2009.12.16 (Wed)
ディケンズ・・・・・『二都物語』を読む

チャールズ・ディケンズというと『大いなる遺産』『クリスマス・・キャロル』『デイヴィッド・コパフィールド』『オリヴァー・ツイスト』等の作品があるが、この『二都物語』も知れ渡った作品である。題名の通りヨーロッパのロンドン、パリという2つの都市を舞台にフランス革命という大きな時代のうねりの中で生き続けるチャールズ・ダーニー、シドニー・カートンと、彼らの間で彷徨い続けるルーシー・マネットの愛の物語といってしまうと語弊があるだろうが、そのように捉えてしまったほうが小説としては読み易い。
時代は1775年、つまりフランス革命の14年前を意味する。イギリスはジョージ3世で、フランスはルイ16世の時代である。・・・・・それは凡そ善き時代でもあり、悪しき時代でもあった。知恵の時代であるとともに愚痴の時代でもあった。信念の時代でもあれば、不信の時代でもあった。光明の時代でもあれば、暗黒の時代でもあった。希望の春でもあれば、絶望の冬でもあった。前途はすべて洋々たる希望に溢れているようでもあれば、また前途はいっさい暗黒、虚無とも見えた。人々は真一文字に天国を指しているかのようでもあれば、また一路その逆を歩んでいるかのようにも見えた(小説の冒頭より)・・・・このようにヨーロッパ全体が大きく変革しようとする時代を背景としている物語なのである。
クライアント・マネットは無実でありながら18年間もバスティーユ牢獄に放り込まれていて、ようやく開放されることなり、娘のルーシーは父をイギリスに連れて帰るのである。その帰路、マネットはフランスから亡命した貴族チャールズ・ダーニーと出会う。ダーニーはフランス貴族の子でありながら暴政を嫌い、家名を棄ててイギリスに逃れていた。やがてダーニーはスパイ容疑の件で裁判にかけられるものの、マネット親子と弁護士シドニー・カートンに救われる。そこでチャールズ・ダーニーとシドニー・カートンは共にルーシー・マネットに恋をすることになる。だがルーシーは、放蕩無類の弁護士シドニー・カートンよりも裕福な身の上にあったダーニーと結ばれることとなる。ところがダーニーは父マネットを牢獄に入れたエブルモント侯爵の血縁者であった。だがそれを承知でマネットは2人の間を認めたのである。
こうしてチャールズとルーシーはフランス革命の火が燃え上がる中もイギリスにいる彼らは幸せな生活を送る日々であった。それが昔、ダーニーの忠実な召使だった者から救いを求める手紙が届く。ダーニーはかつての召使の窮状を知りフランス革命後のパリへ渡る。しかし、それは悲劇の始まりであった。フランス革命後のパリは、旧貴族に対して怨嗟を抱く民衆の怒りが頂点に達していて、その矛先は当然のように王族、貴族に向けられていた。フランス貴族達は、もはや彼らが階級として少しも尊敬されてないこと、うっかりすると特権階級からの追放はもとより、この世から抹殺という危険さえあった。それでダーニーは密通の罪で捕らえられてしまう。一度は釈放されるもの、再び別件で捕まり裁判にかけられ、とうとう死刑を宣告されてしまう。そこでカートンであるが、死刑執行の当日、ルーシーを愛するあまりルーシーを悲しめさせたくないがため、自らダーニーの身代わりとなって断頭台の人となる。
何とも後味の悪い話ではあるが、愛の葛藤をテーマにしているというなら、何ら不思議には思えない。フランス革命の時代を背景にしていると何やら大げさな話に思うが、作品のテーマとしては、このようなものなのである。ただ、そこはディケンズであり、産業革命が進行しつつあったロンドンの人達・・・・・銀行員や裁判の様子、または墓荒らしの実態などが手に取るように表現されているし、革命迫るパリの様子がまた細かく描かれている。たとえば酒樽が荷台から落ちて道路に散乱し、そのぶちまけられた赤ワインに群がる貧困層の人々、サン・デヴレモン侯爵が労働者の子供を馬車で轢き殺してしまった時の顛末や、革命前後に生きる下層階級の人々の生活など、事細やかに書かれているので、ディケンズという人の表現力に驚いてしまうのである。
ところで、この『二都物語』は傑作かというと知名度ほどすぐれた作品と言えないかもしれない。一応はフランス革命という西洋史に残る大きな出来事を話の中に取り込んでいて、当時のロンドンやパリを舞台にしているものの、史眼をこの作家に求めても意味が無い。ディケンズというのは大局的な史観というものを持っていたのだろうかといった疑問が出て来るほどフランス革命の詳細がお粗末なほど書けてないし、思想というものが読みきれてない。だからこの作品を読んでフランス革命のことを知ろうと思ってもなんら役に立たない。以前、このブログ上で紹介したがアナトール・フランスの『神々は渇く』ほどの鬼気迫る革命時の恐怖感は味わえないし、また奥深く探求されていない。でもディケンズというのはそういった乏しい史眼でさえも、帳消しにするほど人物を描かせたら面白い。だから英国文学史に残る作品を幾つも書いてきたという訳であろう。
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