2010.07.05 (Mon)
⑤サッカーに対しての蘊蓄を述べる・・・・・
1978年のFIFワールドカップ・アルゼンチン大会で地元アルゼンチンが初優勝したが、その翌年、日本でワールドユース大会(20歳未満の選手によるサッカーの世界大会)が開催された。この時もアルゼンチンが優勝したのだが、その原動力となったのがディエゴ・マラドーナである。彼は18歳で既に世界のトップクラスの技とサッカーセンスを持っていた。またフィジカル的にも強く、小柄なのに決勝のソビエト戦では二の腕を捉まれながらも倒れず、相手を引きずるようにしてドリブルで抜いていく。何だ、この選手は、末恐ろしいなあと観戦していた日本人の誰もが感じたであろう。こうして世界の舞台に登場したマラドーナは、それから3年後の1982年のFIFAワールドカップ・スペイン大会にアルゼンチン代表としてデビューした。
このスペイン大会は、参加国数がこれまでの16ヶ国から24ヶ国に増え、より世界的イベントとしてパワーアップした大会となった。試合方式は4チームずつ6組に分けて1次リーグを戦い、上位2チームが2次リーグに進出。2次リーグは3チームずつ4組に分かれて戦う。そして各組1位のチームだけが準決勝に進出できるというものだった。この大会は前回優勝のアルゼンチンが優勝メンバーを大半残している上、そこへ若き天才ディエゴ・マラドーナが加わった。でもアルゼンチンは開幕試合のベルギー戦で0対1で敗れ波乱のスタートとなった。大会を通して1番注目されたチームはブラジルであった。
テレ・サンターナ監督が率いるブラジルは、ミッドフィルダーにジーコ、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾ、ファルカンといった才能溢れた選手を擁し、黄金のクアルテット、黄金の中盤といわれ、非常にイマジネーションのある芸術的なプレーで観衆を魅了した。アルゼンチンと共に優勝候補だったブラジルだが、ブラジルの方が好調であった。1次リーグからブラジルはソヴィエト戦こそ2対1と苦戦したが、その後はスコットランドに4対1、ニュージーランドに4対0。中盤の4人がゲームメークをやりながら、互いにパスで相手を翻弄し、またドリブルで抜いていきシュートもする。まさに変幻時代のサッカーで勝ち進んでいった。
2次リーグではそのブラジルとアルゼンチンがとうとう対決した。アルゼンチンはキャプテンのパサレラを始め、ケンペス、アルディレス、ベルトーニ、タランティーニ、フィジョール、オルギン、ルイス・ガルバンといった前回の優勝時のメンバーが残っていて、優勝候補であり、そこへディアスと21歳の天才マラドーナを加えて戦力アップしていたものの、ブラジルほど好調でもなく、それでいて実力で2次リーグに進出。そしてブラジルとアルゼンチンが戦った。
得点は意外と早く入った。前半11分エデルのフリーキックがクロスバーに当って跳ね返ったところをジーコが押し入れた。さらに後半21分、ブラジルはファルカンのクロスをFWのセルジーニョが頭で合わし2点目。30分にはデイフェンダーのジュニオールがジーコからのパスを受けシュート。これが決まりブラジルが3点目。アルゼンチンはマラドーナがマークされ、彼はイライラが募ったのか、とうとう後半42分、ブラジルのバチスタを蹴りレッドカードで一発退場。若きマラドーナは本領を発揮せずアルゼンチン・チームと共に大会から去った。
一方、ブラジルは次の試合でイタリアと対戦。これまで眠っていたイタリアのFWパオロ・ロッシが突如として狼煙を上げる。前半5分長いクロスを頭で合わせて先制ゴール。ブラジルは12分にジーコの必殺スルーパスを受けたソクラテスが同点ゴール。でもイタリアは25分に再びロッシがパスミスをカットしてゴール。後半には23分、ファルカンがミドルシュートを決め同点。しかし、29分、ロッシがハットトリックを決め3対2、その後、ブラジルも怒涛の攻撃をかけるがイタリアが勝利。ブラジルもスペインの地から去ってしまった。
決勝は7月11日、レアル・マドリードの本拠地、サンチャゴ・ベルナベウ・スタジアムで行なわれた。決勝はイタリアと西ドイツの顔合わせである。戦前、両リームとも評価が高いというのでもなかった。殊にイタリアは八百長問題から長い間、出場停止を喰らっていたロッシが、今大会からチームに参加。1次リーグでの戦いぶりからしてイタリアが決勝に出てくるなんて誰も想像できなかっただろう。それが2次リーグからのロッシの突然の大活躍でイタリアが決勝進出。一方のチームは西ドイツだった。西ドイツも決勝に残るとは思えなかったが、伝統の力強さに加えゲルマン魂で勝ち抜いてきた。特に準決勝のフランス戦は死闘だった。延長に入り、3対1から同点に追いつき、PK戦を制して決勝に出てきた。決勝戦の前半はファールが多く欠伸が出るような試合展開だった。それが後半の12分にジェンティーレのクロスをロッシが身体を倒すように得点してイタリアがリードすると、これまで守備的だったイタリアが動き出した。24分、タルデリが得点。36分にはブルーノ・コンティの速攻からセンタリング、それをアルトベリが得点して3対0。試合は決まってしまった。西ドイツは終了間際にブライトナーのゴールで1点を返すのが精一杯。
