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2010.07.28 (Wed)

ピート・シーガーを聴く

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 ピート・シーガーって誰だ? と思われる向きもあるかもしれない。ことに若い人には馴染みない名前であろう。でも我々フォーク・ソングを聴きまくった世代にとっては大御所的な名前である。

 そもそもフォーク・ソングって何だということになるが、元々は民謡のことである。民謡だからといっても日本の民謡とは趣が違っている。そこはアメリカのこと、民謡という表現はちょっとおかしいかな。いわばアメリカのトラディショナル・ソングというものだろう。でも現在でフォーク・ソングというとアメリカの商業音楽のジャンルの一つであり、ポピュラー・ソングの一翼を担っている音楽である。アメリカでの民謡というと黒人音楽もあり白人音楽もある。ジャズもあればブルースもある、カントリーもあるしゴスペルもある。それらの中で伝統的に歌われ続けた楽曲をフォーク・ソングという言い方も出来るが、細かく言うと管楽器ではなく、弦楽器、バンジョーやギター一つで歌われた曲といいたほうが判り易いかもしれない。だから当然、黒人っぽい曲もあるが、もっと細かく言うならば現在のフォーク・ソングに繋がるものとしては1940年代に始まるフォーク・リヴァイヴァル運動が挙げられる。そして、その運動の中心の1人がピート・シーガーなのである。

 ピート・シーガーは1919年生れであるから、20代でフォーク・リヴァイヴァル運動に加わってウィーヴァーズのメンバーとして活動していた。ウィヴァーズというのはピート・シーガー、リー・ヘイズ、フレッド・ヘラーマン、紅一点のロニー・ギルバートからなるモダン・フォークの元祖グループと言われる。1949年にウィヴァーズは活動を開始。翌年に『グッドナイト・アイリーン』が全米で№1のヒットとなる。ところがウィヴァーズのヒットと共にピート・シーガーの政治活動が非米活動委員会の的となり、赤狩り旋風の真っ只中、ブラックリストに載ったピート・シーガー及びウィヴァーズは活動を制限されるようになる。つまりこの時代からフォーク・ソングというのはプロテストソングが多かったということになる。

 ピート・シーガーは『天使のハンマー』『花はどこへ行ったの』といったフォークソングの代表曲を当時残しているが、それから10年後、よりプロテストソングの代表曲として、フォーク・ブームの渦中にあったピーター・ポール&マリーがカバーして大ヒット。こういった一連のフォークソングの流れの中で、ピート・シーガーというのは現代のフォークソングに繋がる激流の中においては源流といえるかもしれない。彼は父が音楽学者、母がヴァイオリニストという音楽一家の家庭に生まれているので、子供の頃からクラシック音楽は聴いていたにせよポピュラー音楽を聴いていたかどうかというと大いに疑問が残るが、17歳の時にフォーク・フェスティヴァルで聴いたバンジョーの音に魅せられ、ハーバード大学進学後もドロップアウトしてフォーク・シンガーの道に進んでしまう。21歳の時にはウッディ・ガスリーと出会い、オールマナック・シンガーズを結成。労働運動の集会を主に回り活動するようになる。こうしてプロテストソングとしてのフォーク・リヴァイヴァル運動へと発展していくのだが、ピート・シーガーはフォーク・ソングというジャンルの中では絶えず、第一人者であり続け、彼を慕った後のフォーク・シンガーは枚挙に遑がないぐらいだ。もしピート・シーガーが出現していなかったらボブ・ディラン、ジョーン・バエズ等、多くのフォーク・シンガー達はこの世でフォーク・ソングなるものを歌っていたのかどうか・・・・・疑問視されるだろう。

 ところでこのCDに収録されている曲はフォーク・ソングの代表的な曲ばかりである。『天使のハンマー(If I Had A Hammer)』『Goodnight Irene』『John Henry』『漕げよマイケル(Michel Row The Boat Ashore)』『Guantanamera』『わが祖国(This Land Is Your Land)』『花はどこへ行ったの(Where Have All The Flowers Gone?)』『Turn! Turn! Turn!』『勝利を我等に(We Shall Overcome)』・・・・・ピート・シーガーの作によるものやトラディショナルな曲もあって、現代フォークの黎明期の曲とはこういうものだということがよく判る。こうしてプロテストソングを歌っていたシンガー達は、何時の間にかオリジナルを歌うようになり、フォーク・ソングも多様化していきロックと融合したり、日本ではニューミュージックと言われるように変化していったのだが、ピート・シーガーの歌を聴くと、洗練されていなくとも何故か心に響く。本来、フォークソングというのはこのようなものだったし、今よりメッセージ性の強いものだった。それが愛だの恋だのと歌うようになってきて、段々とフォークソングは様変わりしていったのかもしれない。つまりピート・シーガーの時代のフォーク・ソングというのは素朴で単純でありながらも社会と連動していた歌だったのだ。

 今、ピート・シーガーはご老人であるが、今のメッセージ性に欠ける歌をどのように思っているかは知る筈もないが、歌は外向的なものからより内向的なものへと変化してしまった。最早、歌で市民運動を盛り上げるといった時代ではなくなってしまった。それ故にフォーク・ソングの本来の役目は終わってしまったような感じさえするのだが・・・・・・。


 『天使のハンマー(If I Had A Hammer)』を歌うピート・シーガー。
 


 老いたピート・シーガーが歌う『花はどこへ行ったの(Where Have All The Flowers Gone?)』


 『勝利を我らに(We Shall Overcome)』を歌うピート・シーガー(音声のみ)。

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