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2007.11.26 (Mon)

戎橋を渡る

 新しく架けられた戎橋
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 戎橋を東の方角から眺める。橋の下は道頓堀川。橋の西側の遊歩道はまだ工事中だった。
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 大阪の名物といえば道頓堀であるが、そこへ架かる橋が長らく工事中だった。先代の橋は1925年(大正14年)に架けられた鉄筋コンクリート製だったが、老朽化と損傷が激しくて新しい橋に架け替えるため、工事をおこなっていた。それが、このほど完成し渡れるようになっていた。

 以前の橋は客引き、ナンパが多く、何時の間にやら「引っかけ橋」「ナンパ橋」という有り難くない名称で呼ばれたり、阪神タイガースの優勝時やサッカー・ワールド・カップで日本が勝つと道頓堀川に飛び込む人が多発したり、とにかくあまり印象の良くなかった橋だが、新しい橋に替えられて汚名返上となるかどうか。でも、今回の橋は丸い曲線的な橋で、その橋脚の下には遊歩道まで設けてある。これだと飛込みを助長しているようであり大丈夫かなとも思う。喜ぶのは結構だが、節度ある大人の態度で表現してもらいたいと思う。

 ところで、この橋を心斎橋だと勘違いしている観光客が時々おられるが、この橋は戎橋(えびすばし)という。そもそも道頓堀が完成したのは江戸時代の1612年である。安井道頓らが中心となって開削した堀で、江戸時代には運河として船が行き来していたのだ。その道頓堀が開削されたのと同じ頃、既にこの橋は架けられ、戎橋と名前がついたのである。謂れは諸説あってどれが定説か判明しない。また当時の大坂は、町中に堀が開削されていて、水の都と呼ばれていた。江戸の八百八町、京都の八百八寺に対し大坂は八百八橋というだけ橋が多かったらしい。今は堀や川を埋め尽くしてしまい、橋の数も減ったようであるが、心斎橋という橋は、昭和30年代まで現実に存在した橋で、心斎橋筋商店街を抜けた長堀通にあった長堀に架かっていた橋のことを言う。したがって現在、心斎橋という橋は存在せず、地名だけが残るということである。だから大阪に橋のつく地名が非常に多いのは、そういった事情によるものである。

 ざっと橋のつく地名を挙げてみると、淀屋橋、肥後橋、四ツ橋、心斎橋、日本橋、天神橋、天満橋、長堀橋、京橋、緑橋、深江橋、鶴橋、太子橋、芦原橋、朝潮橋、出入橋、桜橋、千鳥橋、阿部野橋、西大橋、新橋、三休橋、白髪橋、鰹座橋、末吉橋、農人橋、大手橋、高麗橋、玉造橋、朝日橋・・・・・・まだまだあるが、こんなとをやっていても意味が無い。とにかく戎橋は、そんな数多くある大阪の1つの橋にしかすぎない。でも大阪で最もテレビに映る率の高い橋が戎橋であり、最も人が渡るだろうと思われる橋も戎橋である。これからはひつこい客引きもナンパも頻繁に現れないことを祈るだけだ。
                                                      
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