに・・・・・馬鹿じゃないの。だから大阪は地盤沈下が止まらないのだ。少しは京都の企業を見習え・・・・。
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