2007.11.25 (Sun)
チキンラーメンを食べる
チキンラーメンを久々に食べた。うん、やや脂っこいが素朴で懐かしい味がする。初めて食べたのは何時だったろうか・・・・。小学校に入って間もなくしてから食べたような気がする。封を切って麺の塊を丼鉢に入れてお湯を注ぐ。3分間で出来上がる。その時の印象はほとんど無い。美味しかったのかどうなのか・・・小学校低学年の頃の話である。当時はインスタントラーメンなんてチキンラーメン以外なかった。その後に袋入りの粉末スープが添付してあるインスタントラーメンが出回った。エースコックの『ワンタンメン』『明星ラーメン』が出回ったのは後のことである。歳がバレそうであるが、まだ日本に食が溢れ出る以前の話である。今ほど何でもある時代ではない。そんな時代のインスタントラーメンだから、有り難く思ったのかもしれない。でもチキンラーメンが発売されて直後に食べたというのでもなく、私が小学校に入学してからのことなので、発売から数年経ってはいただろう。私が初めてチキンラーメンを食べたのは1960年代前半だと思う。それでも、今ほど食べるものがありふれていた訳ではない。だからシンプルなチキンラーメンでも有り難く頂戴したものだ。
チキンラーメンが世に出たのは1958年の8月だという。日清食品創業者の安藤百福が終戦直後に、大阪・梅田の闇市でラーメンの屋台に並ぶ行列を見て、量産できるインスタントラーメンの開発を思いついたという。そして、大阪・池田市の自宅敷地内に作業小屋を建て、試行錯誤を繰り返し、生まれたのがチキンラーメンなのである。そして、このチキンラーメンが売り出され、インスタントラーメン文化が花開き、その後、世界中に広まって行ったという事である。
映画『ラストエンペラー』の愛新覚羅溥儀が亡くなる直前に好物であったチキンラーメンを食べたいと言った話が伝わっているぐらい、全世界に広まったのであるが、インスタントラーメンの先駆けとして、その後の改良型を含め、今でも隠れたファンが多いのがチキンラーメンであろう。私は丼鉢に入れた揚げ麺の上に卵を落とし、沸騰したお湯をかけて3分間待ったが、卵が流れ上手く出来なかった。今となって味覚がこえてしまって、チキンラーメンが昔ほど有り難味を感じなくなったが、それでも空腹には何を食べても美味しく感じ取れる。
そういえば、このチキンラーメンを創案した安藤百福は、今年の1月5日に亡くなったが、ニューヨーク・タイムスが1月9日付けの社説で、安藤百福を取り上げ「人類の進歩の殿堂内に不朽の地位を占めた」と絶賛している。安藤百福は世界の食文化に革命をもたらした偉大なアジア人の一人として紹介されているのである。また安藤百福を敬愛する『博多一風堂』の河原成美が、安藤百福がインスタントラーメンではなく、ラーメン屋を開業していたらどんなラーメンが生まれていたかというコンセプトで開業したラーメン店が『麺翁 百福亭』である。この『麺翁 百福亭』は阪急池田駅からほど近いところに2003年11月オープンした。この近所には、『インスタントラーメン発明記念館』があり、既に入館者が100万人を超えているという。
このようにラーメンはカレーライスと共に、日本人の国民食になってしまった感があるが、安藤百福が日本の食文化、世界の食文化に貢献した度合いは計り知れないだろう。最近、ミシュランが東京のレストランを星の数でランク付けする案内本を発売したが、値段ばかり高くてさほど美味しくない店も紹介されているような紹介本よりも、自分で美味しい店を見つけることの方がよほどいいと思うが、あんな本に関係なく、庶民に安く広く召し上がれるインスタントラーメンを世に広めた安藤百福の遺産チキンラーメンは、時代を超越した普遍的な味がするのであった。
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