2007.12.24 (Mon)
日本人の宗教観
12月24日である。何処もかしこもクリスマス・ソングが鳴り響いて姦しい。クリスマス・ツリーが店頭に飾ってあったり、クリスマス・ケーキを買い求める人や、デパート、商店はクリスマス・セールだといって、商魂逞しく売りつけようとする。また、テレビはテレビで「いよいよクリスマス・イブですね、今晩はどのようにお過ごしですか?」と視聴者に語りかけるし、また、何かにつけ「メリー・クリスマス!」と言葉を発す。それで、私は不愉快になって、この時期は何時も閉口してしまうのである。
そんなに固いことを言うなと反論されそうだが、国中が揃いも揃ってクリスマスというものを迎合しなくてはならないのだろうか・・・。それとも、このイベントに便乗しないといけないのだろうか・・・。毎年、この時期になると考えてしまう。ところでクリスマスとは何だ?・・・と問われて答えられる人が日本にはいるのだろうかとさえ思ってしまう。
クリスマスとはChritmasと書く。つまり英語でChrist's Mas・・・キリストのミサ(プロテスタントでは礼拝)のことである。12月25日はキリストの降誕祭。その前日をクリスマス・イブ、イブから1月1日或いは6日の12日祭までをクリスマス節とされている。でもこれはキリスト教を国教としている国の習慣であって、大いなる勘違い国家の日本で、この習慣が長年にわたって何の疑いも無く行われていたことに対して、私は日本人の宗教観はいったいどうなっているのか考えてみた。
現在の日本で自分が何処の宗教に属しているのか尋ねてみると、多くの人は知らないと答えると思う。それは何故かというと関心が無いからである。日本人の大多数は宗教に対する帰属意識は薄く、実際には宗教儀礼に参加しているのにもかかわらず自分のことを無宗教と考え、基本的に無関心とされる。でも、考えてみれば判るだろう。日本人は結婚式を神式、または教会で行い、子供が生まれると神社に参り、死ねば寺院で葬式を行うか、仏式で行う。それは何故かというと、元来、日本人は多神教だったからである。
日本人は昔から洗礼を受けて、一つの宗教を信仰したりしなかった。日本人の宗教意識は無感覚であり、自然信仰、民間伝承を始めとする民俗信仰というべきものがあり、それが八百万神(やおよろずかみ)というものに繋がった。それらは汎神教の神道といえるものであり、ありとあらゆる神を認める宗教であった。それが元来の日本人の信仰宗教であった。それが、天平の時代になり、大陸から仏教が伝わったのである。
日本古来の神道と大陸から伝来した仏教。いわゆる異教である仏教が神道と呉越同舟の形で、何故に日本に根付いたかというのは、日本人の宗教観というものが、多神教だったからに他ならない。つまり堺屋太一が言う「日本人のいいとこ取り」なのである。だから異教徒の対立も無く、一つの国に神社と仏教寺院が1000年以上も存在し続けるのである。
日本には神道と仏教が存在したが、明治政府が廃仏毀釈運動を進め、仏教を徹底的に弾圧し、神道を国家神道として国民の精神的統合を図ったのである。これにより天皇崇拝の色が強くなり、富国強兵を強めるのである(本来はこのようなことに持ち出すものではないと思うが・・)。とにかく時の明治政府はいかれてた・・・。
それが、太平洋戦争の敗北で、日本の精神的な価値観が大きく崩れる事となる。戦後は国家神道に対する反動から宗教そのものが如何わしいもの、疑わしいものと否定時なイメージで捉えられるようになった。
