2007.12.13 (Thu)
ACミラン vs 浦和レッズ
今日、横浜国際競技場で行われたサッカーのクラブ・ワールド・カップ、ACミラン対浦和レッズの試合を先ほどまで観ていた。
私とサッカーは不釣合いではないかと思われるかもしれない。確かに今までサッカーのことは何も書かなかった。でも、少年時代はサッカー少年だった。野球よりもサッカーだった。あの頃のサッカーで、私が憧れた選手はブラジルのガリンシャだったといえば、時代が判りそうなものである。その当時、イングランドにはボビー・チャールトン、ボビー・ムーアがいた。ゴードン・バンクスもいた。ソビエトにはレフ・ヤシンがいた。西ドイツにはウベ・ゼーラーがいた。オベラートがいた。ベッケンバウアーもいた。そしてゲルト・ミューラーがいた。ポルトガルにはエウゼビオ。イタリアにはファケッティ、リベラ、リーバがいた。そして、ブラジルにはペレもいたし、ガリンシャもいた。ジャイルジーニョ、リベリーノ、トスタンがいた。オランダにはヨハン・クライフがいた・・・・。こうして選手の名前を並べてみると、時代が如何に古いか歴然としているだろう。
さて、今日はヨーロッパ・チャンピオン・クラブのACミランと日本の浦和レッズが公式戦で試合をするというので先ほどまで観ていた。そういえば私の若い頃からしてみると信じられない出来事ではある。日本にプロのサッカークラブが誕生して、イタリア・セリエAの名門ACミランと対決するとは・・・・・。
ACミランというと、かつてオランダ・トリオを擁してトヨタ・カップに何度と無く来ていたクラブであるが、あの頃の、ファン・バステン、フーリット、ライカールトの時代とはサッカー・スタイルが変わったようだ。それでも今回にはロナウドがいるし、カカがいる。セードルフもいれば、インザーギもいる。マルディーニもいれば、カフーもいる。やはりビッグネームの集団なのだ。対する浦和レッズは、日本チャンピオンでアジア・チャンピオン。赤い悪魔とも言われる熱狂的、狂信的サポーターが後押しする。ああ、時代も変わったものだ。その昔、アマチュアの日本リーグ時代、私は杉山のいた三菱と釜本のいたヤンマーの試合を、よく観にいったものである。当時の日本のサッカーは人気が無く、スタンドは閑古鳥が鳴いていた。その時代を知る人間から見ると、今の浦和レッズの取り巻く環境というものが信じられない。本日の入場者数約67000人だという。まあ、カンプ・ノウやベルナベウのスタジアムがあるスペインのスタジアムとは器の規模が違うので、比較にはならないが、それでも日本では驚異的な観客数といってもいいぐらいだ。そして、そんな中で、今日の試合は行われた。
前半はミランがボールをゆっくり回し、攻め倦んでいるようだった。それでも13分、ピルロのフリーキック。ボールはゴールマウスを捉えていたが、弾かれてコーナーキック。23分にはミランのカカが、ドリブルで切り込み、セードルフがシュート。その後もヤンクロフスキーのミドルシュート、ジラルディーノがセンターリングを足で合わせる。ピルロのフリーキックはクロスバーの上を行く。浦和のチャンスは40分、鈴木のシュートがキーパーに阻まれる。
前半はボールの支配率でACミランに押されていたが、再三の守備力でお互い得点無しの0対0に持ち込んだ。そして後半に入る。今まで得点を与えず、どうにか凌いできた浦和レッズであったが、やはり名門ACミランである。ここからボールの支配率が上がり、厚みのある攻撃を繰り返す。浦和の方は、やや気落ちしたのか、前半ほどの動きは無い。後半10分には、セードルフがフリーになり、ゴールキーパと一対一で向き合いシューするがサイドネットに当ててしまう。何度かACミランの攻撃を受けるも、ディフェンダーが甘い時がある。結局、その欠点を衝かれてれてしまいそれがとうとう後半23分、カカからゴールマウスの前で待機するセードルフへボールが回ったと思ったら、セードルフが左足で蹴り込んだ。
アーアー、とうとう浦和レッズのディフェンスラインが破られた。それもカカから出た、ほんの一瞬の隙を見逃さずにセードルフが決めた。その後もACミランの攻撃陣は活況の様子だった。
最終的には1対0で、ACミランが辛勝したが、どうにかこの得点だけで、これ以上は得点を許さなかったというのは、賞賛に値するだろう。浦和の相手は世界のACミラン、とにかく強い相手である。負けたのだが、浦和の選手も堂々と胸を張ってもよいだろう。でも来年は、ここの大舞台に出て来られるかどうか・・・・浦和レッズにしても、これからが大変である。
私がサッカーに興味を持つ切っ掛けになった選手がガリンシャだった。彼は子供の頃、小児麻痺に罹り左右で脚の長さが違っていた。しかし、それが悪魔のドリブルを生む。彼を止められるディフェンダーはいなかった。
