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2009.11.26 (Thu)

ブラームス・・・・・『交響曲第4番』を聴く

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 空がどんよりとして口からはく息が白くなり、落葉が目立つ季節になると何故かブラームスの交響曲が聴きたくなるという悪癖、悪習が私にはある。ブラームスの交響曲といったところで4曲しかないから、以前に1番を紹介したから何番がいいかなあと考えたところ、この季節に聴くとしたら3番か4番だろうと考え、結局、4番を紹介することにした。

 この4番は交響曲はブラームスが試行錯誤を重ねて長年かかって完成した1番と違い書き始めから完成まで僅か1年の短期間で創作されたのである。1883年、ブラームスが50歳の時に交響曲3番を完成させ、その翌年の夏にミュルツシュラーに避暑に行き、そこで第1楽章と第2楽章が書かれ、1885年の夏になり第3楽章が完成していたという。つまりブラームスの陰鬱ともいえるような4番の渋い曲調は、意外にも明るい夏に大半が書かれていたというから判らないものである。

 この頃のブラームスは押しも推されぬ音楽界の重鎮であり、それでいて孤独な寂しさから逃れる出来なくもあったといわれ、青年時代からの親友ヨアヒムとの友情も破錠をきたし、ブラームスのよき理解者だった指揮者のヘルマン・レヴィもヨアヒム側に立ちブラームスと絶交状態であった。さらにブラームスと親交のあった仲間たちも次々と故人となり、いわば音楽にも人間的にも孤独な影が全体を覆うような諦観を見せるようになっていた。ちょうど、この頃に書かれたというのが、この交響曲第4番ホ短調であり、あまりにも曲の出だしから内省的である。そういえば私が小学生の頃に観た映画『キューポラのある町』(1962年、吉永小百合主演)で、この交響曲第4番の冒頭がかかっていたのを思い出す。

 ところでブラームスの交響曲は保守的だといわれる。斬新なことは一切せず、過去への追憶も自分を慰める手段の一つになるというから、過去の良い音楽を好み、それらに郷愁を抱いていたところがあるほどの作曲家である。したがってこの4番も保守的な手法で書かれており、すでにマーラーやブルックナーが登場していることを考えれば、あまりにも古臭いといわざるを得ない。殊に第4楽章はシャコンヌの手法を用いているし、全体的に対位法を愛用している。また曲全体がバロック風旋律で満ち溢れ管弦楽法そのものが200年も遡ったかのようだといわれるなど、同時代のチャイコフスキーやドヴォルザークの交響曲と対比してみても、その古臭さは一目瞭然である。それでいてしっかりと曲が出来上がっていて結果として陳腐なものにはならずに19世紀の数ある交響曲の中でも傑作の一つとされるのだから、ブラームスは優れた作曲家であったことは確かである。

 第1楽章の頭から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリンの弦楽とフルート、クラリネット、ファゴットの木管が交互にむせび泣くようなメロデイが奏でられ、時には訴え、不安を提示したり反抗したり、慰めたり、曲全体が暗く、それでいて哀愁がある。スコアを見ると木管のパートはdolce(甘い、柔らかい、温和な、優しい)といった書き込みが目立つが、短調の曲でありながらそのような指示を出している。どちらかというと52小節まではallegro non troppo(適度に快活に)の表示にあるように、どちらかというと男性的な主題で展開される。それが53小節から女性的な表現に変わり、その対比が面白く、それでいてソナタ形式としては一般的とされ、古典的といわれるのはそのためなのだが、この曲を聴きだすと、そのような理屈は忘れてしまって、いきなり冒頭から吸い込まれるように聴き入ってしまうほどの陶酔感があり、私はブラームスの交響曲1番と並んでこの交響曲4番は好きな交響曲の一つでもある。


 ブラームス 交響曲第4番 第1楽章の演奏
 指揮 カルロス・クライバー
バイエルン国立管弦楽団

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