そして、戦後の日本に登場したのが、それまで鬼畜米英と敵視していた欧米文化である。この頃に映画、音楽、食物、習慣等が日本に大挙して入ってきた。そして、ここで広まったのがクリスマスだったのである。戦前からクリスマスというものは、キリスト教徒を中心にささやかに行われていた。それが、戦後になって、商魂逞しいデパートやお菓子屋や玩具屋や商店やキャバレー等が儲けるために利用したものがクリスマスである。おそらくGHQのクリスマス・パーティーを見て、商売になると考えた人がいたのだろう。仕掛け人という者は必ずいるものである。そして、戦後、40年、50年と経ち、ますますクリスマスそのものが派手になり、元来の意味から大きく逸脱した日本特有の一大無宗教イベントとなってしまったということである。・・・結局、今日ある日本のクリスマスは、精神が伴わない単なるイベントであって、其処にもキリストのキの字は介在しない。
さて、現在の日本における宗教の信者数というものが、およその数字で把握できている。それによると神道系が1億600万人、仏教系が9600万人、キリスト教系が109万人、その他が1100万人となっている。日本の人口より多いではないかと考えるであろう。それもその筈、日本の場合は、その宗教の神を拝めば信者とみなすことが多いので、神と仏を同等に崇拝する。すなわち複数の宗教を掛け持っていることになる。でも、こんなにクリスマス・イベントや、クリスマス商戦、クリスマス・ツリーは到る所で見かけられるのに、クリスマスの日に教会に行って、厳かにミサ(ミサというのはカトリックのみ)を行うキリスト教徒がたったの109万人とは何事か・・・・。これは日本の人口の1%も達してないではないか。本当に、いいとこ取りのいい加減な国家だなあと思う。それに節操も無さすぎると感じる。
いいかえれば、日本人の白人コンプレックスは未だ根強くて、西洋の楽しい習慣だけは、ちゃっかり頂いてしまい、イスラム教の厳しい行事などは絶対に真似はしない。調子がよろし過ぎるのではないでしょうか。クリスマスを頂戴したのだから、イスラム教の祭典ハリラヤもやってしまうか・・・・でも、こちらの方は、その前に厳しい断食を続けないといけないので、誰も真似をしようとは思わないだろう。でもキリスト教徒のお祭りだけは、いくらでも真似をする国である。クリスマスに続いて、バレンタイン・デー、さらにはハロウィーンまでやる人が出てきたから呆れてしまう・・・。あんなものをオシャレーと思っている馬鹿チンがいるのだろうか・・・。いや、本当にこの国は節操が無さすぎるぞーーーー。
そんなに固いことを言うなと反論されそうだが、国中が揃いも揃ってクリスマスというものを迎合しなくてはならないのだろうか・・・。それとも、このイベントに便乗しないといけないのだろうか・・・。毎年、この時期になると考えてしまう。ところでクリスマスとは何だ?・・・と問われて答えられる人が日本にはいるのだろうかとさえ思ってしまう。
クリスマスとはChritmasと書く。つまり英語でChrist's Mas・・・キリストのミサ(プロテスタントでは礼拝)のことである。12月25日はキリストの降誕祭。その前日をクリスマス・イブ、イブから1月1日或いは6日の12日祭までをクリスマス節とされている。でもこれはキリスト教を国教としている国の習慣であって、大いなる勘違い国家の日本で、この習慣が長年にわたって何の疑いも無く行われていたことに対して、私は日本人の宗教観はいったいどうなっているのか考えてみた。
現在の日本で自分が何処の宗教に属しているのか尋ねてみると、多くの人は知らないと答えると思う。それは何故かというと関心が無いからである。日本人の大多数は宗教に対する帰属意識は薄く、実際には宗教儀礼に参加しているのにもかかわらず自分のことを無宗教と考え、基本的に無関心とされる。でも、考えてみれば判るだろう。日本人は結婚式を神式、または教会で行い、子供が生まれると神社に参り、死ねば寺院で葬式を行うか、仏式で行う。それは何故かというと、元来、日本人は多神教だったからである。
