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2008.03.24 (Mon)

アガサ・クリスティの『スタイルズ荘の怪事件』を読む

 アガサ・クリステイが亡くなって、もう30年以上になるであろうか。その昔、私がまだ高校生の頃、姉の部屋を覗くと書架に赤い背表紙の文庫本が100冊以上も並んでいた。誰の本だと見てみたらアガサ・クリスティの早川ミステリー文庫だった。とにかく私の姉は文学少女だったが、それは社会に出ても何ら変わらずであった。ただ、その頃は純文学たるものは卒業して、ミステリーや歴史小説、社会小説、スパイ小説、大衆小説、SF小説のような軽いものを片っ端から読み漁っていた。エラリー・クイン、ヴァン・ダイン、エド・マクベイン、ロス・マクドナルド、イアン・フレミング、ウィリアム・アイリッシュ、レイ・ブラッドベリ、アーサー・C・クラーク、ジョルジュ・シムノン、F・W・クロフツ、ディクスン・カー、フランシス・アイルズ、ジョン・ル・カレ、ウィルキー・コリンズ、ボワロ=ナルスジャック、野村胡堂、久生十蘭、高木彬光、小栗忠太郎、松本清張、横溝正史・・・・・・とにかく、この手の文庫本が山ほどあって(約1000冊か2000冊か、数は不明)、姉が家を出て行ったとき、結局は運べなくて置きっ放しになっていた。だから私も推理小説を買うこともなく、書架の中から気に入ったものだけを読んでいた。

 そんな中で、姉はアガサ・クリスティの小説を気にいってたらしく、『カーテン』というアガサ・クリスティの死後に出版された単行本を買って読んでいた。『カーテン』は、アガサ・クリスティ自身が死んだ直後に出版してくれと、生前に書き残していた小説であった。だから書き下ろしのようなものではないが、最後の作品となった。一方、アガサ・クリスティが世に出てくるきっかけとなった小説が『スタイルズ荘の怪事件』である。

 話の内容を簡単に言うと・・・・・第一次世界大戦の最中、イギリスの片田舎にあるスタイルズ荘へ、旧友の招きにより戦争で負傷したヘイスティングズは静養に訪れた。しかし、そこで女主人の富豪エミリー・イングルソープが、深夜、密室の中で毒殺されたのである。そこでヘイスティングズは、近くの村で再会したベルギー警察の名探偵エルキュール・ポワロに助けを求めることとなる。こうしてエルキュール・ポワロの緻密な推理が始まるのである・・・・・・・・・・・・。

 この小説は1920年に世に出て、アガサ・クリスティは瞬く間に有名になるが、彼女は謎だらけだった。推理小説を書くのだから作家自身も謎めいていた方が興味深いが、アガサ・クリスティの場合は余りにも人見知りをする性格から、人前に出るのを極端に嫌がっていたというのが真相らしい。聞くところによるとアガサ・クリスティは1890年、イギリスの生まれで、11歳の時、すでに短編小説を書いていたという。18歳で長編小説を書き、23歳でアーチボルド・クリスティ大尉と結婚している。その後、第一次世界大戦が起こり、彼女は薬剤師として働き、この時に毒薬の知識を得たという。

 このような知識と鋭い観察力、叡智に優れ推理小説を書くようになるのだが、人見知りする性格のため、ジャーナリストのインタビューや取材を拒絶していたという。だからアメリカやイギリスのジャーナリストから「ミステリーのグレタ・ガルボ」と呼ばれていたのである。

 また、1926年に傑作『アクロイド殺人事件』を発表するが、その年、突然のように失踪事件を起こしニュースとなる。結局、事件発覚後から11日経って、彼女はヨークシャーの保養地に偽名で宿泊していることが判明したという。それで失踪の原因ははっきりと解らないままであった。・・・・・このようにしてアガサ・クリスティは美貌のミステリー作家ということもあって、謎が謎を呼び人気を博したのである。また、アガサ・クリスティは、作家本人がミステリアスであり、謎めいていて、人生そのものからして推理小説のようであり、書く本も売れに売れた。その後に『オリエント急行殺人事件』『ABC殺人事件』『そして誰もいなくなった』『ナイルに死す』・・・・・・数々の傑作を残して1976年に亡くなったのである。でも、その後も彼女は生きていると思われたのは、至極、当然のことである。

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