2009.08.05 (Wed)
親の所得と子供の学力と・・・・・・
今朝の新聞を読んでいたら、親の所得が多いほど子供の学力が良いといった記事があった。これは文部科学省の委託を受けたお茶の水女子大の教授らが行なった調査によるもので、全国学力テストに参加した小学校6年生のうち、五つの政令指定都市から100校、8000人を無差別で選び行なった。その結果、親の年間所得が多いほど子供の学力が高かったという結果が出た。つまり親の年間所得が200万円未満の家庭の子供よりも、親の年間所得が1200万円以上の家庭の子供の方が、平均正解率で20ポイントも上回っていた。また、その平均正解率も親の所得が高くなるほど高くなり、見事に親の年間所得と子供の学力と比例している。
でも、何を今さらと思う。こんなこと20年以上も前から言われているだろうし、東大生は年収1000万円以上もある家庭の子が多いといわれたのもかなり以前のことである。だから筆者は何を言いたいかということになるが・・・・・・・端的に困ったことだなあと世の中を憂いているのである。
人は教育を受ける権利があるが、学校で学ぶだけでは成績が上がらないといって、小学生の間から塾通い、または家庭教師をつけるといったことが当たり前のご時世である。それに今の世の中、学力偏重主義で、より良い学校を出ることにより、人生のその後までが決まってしまうということ・・・・。人間は学力以外でも、その人の価値を判断する基準というものがあるはずだが、残念なことに何かにつけ学歴優先で、より高学歴とされる大学を出ている人を優先的に、企業や法人等が採用することが慣習化している。それにより当然、高学歴の人ほど就職の時の選択肢が多く、年収が高い職に就くことが出来る。一方、学力が低いと、当たり前のように就職で不利になる。その結果、選択肢が少なく、年収の低い仕事に甘んじなければならない。
まだ私の子供の頃は、塾へ行く子も少なく、家庭教師をつけている家庭なんて希であった。だから親の年収に関係なく、努力する子とサボる子と、次第に学力で差がついていったものだから、飽く迄も学力差は個人的な問題であった。要は陰で勉強をコツコツとしていた子が成績も良かったということである。だが、最近のように、親の年収と子供の成績が比例するというのは、子供の個々の問題だけではなくなってくる。だから困った問題なのである。
今は小学生の頃から、裕福な家庭の子は塾に通わせ、さらには家庭教師をつける。そして進学校と言われる私立校に小学校、中学校から通わせる。だがこれらには当然、大金をつぎ込まなければならない。子供の教育には厖大な金が必要だということ。親の年収に余裕があれば、それは可能だろう。でも、低収入の家庭では、それが出来ない。せっかく良い資質を持っている子供がいても、塾には通わせられないし、家庭教師もつけられない。ただゆとり教育を推進した公立学校の授業で教わるだけで、あとは本人の努力に頼らなければならない。小学生で、いくら頭が良い子がいるといっても、未知の学問を教わる場合、やはり独学で勉強するよりも、プロの講師や教師に教わったほうが、理解しやすいだろうし学力も伸びるだろう。
つまりこういった毎日が繰り返され、次第に所得の高い家の子と、所得の低い家の子との間で学力に開きが出来てしまうのである。結局、現在はこのような作られた教育システムで生まれた秀才ばかりが東大や京大、及び優秀と言われる大学に進み、彼らが後に官僚や有名企業に進むのである。
これだけ書くとなんら問題がないように思う。が、子供の頃から、家が裕福でお金に苦労をしたことがなく、その上コミュニケーションが下手で、ただ勉強だけをやっていた・・・・そして、こんな秀才たちが官僚になる。その結果、子供の頃から貧乏を知らないから、庶民の苦労が判らない。・・・・こんな官僚が世の中を作るのであるから問題なのだ。
官僚に限らず、全てがこのような世の流れで大企業に就職したり、また国会議員の子が簡単に国会議員に当選する。・・・・・・・の一方では、何だかんだといって、貧乏人はよほどのことがないと、出世できない世の中になりつつある。これが問題なのである。基本的に人は平等であるといっておきながら、貧富の差は歴然としているし、それが親から子へと移っても、貧乏からなかなか脱皮できないシステムにだんだんと世の中全般が移行しているから大問題なのである。・・・・とは言っても、金持ちからは負け犬の遠吠えだと言われそうだから、もうやめた。しかし、今の子はたいへんだ。私なんか早く生まれていて助かったと思うよ。