私とサッカーは不釣合いではないかと思われるかもしれない。確かに今までサッカーのことは何も書かなかった。でも、少年時代はサッカー少年だった。野球よりもサッカーだった。あの頃のサッカーで、私が憧れた選手はブラジルのガリンシャだったといえば、時代が判りそうなものである。その当時、イングランドにはボビー・チャールトン、ボビー・ムーアがいた。ゴードン・バンクスもいた。ソビエトにはレフ・ヤシンがいた。西ドイツにはウベ・ゼーラーがいた。オベラートがいた。ベッケンバウアーもいた。そしてゲルト・ミューラーがいた。ポルトガルにはエウゼビオ。イタリアにはファケッティ、リベラ、リーバがいた。そして、ブラジルにはペレもいたし、ガリンシャもいた。ジャイルジーニョ、リベリーノ、トスタンがいた。オランダにはヨハン・クライフがいた・・・・。こうして選手の名前を並べてみると、時代が如何に古いか歴然としているだろう。
さて、今日はヨーロッパ・チャンピオン・クラブのACミランと日本の浦和レッズが公式戦で試合をするというので先ほどまで観ていた。そういえば私の若い頃からしてみると信じられない出来事ではある。日本にプロのサッカークラブが誕生して、イタリア・セリエAの名門ACミランと対決するとは・・・・・。
ACミランというと、かつてオランダ・トリオを擁してトヨタ・カップに何度と無く来ていたクラブであるが、あの頃の、ファン・バステン、フーリット、ライカールトの時代とはサッカー・スタイルが変わったようだ。それでも今回にはロナウドがいるし、カカがいる。セードルフもいれば、インザーギもいる。マルディーニもいれば、カフーもいる。やはりビッグネームの集団なのだ。対する浦和レッズは、日本チャンピオンでアジア・チャンピオン。赤い悪魔とも言われる熱狂的、狂信的サポーターが後押しする。ああ、時代も変わったものだ。その昔、アマチュアの日本リーグ時代、私は杉山のいた三菱と釜本のいたヤンマーの試合を、よく観にいったものである。当時の日本のサッカーは人気が無く、スタンドは閑古鳥が鳴いていた。その時代を知る人間から見ると、今の浦和レッズの取り巻く環境というものが信じられない。本日の入場者数約67000人だという。まあ、カンプ・ノウやベルナベウのスタジアムがあるスペインのスタジアムとは器の規模が違うので、比較にはならないが、それでも日本では驚異的な観客数といってもいいぐらいだ。そして、そんな中で、今日の試合は行われた。
前半はミランがボールをゆっくり回し、攻め倦んでいるようだった。それでも13分、ピルロのフリーキック。ボールはゴールマウスを捉えていたが、弾かれてコーナーキック。23分にはミランのカカが、ドリブルで切り込み、セードルフがシュート。その後もヤンクロフスキーのミドルシュート、ジラルディーノがセンターリングを足で合わせる。ピルロのフリーキックはクロスバーの上を行く。浦和のチャンスは40分、鈴木のシュートがキーパーに阻まれる。
前半はボールの支配率でACミランに押されていたが、再三の守備力でお互い得点無しの0対0に持ち込んだ。そして後半に入る。今まで得点を与えず、どうにか凌いできた浦和レッズであったが、やはり名門ACミランである。ここからボールの支配率が上がり、厚みのある攻撃を繰り返す。浦和の方は、やや気落ちしたのか、前半ほどの動きは無い。後半10分には、セードルフがフリーになり、ゴールキーパと一対一で向き合いシューするがサイドネットに当ててしまう。何度かACミランの攻撃を受けるも、ディフェンダーが甘い時がある。結局、その欠点を衝かれてれてしまいそれがとうとう後半23分、カカからゴールマウスの前で待機するセードルフへボールが回ったと思ったら、セードルフが左足で蹴り込んだ。
アーアー、とうとう浦和レッズのディフェンスラインが破られた。それもカカから出た、ほんの一瞬の隙を見逃さずにセードルフが決めた。その後もACミランの攻撃陣は活況の様子だった。
最終的には1対0で、ACミランが辛勝したが、どうにかこの得点だけで、これ以上は得点を許さなかったというのは、賞賛に値するだろう。浦和の相手は世界のACミラン、とにかく強い相手である。負けたのだが、浦和の選手も堂々と胸を張ってもよいだろう。でも来年は、ここの大舞台に出て来られるかどうか・・・・浦和レッズにしても、これからが大変である。
私がサッカーに興味を持つ切っ掛けになった選手がガリンシャだった。彼は子供の頃、小児麻痺に罹り左右で脚の長さが違っていた。しかし、それが悪魔のドリブルを生む。彼を止められるディフェンダーはいなかった。
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