2009.04.02 (Thu)
シェークスピアの『ハムレット』を読む

シェークスピアの戯曲の中の傑作とされ、シェークスピア4大悲劇の一つである『ハムレット』は、若い頃に読んだというよりも映画で馴染んでいたというのが正直な感想である。本来から劇のための脚本的なものが戯曲というものだから当然かもしれないが、過去にローレンス・オリヴィエ監督、主演による『ハムレット』(1948年)は何度となく上映され、テレビでも放映されている。いわば『ハムレット』の定番のようなものである。最近でもオペラの演出者でもあるフランコ・ゼッフィレッリ監督の『ハムレット』(1964年)もある。こちらはハムレットをメル・ギブソンが演じローレンス・オリヴィエとは趣の違うハムレットである。またケネス・ブラナー監督、主演の『ハムレット』(1996年)というのもあるが、最も雰囲気が中世の『ハムレット』に近いかなあと思わせたのは、1964年に製作されたグリゴーリー・コージンツェフ監督の『ハムレット』かもしれない。
この映画は旧ソヴィエト時代に製作されたもので、俳優の名前もほとんど知らないし、映画館で上映されたのかどうか詳しいことまでは知らないが、何年か前にビデオで拝見した。でもなかなかの秀作であった。このようにヨーロッパ各地で『ハムレット』は、舞台で上演され続け、映画でも何度となく製作され続けた傑作と言われるのだが、日本人の我々も有名すぎる文学として『ハムレット』はよく知られているところである。でも何故にこんなにポピュラーな戯曲なのかというと難しい。でも、おそらく『ハムレット』というのは、人間の持つ猜疑心、裏切り、欲望、矛盾、情熱、憎悪、復讐、ありとあらゆる心の裏の部分が醜くも絡まりあって表出し、そこから生まれた人間同士の葛藤が物語に繋がっているからだと思える。
シェークスピアの『ハムレット』以前に、13世紀にデンマークで書かれた『ハムレット物語』というものが存在していて、またトーマス・キッドという人が、それを種本にして書いた『ハムレット』という物語もある。結局、ウィリアム・シェークスピアの『ハムレット』は、それらの手本をさらに焼きなおして、より進化させた物語といってしまうと何だリメイクか・・・・ということにもなりそうだが、そこは才人シェークスピアである。より物語らしく、より憎悪が増して見事な復讐劇へと生まれ変わっている。
ところでよく・・・・To be,or not to be…. That is the question. を生か死か、それが問題だと訳されるが、『ハムレット』が、明治時代に日本に紹介されてからというもの、過去の多くの人が翻訳を試みてきた。だが明確な訳はなく、どのように解釈するかは人それぞれであろう。ちなみに明治時代に活躍した小説家でシェークスピア文学の翻訳者でもあった坪内逍遥は「世にある、世にあらぬ、それが疑問じゃ」と訳している。その他には
・ ・・・・Get thee to a nunnery! 尼寺へいけ!
といった名台詞もあるが、とにかく『ハムレット』というのは、今世紀にまで影響を及ぼしている、名戯曲であり、名台詞の宝庫でもある。現在の日本の戯曲もかなりの部分、この作品を踏襲したと思えるものがあり、おそらく西洋文学の普遍的傑作といえるであろう。
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