でも、何を今さらと思う。こんなこと20年以上も前から言われているだろうし、東大生は年収1000万円以上もある家庭の子が多いといわれたのもかなり以前のことである。だから筆者は何を言いたいかということになるが・・・・・・・端的に困ったことだなあと世の中を憂いているのである。
人は教育を受ける権利があるが、学校で学ぶだけでは成績が上がらないといって、小学生の間から塾通い、または家庭教師をつけるといったことが当たり前のご時世である。それに今の世の中、学力偏重主義で、より良い学校を出ることにより、人生のその後までが決まってしまうということ・・・・。人間は学力以外でも、その人の価値を判断する基準というものがあるはずだが、残念なことに何かにつけ学歴優先で、より高学歴とされる大学を出ている人を優先的に、企業や法人等が採用することが慣習化している。それにより当然、高学歴の人ほど就職の時の選択肢が多く、年収が高い職に就くことが出来る。一方、学力が低いと、当たり前のように就職で不利になる。その結果、選択肢が少なく、年収の低い仕事に甘んじなければならない。
まだ私の子供の頃は、塾へ行く子も少なく、家庭教師をつけている家庭なんて希であった。だから親の年収に関係なく、努力する子とサボる子と、次第に学力で差がついていったものだから、飽く迄も学力差は個人的な問題であった。要は陰で勉強をコツコツとしていた子が成績も良かったということである。だが、最近のように、親の年収と子供の成績が比例するというのは、子供の個々の問題だけではなくなってくる。だから困った問題なのである。
今は小学生の頃から、裕福な家庭の子は塾に通わせ、さらには家庭教師をつける。そして進学校と言われる私立校に小学校、中学校から通わせる。だがこれらには当然、大金をつぎ込まなければならない。子供の教育には厖大な金が必要だということ。親の年収に余裕があれば、それは可能だろう。でも、低収入の家庭では、それが出来ない。せっかく良い資質を持っている子供がいても、塾には通わせられないし、家庭教師もつけられない。ただゆとり教育を推進した公立学校の授業で教わるだけで、あとは本人の努力に頼らなければならない。小学生で、いくら頭が良い子がいるといっても、未知の学問を教わる場合、やはり独学で勉強するよりも、プロの講師や教師に教わったほうが、理解しやすいだろうし学力も伸びるだろう。
つまりこういった毎日が繰り返され、次第に所得の高い家の子と、所得の低い家の子との間で学力に開きが出来てしまうのである。結局、現在はこのような作られた教育システムで生まれた秀才ばかりが東大や京大、及び優秀と言われる大学に進み、彼らが後に官僚や有名企業に進むのである。
これだけ書くとなんら問題がないように思う。が、子供の頃から、家が裕福でお金に苦労をしたことがなく、その上コミュニケーションが下手で、ただ勉強だけをやっていた・・・・そして、こんな秀才たちが官僚になる。その結果、子供の頃から貧乏を知らないから、庶民の苦労が判らない。・・・・こんな官僚が世の中を作るのであるから問題なのだ。
官僚に限らず、全てがこのような世の流れで大企業に就職したり、また国会議員の子が簡単に国会議員に当選する。・・・・・・・の一方では、何だかんだといって、貧乏人はよほどのことがないと、出世できない世の中になりつつある。これが問題なのである。基本的に人は平等であるといっておきながら、貧富の差は歴然としているし、それが親から子へと移っても、貧乏からなかなか脱皮できないシステムにだんだんと世の中全般が移行しているから大問題なのである。・・・・とは言っても、金持ちからは負け犬の遠吠えだと言われそうだから、もうやめた。しかし、今の子はたいへんだ。私なんか早く生まれていて助かったと思うよ。
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