2009.08.24 (Mon)
今夏の高校野球を観て思ったこと・・・
今年の夏の高校野球も中京大中京の史上最多7回目の優勝で幕を閉じた。今年は甲子園がリニューアルされて綺麗になったということもあるのだろう、例年以上に大入りだったと聞いている。でも私は高校野球のあり方に日頃から疑問を抱いているので、どちらかというと熱心になれない性質である。ところが最近というか、この10年ほど遡っても、高校野球の地域間における力関係に異変が起こりつつあることに着眼し、今回、記事にしてみようと思ったまでである。
私が高校生だった頃の話であるが、夏の高校野球は30校しか出場枠がなかった。それで東京や神奈川、愛知、大阪、兵庫、福岡といった学校の多い地域は1県1校代表を送れたが、大部分の地域は2県で1校しか出られなかった。たとえば京都府は滋賀県と一括で京滋代表ということになっていたし、奈良県も和歌山県と代表枠1つを争わなけらばならなかった。今なら考えられないだろうが、昭和40年代までは記念大会を除いてこのような大会規模であった。また当時は今と違って、野球レベルに地域差が歴然として見られた時代であり、私が高校生の頃までは春・夏通じても優勝したことのある県は最北で栃木県、最南で熊本県であった。またその間でも優勝経験のあるところは、太平洋側、瀬戸内海側に面する県に限られていて、日本海側は優勝未経験であった(これは今でも続いているようだが)。
要するにあの頃までは、地域格差が明確にあって、強い地域と弱い地域が甲子園で対戦すると、決まって10点以上の点差がついていた。たとえば兵庫県や大阪の代表が一回戦で北海道代表や沖縄代表と当るとまず大差で勝つと誰もが考えていて、事実、それに近いスコアで勝敗が決していたように思う。
最近の高校野球ファンだと沖縄が弱かったなんて想像がつかないだろう。でも確かに弱かったのである。それが昭和50年頃に豊見城高校が出てきてから、それまでの弱い沖縄代表のイメージを払拭してしまい、今では強豪県の一つといっても差し支えないだろう。でも昭和の時代は、沖縄県も決勝まで行ったことがなく、盛んに春・夏の何れかの決勝にまで駒を進めるようになったのは平成になってからである。まず沖縄水産が夏の大会で2年連続準優勝し、その後、選抜で沖縄尚学がとうとう優勝した。また沖縄が強くなるにつれ、九州勢が強くなった。昭和の時代、さほど目立たなかった九州勢が、平成になって決勝に駒を進めるか優勝するかといったことが頻繁になってきた。これまで春夏ともに決勝戦にすら出たことが無かった鹿児島や佐賀、長崎といった県の代表が決勝に進出するか優勝することが当たり前のようになった。
でもこれらは暖かい地域である。練習量さえ豊富であれば、何れ優勝するであろうと考えられる。でも不思議なのは寒冷地の北海道や東北勢が実力をつけてきた。これも平成になってからだが、仙台育英、東北といった宮城県勢、今年の春に準優勝した岩手の花巻東、そして最も驚いた北海道の駒沢大苫小牧の夏2連覇。駒沢大苫小牧はあわや3連覇という偉業まで達成目前だったことを考えれば驚嘆する。そして今日は日本文理高校が、新潟県代表として初の決勝進出で地元は大いに盛り上がったであろう。
さて、ここで話の中枢に入るが、昭和の頃までは野球弱小県といったところは活躍が目立たなかったのに、平成以降、かつての弱小県が急激に強くなってきた。一方、強豪県といわれてきた地域が逆にひ弱になってきたように思う。それでその傾向が最も顕著なのが大阪であろう。大阪府は全国47都道府県の中でも春夏18回の最多優勝を誇るが、昨年の夏に大阪桐蔭が優勝するまで、17年間、優勝することが出来なかった。また春を入れても1993年の上宮の優勝から遠ざかっていたのである。もしたかが17年と思われる方もいるだろうが、その前の15年間(1978年~1993年)で大阪代表は春夏含めて10回も優勝しているのである。なのに、その後のパワーダウンはいったいどうしたというのだろうか。
