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2009.08.26 (Wed)

ディック・フランシス・・・・・『興奮』を読む

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 大型書店の海外ミステリー・コーナーに並んでいる緑色の背表紙の文庫本。それがディック・フランシスの競馬シリーズだが、意外にも読んでいない人が多い。それは日本人が競馬に対して偏見があるからだと思う。そういえば今から20年ほど前になるだろうか、ディック・フランシスの書くものは面白いからと、一度、ミステリー好きな女性に薦めたことがあるが、読もうとしなかった。彼女曰く「競馬ってギャンブルでしょう」と、あっさり言われ、儲けた損したなんていう話は好きではないという。勘違いも甚だしいが、「一度騙されたと思って読んでごらん」といって強引に手渡したのが、この『興奮』である。

 それで一週間ほどしてその女性が「面白かった」といって、本を読み終えて私に返却した。彼女からは、ギャンブルの話かと思ったら競馬界を取り巻く不正を暴く話で、ミステリーとしては一級品であるという返事が返ってきて、さらに他のディック・フランシスの物も読みたいと言い出した。まあ、世の中ってこういうものだろう。所詮は偏見からくる先入観だけで読まず嫌いになっていたということである。

 『興奮』の内容を簡単にいうと、イギリスの障害レースでまったく人気の無い穴馬が、突如として異常とも思えるほどの快走を見せ、番狂わせを演じて勝ちまくるケースが次から次へと起こる。これは興奮剤を馬に与えているのではないかと疑問がわくが、いくら厳重に検査しても興奮剤は検出されないのであった。また騎手、厩務員、調教師、馬主等の関係者にも不審な点は見つからない。でも不正は絶対に行なわれている。そこでオーストラリアで牧場を経営している主人公が競馬界の理事に口説き落とされて、厩務員に化けて、黒い霧の真相を探るという話である。まさに競馬シリーズを書き続けているディック・フランシス独自の視点で書いていて、着眼点が実に面白いのである。これはイギリス競馬界の内部を知り尽くしているから書けるのであって、付け焼刃で書いたようないい加減な競馬ミステリーとは一線を画すであろう。

 ところでディック・フランシスのことを知らない人のために、簡単な説明を加えようと思う。彼は1920年、イギリスのウェールズで生まれた。祖父はアマチュア騎手で、父も騎手として馬上の人であったが、第一次世界大戦後、厩舎に勤めていた。そんな環境の中で、ディック・フランシスは育ち、7歳から馬に乗っていたという。当然、彼は騎手になるように訓練をつむが、成長期に背が伸びすぎてやむなく平地競争の騎手を諦める。その間に第二次世界大戦が勃発し、ディック・フランシスはイギリス空軍に従軍する。戦後になっても騎手の道を諦められず、結局、体重があっても大丈夫な障害専門の騎手となる。アマチュアの騎手として2年働き、3年目のシーズンである1948年にプロ騎手に転向する。プロとなってからはメキメキ腕を上げ、トップジョッキーの一人となり、1953年からはとうとうクイーンマザー(現エリザベス女王)の専属騎手となり、1957年に騎手を引退するまで350勝以上を挙げる。騎手を引退してからは競馬欄担当の新聞記者となり、その後に作家に転身、推理小説を書き始め現在に至るのである。

 つまりディック・フランシスは最初から小説家として生計を立てていた訳ではなく、人生の若い頃は実際に騎手として多くのことを体験していたのである。こうしてイギリス競馬界の裏も表も知り尽くし、複雑な人間関係と、ややこしい利害関係、これらを絡めて彼特有のアイデアでミステリー競馬シリーズを書き続けているのである。これまで1962年発表の『本命』から始まって、『大穴』『重賞』『度胸』『飛越』『血統』『罰金』『査問』『混戦』『骨折』『煙幕』『暴走』『転倒』『追込』『障害』等、競馬シリーズを出し続け、固定したファンが多数いるミステリーの大家として今日では位置づけられているのである。

 日本では競馬というと、何かにつけギャンブルと一言で片付けられてしまうが、そこは競馬発祥の地イギリスである。立派に文化として成り立っている。日本での競馬ジャーナルと言えば、飽く迄も予想が中心になってしまい、問題を提議して議論百出、喧々囂々と持論を展開し、意見を戦わすといった類の競馬ジャーナルの存在はあまり無いがイギリスでは話が違ってくる。やはり競馬の歴史が300年以上もある国である。何かにつけ歴史の積み重ねがあり奥が深いのである。だから競馬ジャーナル一つとっても記者の見識が感じられ、◎○▲△といった印を競馬予想紙にうって的中率を自慢しているような、何処かの国の競馬ジャーナリスト(予想紙の記者をジャ-ナリストと呼べないかもしれないが)とはレベルが違うのである。そして、このような世界からミステリー作家が現れるのである。それで、このような彼我の差を考えると、日本において、競馬ジャーナル出身の推理作家が出てくることは有り得ないとも思える。

 でも競馬こそが最高の推理小説であると言う人がいるぐらいだ。だから競馬にはまった人は、馬券を的中することに夢中になりすぎて、推理小説なんて読まないのかもしれない。

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