2008.03.12 (Wed)
ビージーズを聴く
ビージーズというのは5年前にモーリス・ギブが急逝するまで現役のグループだった。と最近、若い衆に言われて驚いた。何故、驚いたかというと、私が小学生の頃から存在するグループだからである。ザ・ビージーズというのは、ギブ三兄弟の甘いヴォーカルが売りのポップ・グループであることは知られているところだろうが、私が知っているビージーズというのは5人組であった。バリー・ギブの長兄、ロビン・ギブ、モーリス・ギブの双生児と、ドラムスのコリン・ピーターセン、ギターのヴィンス・メロニーが当初のメンバーであった。彼らはオーストリアで1963年にデビューした。でもその頃のビージーズを私は知らない。私がビージーズの名前を最初に聞いたのは1967年だったと思う。『マサチューセッツ』の大ヒットによってである。甘い声で~~Feel I'm going back to Massachusetts~~と囁くように唄われる。私は当初、コーラス・グループかと思ったぐらいである。
その頃、音楽雑誌で調べてみて、The Bee Geesというのは、イギリスのマン島で生まれたギブ三兄弟が、一家のオーストラリア移民によってオーストラリアで結成されたポップ・グループであるということが解ったのである。だからデビュー当初は、ビートルズやローリング・ストーンズ、アニマルズ、ビーチ・ボーイズ、ドアーズといったグループとなんら変わらないエレキ・ギター・サウンドのロック・グループ、ポップ・グループだったのである。
1967年に『マサチューセッツ』の大ヒットによって日本でも知られることとなったビージーズ。ここからヒット曲が目白押しである。アメリカでのデビュー曲となった『ニューヨーク炭鉱の悲劇』『ホリデイ』『ワールド』、1968年『ワーズ』『獄中の手紙』『ジョーク』、1969年『若葉の頃』、1970年『アイ・オー・アイ・オー』、1971年『メロディ・フェア』・・・・・とにかく覚えやすい甘い旋律と、メロウな声が日本でも受けたのか、カバーする日本のグループも多かった。このあたりビージーズはメロディメーカーといってもいいだろう。
だが私が知るビージーズは1970年代前半までである。1970年代後半からのビージーズというのは、当時のディスコ・ブームと相成ってディスコ・サウンドに近い曲が多く、私の知り得たビージーズではなかった。でも1977年末から1978年8月まで32週間に及び、ビージーズの曲がアメリカのヒットチャートで1位を独占し続けるという記録を作ったりして、売れに売れていたようだ。しかし、すっかりサウンドは変わっていて、かつてのメンバーであったコリン・ピーターセン、ヴィンス・メロニーの他人はとっくにいなかった。結局、兄弟だけのビージーズになり、その後も『愛はきらめきの中に(How Deep Is Your Love)』『Stayin' Alive』『Night Fever』等、数々のヒット曲を出し続けることとなる。
その後、ビージーズがどのような曲をリリースし、どのような活躍をしていたのか、私の知る範囲ではない。でも息長く、40年も第一線で活躍してきたグループであるということは、彼等の音楽性というのは、時代を超越した普遍性が備わっているのか、それとも絶えず、潮流に乗る術を心得ていたのか、これも私の知らないところである。ただ、私が言えることは、甘いサウンドと優美なメロディに包まれた彼等の歌声は、青春の甘酸っぱさを含んでいたということだ。あの日に聴いた『若葉のころ』のように・・・・・・・・・・。
『マサチューセッツ』を歌うザ・ビージーズ
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