イタリアはブラジルに続いてワールド・カップ3度目の優勝を44年ぶりに成し遂げた。でもこの大会、最も素晴らしいサッカーでファンを魅了し続けたのはブラジルであり、またプラティニ、ジレス、ロシュトー、トレゾール、ティガナ、ジャンジニといった面々を擁し熟成されたシャンパンのような見事なサッカーを展開したフランスであった。つまり必ずしも決勝に残ったチームがいいサッカーをしていたというのではなかった。それとワールドカップ初登場で2次リーグで敗退したが、末恐ろしさを感じさせたマラドーナ。彼は4年後のメキシコ大会でスーパースターとなる。
2次リーグ、アルゼンチン対ブラジル戦。
2次リーグ、イタリア対ブラジル戦。
決勝 イタリア対西ドイツ戦。
このスペイン大会は、参加国数がこれまでの16ヶ国から24ヶ国に増え、より世界的イベントとしてパワーアップした大会となった。試合方式は4チームずつ6組に分けて1次リーグを戦い、上位2チームが2次リーグに進出。2次リーグは3チームずつ4組に分かれて戦う。そして各組1位のチームだけが準決勝に進出できるというものだった。この大会は前回優勝のアルゼンチンが優勝メンバーを大半残している上、そこへ若き天才ディエゴ・マラドーナが加わった。でもアルゼンチンは開幕試合のベルギー戦で0対1で敗れ波乱のスタートとなった。大会を通して1番注目されたチームはブラジルであった。
テレ・サンターナ監督が率いるブラジルは、ミッドフィルダーにジーコ、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾ、ファルカンといった才能溢れた選手を擁し、黄金のクアルテット、黄金の中盤といわれ、非常にイマジネーションのある芸術的なプレーで観衆を魅了した。アルゼンチンと共に優勝候補だったブラジルだが、ブラジルの方が好調であった。1次リーグからブラジルはソヴィエト戦こそ2対1と苦戦したが、その後はスコットランドに4対1、ニュージーランドに4対0。中盤の4人がゲームメークをやりながら、互いにパスで相手を翻弄し、またドリブルで抜いていきシュートもする。まさに変幻時代のサッカーで勝ち進んでいった。
2次リーグではそのブラジルとアルゼンチンがとうとう対決した。アルゼンチンはキャプテンのパサレラを始め、ケンペス、アルディレス、ベルトーニ、タランティーニ、フィジョール、オルギン、ルイス・ガルバンといった前回の優勝時のメンバーが残っていて、優勝候補であり、そこへディアスと21歳の天才マラドーナを加えて戦力アップしていたものの、ブラジルほど好調でもなく、それでいて実力で2次リーグに進出。そしてブラジルとアルゼンチンが戦った。
得点は意外と早く入った。前半11分エデルのフリーキックがクロスバーに当って跳ね返ったところをジーコが押し入れた。さらに後半21分、ブラジルはファルカンのクロスをFWのセルジーニョが頭で合わし2点目。30分にはデイフェンダーのジュニオールがジーコからのパスを受けシュート。これが決まりブラジルが3点目。アルゼンチンはマラドーナがマークされ、彼はイライラが募ったのか、とうとう後半42分、ブラジルのバチスタを蹴りレッドカードで一発退場。若きマラドーナは本領を発揮せずアルゼンチン・チームと共に大会から去った。
一方、ブラジルは次の試合でイタリアと対戦。これまで眠っていたイタリアのFWパオロ・ロッシが突如として狼煙を上げる。前半5分長いクロスを頭で合わせて先制ゴール。ブラジルは12分にジーコの必殺スルーパスを受けたソクラテスが同点ゴール。でもイタリアは25分に再びロッシがパスミスをカットしてゴール。後半には23分、ファルカンがミドルシュートを決め同点。しかし、29分、ロッシがハットトリックを決め3対2、その後、ブラジルも怒涛の攻撃をかけるがイタリアが勝利。ブラジルもスペインの地から去ってしまった。
決勝は7月11日、レアル・マドリードの本拠地、サンチャゴ・ベルナベウ・スタジアムで行なわれた。決勝はイタリアと西ドイツの顔合わせである。戦前、両リームとも評価が高いというのでもなかった。殊にイタリアは八百長問題から長い間、出場停止を喰らっていたロッシが、今大会からチームに参加。1次リーグでの戦いぶりからしてイタリアが決勝に出てくるなんて誰も想像できなかっただろう。それが2次リーグからのロッシの突然の大活躍でイタリアが決勝進出。一方のチームは西ドイツだった。西ドイツも決勝に残るとは思えなかったが、伝統の力強さに加えゲルマン魂で勝ち抜いてきた。特に準決勝のフランス戦は死闘だった。延長に入り、3対1から同点に追いつき、PK戦を制して決勝に出てきた。決勝戦の前半はファールが多く欠伸が出るような試合展開だった。それが後半の12分にジェンティーレのクロスをロッシが身体を倒すように得点してイタリアがリードすると、これまで守備的だったイタリアが動き出した。24分、タルデリが得点。36分にはブルーノ・コンティの速攻からセンタリング、それをアルトベリが得点して3対0。試合は決まってしまった。西ドイツは終了間際にブライトナーのゴールで1点を返すのが精一杯。
イタリアはブラジルに続いてワールド・カップ3度目の優勝を44年ぶりに成し遂げた。でもこの大会、最も素晴らしいサッカーでファンを魅了し続けたのはブラジルであり、またプラティニ、ジレス、ロシュトー、トレゾール、ティガナ、ジャンジニといった面々を擁し熟成されたシャンパンのような見事なサッカーを展開したフランスであった。つまり必ずしも決勝に残ったチームがいいサッカーをしていたというのではなかった。それとワールドカップ初登場で2次リーグで敗退したが、末恐ろしさを感じさせたマラドーナ。彼は4年後のメキシコ大会でスーパースターとなる。
2次リーグ、アルゼンチン対ブラジル戦。
2次リーグ、イタリア対ブラジル戦。
決勝 イタリア対西ドイツ戦。
| BLOGTOP |