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2007.12.26 (Wed)

山崎蒸留所のロゴマークが・・・・・・

 日本のウイスキーの故郷は何処かご存知だろうか・・・・・。答えはサントリー山崎蒸留所である。

 1923年にサントリーの創業者である鳥井信次郎が、京都と大阪の府境にある山崎にウイスキーの蒸留所を建てたのが始まりである。その山崎蒸留所は、JR東海道線の山崎駅から西へ500mほど歩いたところにある。したがって所在地は大阪府三島郡島本町山崎なのである(山崎駅のホームは5分の4が京都府で残りが大阪府である)。

 ところで何故、この地でウイスキーの蒸留が始まったのかというと、ウイスキーの製造に向いていたからである。この山崎というところは、天下分け目の天王山の麓にあり、ちょうど桂川、宇治川、木津川の三川が合流して淀川と名前が替わる側にある。それで、三つの川の水温の違いで絶えず霧が発生し、それでいて気候は温暖、狭隘な地形とウイスキー製造にもってこいの条件が揃っていたのである。さらには、山崎は千利休が茶室の国宝『待庵』を建てたことでも知られるとおり、日本名水百選に選ばれている水無瀬神宮の離宮の水と同じ地下水源を持っている。だから気候といい、地形といい、水といい、ウイスキーの蒸留所を建てるのに適していたということになる。

 さて、サントリー山崎蒸留所の説明にここまでスペースを割いたが、私にとってはこの風景、毎日々々、通勤時に電車で通過する毎にお目にかかっている景色であり、別に珍しいことではないが、今回、記事にしようと思ったのは、蒸留所の正面に画かれていたロゴマークが替わっていたからである。

 この前から、足場が組まれて工事をやっているなあと思っていたら、何と今度は山崎の文字がロゴマークとして使われていた。この蒸留所で作って予約販売されている高級ウイスキー『山崎』のロゴマークである。『山崎』には10年、12年、18年、25年、50年とあって、山崎50年は一本100万円する超高級ウイスキーである。サントリーには山崎蒸留所以外に、南アルプス近くに白州蒸留所(山梨県)があるが、こちらは1973年の設立と歴史が新しく、まだまだ高級ウイスキーをブレンドするほど貯蔵時間が経過していない。だから、日本でこれだけの高級ウイスキーが販売されるのは、山崎蒸留所だけといえるだろう。ところで、今回、蒸留所のロゴマークが『山崎』に替わったが、この前までは金色に輝く『響』のロゴマークであった。また、その前は長い間、サントリーのロゴマークとして使われていた『向かい獅子』のロゴマークが正面に画いてあったものである。

 私は子供の頃から、大阪へ行く時には国鉄にせよ、阪急にせよ、必ず電車で通過する時に眺める風景なので、よく覚えている。後年に引っ越して、どういうご縁か、山崎蒸留所からさほど遠くないところに住むことになったが、やはり風光明媚で静かでのどかで、喧騒からかけ離れた緑豊なところだと思う。だから私は、生まれてこの方、最も長く住み着いていることになる。

 建物の正面の白い壁面に山崎の文字が・・・以前は、金色に輝く響のロゴマークが、それ以前は、向い獅子のロゴマークであった。
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 蒸留所の側には大きな倉庫がある。その前をJR東海道線が走っている。この付近、鉄道写真の有名な撮影スポットであり、よく鉄道マニアが大勢かけつけて写真を撮っている。
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 この光景はサントリーのCMでよく見かける。よく京都郊外山崎で・・・・というが、現実での所在地は大阪府である。でもここは、大阪の中心街に行くよりも京都の中心街に行くほうが近いところなのである。
s-P1010119.jpg


 山崎蒸留所の正面の壁面には、この前までグラスにも画いてある響のロゴマークが画かれてあった。
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 山崎蒸留所の裏山は天王山である。天王山の中腹に上がると、そこからは大阪市内の超高層ビル群のシルエットが拝めるのである。ここからだと直線で30km先が大阪の中心街である。
s-P1010114.jpg


 坂本龍一の出ているサントリー山崎のCM。

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