2009.12.05 (Sat)
冬の雨は・・・
昨日も今日も雨に翻弄されている。昨日は家を出るときから空が暗く雨が降っていたので傘を持って出たのだが、10分ほど歩いて、何時もの最寄り駅に到着するや否や青空が顔を出し日が差しはじめたではないか。間もなく電車が到着し車窓から外を眺めていたら、京都市内付近もすっかり晴れている。これだともう傘は不要かなあと思っていたところ、東山トンネルを抜けて山科に到着するとまたどんより曇っている。さらに逢坂山トンネルを抜けて大津市内に入った。すると空は真っ暗である。そして職場の最寄り駅に着いたら、また雨が降っていて、バスを待っている間も、職場に着いても雨は止んでいなかった。なのに昼食時に食堂へ行く時にはすっかり晴れ上がっていて、帰りは傘はいらないかと思ったら、またまた帰宅時は路面が濡れていて、今にも降りだしそうな空模様であったが、暫くすると空から雲が移動し星空へと変わっていく。何と移り変わりの激しいことか・・・・
昨晩から夜中にかけては雨など降る気配でもなかったが、今朝はまた朝から雨が降っていた。何ということか。こうして傘を持って耳鼻咽喉科へ出かけ、診断を受けてから外に出ると本降りであったから傘が手放せず、このまま出かける予定であったので、電車に乗って大阪市内に着いたら、すっかり晴れていたというから呆れ返ってしまった。それでなくとも、このところ週末の天気が悪くて、行動範囲が狭まれているというのに、昨日から今日にかけての天候の変化には参った。だから傘を持ったまま、街中をウロウロとしなくてはならない。雨が上がった後だから傘を持ち歩いていても不思議ではないが、この傘という代物はけっこう邪魔になるものである。傘はたたむと1本の棒のようになるが、これが1mぐらいはあるだろうからバッグに収まるも筈もなく、濡れているからたとえ折り畳み傘でも仕舞う訳にもいかなく、それで持ち歩いていると片手がどうしても不自由になり、おまけに濡れているので、衣服にも水分が付着してけして気分のいいものではない。つまり雨から逃れる以外の器具としての役目はなく、屋内においてや雨が降っていないときなど、これほど傘が邪魔に感じるときはない。したがって今日なんか、晴れてポカポカしているというのに、傘を持って街を彷徨っていたことになる。本音でいえば、この邪魔になる傘を捨てていこうかなんて考えるが、雨が降るとなくてはならないものだけに持って帰るしかないのだが、よく電車等で傘の忘れが多いというのは、忘れてしまったのではなく、邪魔だから故意に置いていった人もかなりいるのではないかと考えている。
何時も出勤する時は、万が一のため折り畳み傘を入れているのだが、これも雨降った後は傘がボトボトなので折り畳むことも出来ず、意外と邪魔になるものである。でも冬の間は少々の雨でも濡れると身体が冷えるので傘は手放せないから困ったものである。これが夏だと、少々の小雨なら傘もささないが、冬の雨はどうしようもない。それに夏は雨を望んでいるところが私にはあって、うだるような暑さが続くと一雨どころかもっと降ってくれなんて願うが、冬の雨は余計である。寒いのに雨など降られると気が滅入るし、行動範囲も限られてくるし、つい出て行くのも億劫になるしたまったものじゃない。だから冬の雨は憂鬱でしかないのだが、不思議と最近は冬に雨が降ることが多い。少なからず地球温暖化が影響しているのかもしれないが、歓迎されない冬の雨の中、出て行くときは実に鬱陶しいことこの上ない。だいいち傘を持ち歩いていると本屋に行っても立ち読み一つするにしてもやりにくく、傘が瞬時に乾いてポケットに収まるほど小さくならないかなあと何時も思うのである。
これだけ科学が発達し生活はだんだんと便利になっていくというのに、雨に抗する手段というのは未だに傘以外にはないものなのか・・・・・・・至極残念である。とにかく冬の雨は大嫌いだ。
昨晩から夜中にかけては雨など降る気配でもなかったが、今朝はまた朝から雨が降っていた。何ということか。こうして傘を持って耳鼻咽喉科へ出かけ、診断を受けてから外に出ると本降りであったから傘が手放せず、このまま出かける予定であったので、電車に乗って大阪市内に着いたら、すっかり晴れていたというから呆れ返ってしまった。それでなくとも、このところ週末の天気が悪くて、行動範囲が狭まれているというのに、昨日から今日にかけての天候の変化には参った。だから傘を持ったまま、街中をウロウロとしなくてはならない。雨が上がった後だから傘を持ち歩いていても不思議ではないが、この傘という代物はけっこう邪魔になるものである。傘はたたむと1本の棒のようになるが、これが1mぐらいはあるだろうからバッグに収まるも筈もなく、濡れているからたとえ折り畳み傘でも仕舞う訳にもいかなく、それで持ち歩いていると片手がどうしても不自由になり、おまけに濡れているので、衣服にも水分が付着してけして気分のいいものではない。つまり雨から逃れる以外の器具としての役目はなく、屋内においてや雨が降っていないときなど、これほど傘が邪魔に感じるときはない。したがって今日なんか、晴れてポカポカしているというのに、傘を持って街を彷徨っていたことになる。本音でいえば、この邪魔になる傘を捨てていこうかなんて考えるが、雨が降るとなくてはならないものだけに持って帰るしかないのだが、よく電車等で傘の忘れが多いというのは、忘れてしまったのではなく、邪魔だから故意に置いていった人もかなりいるのではないかと考えている。
何時も出勤する時は、万が一のため折り畳み傘を入れているのだが、これも雨降った後は傘がボトボトなので折り畳むことも出来ず、意外と邪魔になるものである。でも冬の間は少々の雨でも濡れると身体が冷えるので傘は手放せないから困ったものである。これが夏だと、少々の小雨なら傘もささないが、冬の雨はどうしようもない。それに夏は雨を望んでいるところが私にはあって、うだるような暑さが続くと一雨どころかもっと降ってくれなんて願うが、冬の雨は余計である。寒いのに雨など降られると気が滅入るし、行動範囲も限られてくるし、つい出て行くのも億劫になるしたまったものじゃない。だから冬の雨は憂鬱でしかないのだが、不思議と最近は冬に雨が降ることが多い。少なからず地球温暖化が影響しているのかもしれないが、歓迎されない冬の雨の中、出て行くときは実に鬱陶しいことこの上ない。だいいち傘を持ち歩いていると本屋に行っても立ち読み一つするにしてもやりにくく、傘が瞬時に乾いてポケットに収まるほど小さくならないかなあと何時も思うのである。
これだけ科学が発達し生活はだんだんと便利になっていくというのに、雨に抗する手段というのは未だに傘以外にはないものなのか・・・・・・・至極残念である。とにかく冬の雨は大嫌いだ。
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