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2008.03.04 (Tue)

映画『太陽がいっぱい』を観る

 『太陽がいっぱい』1960年製作 フランス、イタリア合作

 監督 ルネ・クレマン

 出演 アラン・ドロン
     マリー・ラフォレ
     モーリス・ロネ
     エルヴィーレ・ポペスコ

 【あらすじ】貧しいアメリカの青年トム・リプレーは、お金持ちの放蕩息子フィリップを連れ戻して欲しいと彼の父親から頼まれナポリにやって来た。フィリップは仲間と空き放題の生活をし、美しい恋人のマルジュを連れていた。トムはそんなマルジュに惹かれていた。一方、フィリップは父の元へ戻る気などなく、フィリップ、マルジュ、トムの3人はヨットで海に出る。だが、フィリップはトムにヨットの操縦をさせ、その間、マルジュと遊興に耽っていた。貧乏なトムは次第に自分とは境遇の違いすぎるフィリップに殺意を抱くようになる。やがて些細なことからマルジュはフィリップと言い争いになり、ヨットを降りてしまう。ヨットの上でトムはフィリップと2人だけになってしまう。トムはフィリップとトランプをやっている最中にナイフで刺してしまう。トムはフィリップの死体を錨にロープで縛り海に投げ捨てた。・・・・・こうしてトムはフィリップの身分証明書の写真を自分に貼りかえて、フィリップのサインを真似、フィリップになりすまし財産を頂こうとするが・・・・・・・・・・・。

 20世紀の二枚目俳優アラン・ドロンの出世作。この『太陽がいっぱい』はパトリシア・ハイスミスの原作による映画化で、1999年には『リプリー』という同じ原作による映画化もされている。

 この作品は監督が『鉄路の闘い』『禁じられた遊び』『居酒屋』等の名作を撮ったルネ・クレマンだし、音楽はフェリーニの映画『道』『カビリアの夜』『81/2』で頭角を現したニノ・ロータで、映画は大ヒットした。1960年というとフランス映画はヌーヴェルバーグの嵐の中に巻き込まれていた。ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、ルイ・マル、アラン・レネに代表される映画の波があり、そんな時代にあって、ルネ・クレマンの撮った映画は難解ではなく、解りやすい映画が多く、それが人気を呼んだのかもしれない。

 ルネ・クレマンの演出と、映像、ニノ・ロータの美しい音楽、そこへ天下の二枚目アラン・ドロンが出演ときていては、ヒットしない筈がないというものである。この時、アラン・ドロンは弱冠25歳で実に若々しい。

 アラン・ドロンは1935年生まれ、1956年の映画『女が事件にからむ時』で俳優デビュー。この『太陽がいっぱい』で一躍スターダムに伸し上がってからでも、ルキノ・ヴィスコンティの『若者のすべて』『山猫』、ミケランジェロ・アントニオーニ、ルイ・マル、ゴダール等の巨匠、名匠の映画に多数出演し人気を不動のものにしたのである。

 私はこの映画を何度も観ているが、上手く出来た傑作だと思う。それにヌーヴェルバーグ全盛のフランス映画界にあって、ルネ・クレマンの映画は商業主義的な娯楽作品ではあるが、そういった通俗性を感じさせない普遍性がある。海上でのヨット、そこへ殺そうと思っている人物と2人っきりになる。殺すのには絶好のシチュエーションである。そして、トランプを始め出す2人、やがて2人の会話からフィリップはトムが自分を殺そうとしていることに興味を持つ。「君は俺を殺して、それからどうする・・・・」

 このような殺人を犯すまでの演出が巧で、観る側をどんどんと話の核心に引き込んでいく。まさしくサスペンスの真髄である。そこへ旅情的な映像とニノ・ロータの美しい音楽が郷愁を誘い、絵になる役者アラン・ドロンが填まった演技をする。実にこのあたり巧くできていた。まさに太陽がいっぱいの映画である。

 『太陽がいっぱい』のハイライト・シーン集


 ニノ・ロータ作曲の『太陽がいっぱい』のテーマ曲(動画はなし)
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