よく言われていることだが、大阪府のボーイズリーグに所属している有力選手が遠方の高校に野球留学するのが目立つようになったからだという。それなら何処の県もあることだといわれそうだが、一昨年の夏の選手権大会地区予選に選手登録された75706人を調べると明確であった。この年、隣接県以外の県外へ流出した高校球児は第3位の神奈川県が110人で、第2位の兵庫県が125人である。なのに大阪府は427人もの野球少年が遠方の野球強豪校へ進学していたのである。だから青森の○○高校や山形の○○○高校は甲子園に出てきたものの、大阪府出身者で選手が固められ、これで県の代表なのかと思わせた。また東北高校のダルビッシュや駒沢苫小牧の田中投手など、何れも大阪、兵庫の出身だと聞いて複雑な気持ちになった人も多いと思われる。
かつては地方の中学校から、都会の野球強豪校に憧れて集まってきたというのが、今は逆の現象が見られているのである。もっとも、大阪からこんなに選手が流出しているのは理由があって、大阪にいると甲子園に出られる可能性が非常に低いからということがある。同じ理由を神奈川や東京に当てはめてみてもわかると思うが、東京は東西に分かれている関係から、甲子園に出られそうな高校がかなり絞られているし、神奈川も3、4校に絞られる。それに比べると大阪は、最近、何処が出てくるか判らない。PLが連続して出ていた時代と違って今は戦国時代である。大阪桐蔭、PLといった2強時代に入ったという人もいるが、こればかりは判らない。それなら強豪校の少ない地方の県に行って、甲子園を目指した方が、より甲子園出場の夢が叶うと考えている野球少年は少なくない。それで大阪から多くの有望な球児が流出してしまい、大阪の高校野球は空洞化しているといわれて久しいのである。
これは大阪ほど顕著ではないが、兵庫県も選手が流出してしまい、かつての強さはない。そして、こういった事態と反比例して、これまで弱いとされた県の代表校が、次から次へと決勝にまで進出するようになり、または優勝したりする。時代は変わったのである。県外への選手流出は喜ばしい現象ではないが、これによって野球における地域格差が是正されたのだとしたら、見るほうにとっては面白いだろう。でも県外出身者で固められた高校が5年も6年も連続で甲子園に出るようだと、やはり考えなければならないかもしれない。
私が高校生だった頃の話であるが、夏の高校野球は30校しか出場枠がなかった。それで東京や神奈川、愛知、大阪、兵庫、福岡といった学校の多い地域は1県1校代表を送れたが、大部分の地域は2県で1校しか出られなかった。たとえば京都府は滋賀県と一括で京滋代表ということになっていたし、奈良県も和歌山県と代表枠1つを争わなけらばならなかった。今なら考えられないだろうが、昭和40年代までは記念大会を除いてこのような大会規模であった。また当時は今と違って、野球レベルに地域差が歴然として見られた時代であり、私が高校生の頃までは春・夏通じても優勝したことのある県は最北で栃木県、最南で熊本県であった。またその間でも優勝経験のあるところは、太平洋側、瀬戸内海側に面する県に限られていて、日本海側は優勝未経験であった(これは今でも続いているようだが)。
要するにあの頃までは、地域格差が明確にあって、強い地域と弱い地域が甲子園で対戦すると、決まって10点以上の点差がついていた。たとえば兵庫県や大阪の代表が一回戦で北海道代表や沖縄代表と当るとまず大差で勝つと誰もが考えていて、事実、それに近いスコアで勝敗が決していたように思う。
最近の高校野球ファンだと沖縄が弱かったなんて想像がつかないだろう。でも確かに弱かったのである。それが昭和50年頃に豊見城高校が出てきてから、それまでの弱い沖縄代表のイメージを払拭してしまい、今では強豪県の一つといっても差し支えないだろう。でも昭和の時代は、沖縄県も決勝まで行ったことがなく、盛んに春・夏の何れかの決勝にまで駒を進めるようになったのは平成になってからである。まず沖縄水産が夏の大会で2年連続準優勝し、その後、選抜で沖縄尚学がとうとう優勝した。また沖縄が強くなるにつれ、九州勢が強くなった。昭和の時代、さほど目立たなかった九州勢が、平成になって決勝に駒を進めるか優勝するかといったことが頻繁になってきた。これまで春夏ともに決勝戦にすら出たことが無かった鹿児島や佐賀、長崎といった県の代表が決勝に進出するか優勝することが当たり前のようになった。
