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2009.11.05 (Thu)

ディープ・パープルのアルバム『マシン・ヘッド』を聴く

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  ディープ・パープルというハードロック・グループがある。今でも現役だというが、結成は1968年だから41年も前になるから古いバンドである。日本では何故か格別に人気があって、なにしろ1972年8月に来日した時(15日、16日、大阪厚生年金会館。17日、日本武道館)のライヴ盤が日本限定で発売されたぐらいだから、如何に日本での人気が特化していたかということになる。そのおかげで、そのアルバムの中からシングルカットされた『スモーク・オン・ザ・ウォーター』がアメリカでヒットし、ようやくアメリカでも注目されたバンドなのである。ならば日本でどうしてそんなに人気があるかというと、実に判り易いハードロックを演奏していたからである。あの頃、日本はやたらとハードロックが受けたのである。でもディープ・パープルは結成当初、ハードロックばかりを演奏するバンドではなかったのだ。

 結成当初のメンバーはジョン・ロード(キーボード)、リッチー・ブラックモア(ギター)、イアン・ペイス(ドラムス)、ニック・シンパー(ベース)、ロッド・エヴァンス(ヴォーカル)で、ライヴでにおいてはジャズやクラシックの要素を含んだ即興演奏をこなすなど、どちらかというとイギリスのバンドらしいプログレッシブ的な音楽を好んで演奏していたのだが、アルバム3枚を出したものの大ヒットは出せなかった。つまり大衆性がなかったということになり、独自の音楽性を構築していただけであった。

 それが1969年にバンド内で対立がありメンバーが入れ替ることになる。こうしてジョン・ロード、リッチー・ブラックモア、イアン・ペイスに加えて、ロジャー・グローヴァー(ベース)、イアン・ギラン(ヴォーカル)が参加。この時期、レッド・ツェッペリンに象徴されるようなハードなサウンドをするべきだとリッチー・グラックモアが訴えると、ジョン・ロードは今までのような幻想的なサウンドで進めるべきだと意見が対立。その結果、一度だけハードロック路線を志向したアルバムを作ろうとリッチー・ブラックモアの意見が通り、その結果『ブラック・ナイト』がイギリスと日本でヒットしたのである。だから日本ではディープ・パープルはハードロックといったイメージが強いのだと思う。でもアメリカで火がついたのは、先ほど述べたように『ライブ・イン・ジャパン』のアルバムが出てからのことである。

 さて、当アルバム『マシン・ヘッド』は1971年12月、スイスでアルバム『マシン・ヘッド』が録音された。収録曲は『Highway Star』『Maybe I’m a leo』『Pictures of home』『Never before』『Smoke on the water』『Lazy』『Space Truckin’』の7曲である。この中にはお馴染みの曲がいくつか含まれていて、1972年の春、このアルバムが発売されることになるが、当然のようにベストセラー・アルバムとなる。

 こうして『ハイウェイ・スター』や『スモーク・オン・ザ・ウォーター』等は今でも、ハードロックの傑作曲として必ず名前が挙げられるようになるが、ディープ・パープルは必ずしもハード・ロックばかりを追求していた訳ではないということを知って欲しかったのである。

 その後、ディープ・パープルは例によって、何度かメンバーの入れ替えがあり、解散、再結成と何かと忙しく、その度に音楽性も微妙の変遷しているようだが、やはり最もディープ・パープルが輝いていた時期というのが、当アルバムを生み出した1969年~1973年の第2期のメンバーの頃であろう。


 『Highway Star』を演奏するDeep Purple(1972年)



 『Smoke on the water』の演奏(1973年)。イントロが余りにも有名な曲である。

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