2008.03.27 (Thu)
アンリ・バルビュス『地獄』を読む
もし仮に宿泊した旅館の壁に穴があいていて、隣の部屋を一部始終覗けるとしたら、あなたは覗いてみるだろうか・・・・・。このアンリ・バルビュスの『地獄』というのは、そのような覗き屋の話である。
銀行員の職を得ようとするための活動をしようと、30歳になる主人公の男はパリにやって来た。その活動の間、旅館で部屋を借りることになったのだが・・・。その借りた部屋の壁の割れ目から、隣室が覗けることに彼は気がついた。それで彼は、その穴から隣室で起こる全てを垣間見ることになる。
まず隣室に現れたのが女中である。それも真っ白な手首、仕事に荒れてやや黒ずんだ手。顔はぼやけて、はっきりしないが魅惑的な女性である。次に現れたのが若い女だった。香水と花の匂いが流れてくる。女はカーテンを閉め、あられもない姿を見せる。その次は幼い男女が姿を現した。2人とも恋に憧れている。つまり恋人同士になろうと夢見ているのだった。また互いに別のものを求めていながら、愛欲だけで繋がっている不倫のカップルがいる。同性愛者の女性二人がいる。不倫の妻とその夫の冷め切った関係が見てとれる。病苦におかされて死んでいく寂しい老人がいる。また、その老人と結婚しようとする優しい女もいる。血みどろになって生まれてくる赤ん坊もいる。こうして次から次へと隣室に人は、現れては消え現れては消える。主人公の男は、壁の穴を通して人間の真実の姿を見ることに熱中し、やがて孤独であり、持たざるものを欲望していく人間の地獄があることに気がつく。
この『地獄』を書いたアンリ・バルビュスは1873年に生まれ、早くから象徴派の詩人として評価され、その後にはジャーナリストとして頭角を現してくる。またジャーナリストとして活躍する一方、小説も書き出し、世紀末の不安と社会への不満を世に伝えようとばかりペシミズムの色濃い小説を世に出すのであった。こうした一連の中で『地獄』は発表されたのだが・・・・・・・・・・。でも出歯亀小説だといわれたりして、旅館の出入りする人たちの様々な情痴の世界を覗くという卑猥な好色小説の趣があるとも言えるが、この小説の本質はアンリ・バルビュス自身が言うには「これは私の時代の青年たちの精神状態の少しくロマン的な心理研究である・・・・」「この小説はあらゆる教理と宗教への力強い攻撃だ。もちろんその中心的要素をなす神をも含めて」・・・・・この小説の哲学は、肉体の快楽も苦痛も全て泡沫夢幻である。人間は常に孤独である。いかなる時にも、一瞬といえども心の融合はありえない。しかし、人間は天地萬物の中心である。その人間を人間たらしめるのは、孤独に徹した心である。したがって人の心にこそ真実はふくまれている。しかし、この小説の最後には、そのままのものとしての人間苦の肯定、悲惨なる人生への愛へと主人公の思いが傾く、やがて青年はパリから立ち去るのである。
銀行員の職を得ようとするための活動をしようと、30歳になる主人公の男はパリにやって来た。その活動の間、旅館で部屋を借りることになったのだが・・・。その借りた部屋の壁の割れ目から、隣室が覗けることに彼は気がついた。それで彼は、その穴から隣室で起こる全てを垣間見ることになる。
まず隣室に現れたのが女中である。それも真っ白な手首、仕事に荒れてやや黒ずんだ手。顔はぼやけて、はっきりしないが魅惑的な女性である。次に現れたのが若い女だった。香水と花の匂いが流れてくる。女はカーテンを閉め、あられもない姿を見せる。その次は幼い男女が姿を現した。2人とも恋に憧れている。つまり恋人同士になろうと夢見ているのだった。また互いに別のものを求めていながら、愛欲だけで繋がっている不倫のカップルがいる。同性愛者の女性二人がいる。不倫の妻とその夫の冷め切った関係が見てとれる。病苦におかされて死んでいく寂しい老人がいる。また、その老人と結婚しようとする優しい女もいる。血みどろになって生まれてくる赤ん坊もいる。こうして次から次へと隣室に人は、現れては消え現れては消える。主人公の男は、壁の穴を通して人間の真実の姿を見ることに熱中し、やがて孤独であり、持たざるものを欲望していく人間の地獄があることに気がつく。
この『地獄』を書いたアンリ・バルビュスは1873年に生まれ、早くから象徴派の詩人として評価され、その後にはジャーナリストとして頭角を現してくる。またジャーナリストとして活躍する一方、小説も書き出し、世紀末の不安と社会への不満を世に伝えようとばかりペシミズムの色濃い小説を世に出すのであった。こうした一連の中で『地獄』は発表されたのだが・・・・・・・・・・。でも出歯亀小説だといわれたりして、旅館の出入りする人たちの様々な情痴の世界を覗くという卑猥な好色小説の趣があるとも言えるが、この小説の本質はアンリ・バルビュス自身が言うには「これは私の時代の青年たちの精神状態の少しくロマン的な心理研究である・・・・」「この小説はあらゆる教理と宗教への力強い攻撃だ。もちろんその中心的要素をなす神をも含めて」・・・・・この小説の哲学は、肉体の快楽も苦痛も全て泡沫夢幻である。人間は常に孤独である。いかなる時にも、一瞬といえども心の融合はありえない。しかし、人間は天地萬物の中心である。その人間を人間たらしめるのは、孤独に徹した心である。したがって人の心にこそ真実はふくまれている。しかし、この小説の最後には、そのままのものとしての人間苦の肯定、悲惨なる人生への愛へと主人公の思いが傾く、やがて青年はパリから立ち去るのである。
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