でもこれらは暖かい地域である。練習量さえ豊富であれば、何れ優勝するであろうと考えられる。でも不思議なのは寒冷地の北海道や東北勢が実力をつけてきた。これも平成になってからだが、仙台育英、東北といった宮城県勢、今年の春に準優勝した岩手の花巻東、そして最も驚いた北海道の駒沢大苫小牧の夏2連覇。駒沢大苫小牧はあわや3連覇という偉業まで達成目前だったことを考えれば驚嘆する。そして今日は日本文理高校が、新潟県代表として初の決勝進出で地元は大いに盛り上がったであろう。
さて、ここで話の中枢に入るが、昭和の頃までは野球弱小県といったところは活躍が目立たなかったのに、平成以降、かつての弱小県が急激に強くなってきた。一方、強豪県といわれてきた地域が逆にひ弱になってきたように思う。それでその傾向が最も顕著なのが大阪であろう。大阪府は全国47都道府県の中でも春夏18回の最多優勝を誇るが、昨年の夏に大阪桐蔭が優勝するまで、17年間、優勝することが出来なかった。また春を入れても1993年の上宮の優勝から遠ざかっていたのである。もしたかが17年と思われる方もいるだろうが、その前の15年間(1978年~1993年)で大阪代表は春夏含めて10回も優勝しているのである。なのに、その後のパワーダウンはいったいどうしたというのだろうか。
よく言われていることだが、大阪府のボーイズリーグに所属している有力選手が遠方の高校に野球留学するのが目立つようになったからだという。それなら何処の県もあることだといわれそうだが、一昨年の夏の選手権大会地区予選に選手登録された75706人を調べると明確であった。この年、隣接県以外の県外へ流出した高校球児は第3位の神奈川県が110人で、第2位の兵庫県が125人である。なのに大阪府は427人もの野球少年が遠方の野球強豪校へ進学していたのである。だから青森の○○高校や山形の○○○高校は甲子園に出てきたものの、大阪府出身者で選手が固められ、これで県の代表なのかと思わせた。また東北高校のダルビッシュや駒沢苫小牧の田中投手など、何れも大阪、兵庫の出身だと聞いて複雑な気持ちになった人も多いと思われる。
かつては地方の中学校から、都会の野球強豪校に憧れて集まってきたというのが、今は逆の現象が見られているのである。もっとも、大阪からこんなに選手が流出しているのは理由があって、大阪にいると甲子園に出られる可能性が非常に低いからということがある。同じ理由を神奈川や東京に当てはめてみてもわかると思うが、東京は東西に分かれている関係から、甲子園に出られそうな高校がかなり絞られているし、神奈川も3、4校に絞られる。それに比べると大阪は、最近、何処が出てくるか判らない。PLが連続して出ていた時代と違って今は戦国時代である。大阪桐蔭、PLといった2強時代に入ったという人もいるが、こればかりは判らない。それなら強豪校の少ない地方の県に行って、甲子園を目指した方が、より甲子園出場の夢が叶うと考えている野球少年は少なくない。それで大阪から多くの有望な球児が流出してしまい、大阪の高校野球は空洞化しているといわれて久しいのである。
これは大阪ほど顕著ではないが、兵庫県も選手が流出してしまい、かつての強さはない。そして、こういった事態と反比例して、これまで弱いとされた県の代表校が、次から次へと決勝にまで進出するようになり、または優勝したりする。時代は変わったのである。県外への選手流出は喜ばしい現象ではないが、これによって野球における地域格差が是正されたのだとしたら、見るほうにとっては面白いだろう。でも県外出身者で固められた高校が5年も6年も連続で甲子園に出るようだと、やはり考えなければならないかもしれない。
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