日本人は昔から洗礼を受けて、一つの宗教を信仰したりしなかった。日本人の宗教意識は無感覚であり、自然信仰、民間伝承を始めとする民俗信仰というべきものがあり、それが八百万神(やおよろずかみ)というものに繋がった。それらは汎神教の神道といえるものであり、ありとあらゆる神を認める宗教であった。それが元来の日本人の信仰宗教であった。それが、天平の時代になり、大陸から仏教が伝わったのである。
日本古来の神道と大陸から伝来した仏教。いわゆる異教である仏教が神道と呉越同舟の形で、何故に日本に根付いたかというのは、日本人の宗教観というものが、多神教だったからに他ならない。つまり堺屋太一が言う「日本人のいいとこ取り」なのである。だから異教徒の対立も無く、一つの国に神社と仏教寺院が1000年以上も存在し続けるのである。
日本には神道と仏教が存在したが、明治政府が廃仏毀釈運動を進め、仏教を徹底的に弾圧し、神道を国家神道として国民の精神的統合を図ったのである。これにより天皇崇拝の色が強くなり、富国強兵を強めるのである(本来はこのようなことに持ち出すものではないと思うが・・)。とにかく時の明治政府はいかれてた・・・。
それが、太平洋戦争の敗北で、日本の精神的な価値観が大きく崩れる事となる。戦後は国家神道に対する反動から宗教そのものが如何わしいもの、疑わしいものと否定時なイメージで捉えられるようになった。
そして、戦後の日本に登場したのが、それまで鬼畜米英と敵視していた欧米文化である。この頃に映画、音楽、食物、習慣等が日本に大挙して入ってきた。そして、ここで広まったのがクリスマスだったのである。戦前からクリスマスというものは、キリスト教徒を中心にささやかに行われていた。それが、戦後になって、商魂逞しいデパートやお菓子屋や玩具屋や商店やキャバレー等が儲けるために利用したものがクリスマスである。おそらくGHQのクリスマス・パーティーを見て、商売になると考えた人がいたのだろう。仕掛け人という者は必ずいるものである。そして、戦後、40年、50年と経ち、ますますクリスマスそのものが派手になり、元来の意味から大きく逸脱した日本特有の一大無宗教イベントとなってしまったということである。・・・結局、今日ある日本のクリスマスは、精神が伴わない単なるイベントであって、其処にもキリストのキの字は介在しない。
さて、現在の日本における宗教の信者数というものが、およその数字で把握できている。それによると神道系が1億600万人、仏教系が9600万人、キリスト教系が109万人、その他が1100万人となっている。日本の人口より多いではないかと考えるであろう。それもその筈、日本の場合は、その宗教の神を拝めば信者とみなすことが多いので、神と仏を同等に崇拝する。すなわち複数の宗教を掛け持っていることになる。でも、こんなにクリスマス・イベントや、クリスマス商戦、クリスマス・ツリーは到る所で見かけられるのに、クリスマスの日に教会に行って、厳かにミサ(ミサというのはカトリックのみ)を行うキリスト教徒がたったの109万人とは何事か・・・・。これは日本の人口の1%も達してないではないか。本当に、いいとこ取りのいい加減な国家だなあと思う。それに節操も無さすぎると感じる。
いいかえれば、日本人の白人コンプレックスは未だ根強くて、西洋の楽しい習慣だけは、ちゃっかり頂いてしまい、イスラム教の厳しい行事などは絶対に真似はしない。調子がよろし過ぎるのではないでしょうか。クリスマスを頂戴したのだから、イスラム教の祭典ハリラヤもやってしまうか・・・・でも、こちらの方は、その前に厳しい断食を続けないといけないので、誰も真似をしようとは思わないだろう。でもキリスト教徒のお祭りだけは、いくらでも真似をする国である。クリスマスに続いて、バレンタイン・デー、さらにはハロウィーンまでやる人が出てきたから呆れてしまう・・・。あんなものをオシャレーと思っている馬鹿チンがいるのだろうか・・・。いや、本当にこの国は節操が無さすぎるぞーーーー。
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