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2008.06.04 (Wed)

アメリカ歴代3冠馬について述べるⅠ

 今週末の土曜日、アメリカ競馬3歳クラシック3冠レース最後のベルモントSが行なわれる。今年はすでにケンタッキー・ダービー、プリークネスSと既に圧勝につぐ圧勝で無敗の2冠に輝いているビッグブラウンが臨戦態勢にあり、アファームド以来の3冠馬になりうるかどうかが注目されていて、そこに日本から参加するカジノドライヴも含めて久々に燃え上がるベルモントSとなりそうである。それで、今回は過去のアメリカ3冠馬を振り返って、色々とエピソードなどを述べて見たいと思う。

 アメリカ3冠レースとはケンタッキー・ダービーとプリークネスSとベルモントSの3レースをいうが、このレースは一ヶ月の間に行ってしまう。だから日本の場合と違って夏を越すわけではないから、容易だと思えるのだが、最近の30年間は3冠馬の出現を見ていないのだ。だから難しいといえば難しい。でもアメリカでは過去に11頭の3冠馬が出ていて、その1頭1頭を紹介してみたいと思う。

 アメリカ最初の3冠馬はサーバートン(Sir Barton)である。1916年産まれで通算31戦13勝2着6回3着5回という成績。サーバートンは1919年のケンタッキー・ダービー、プリークネスS、ベルモントSに勝ってアメリカ初代の3冠馬に輝いたのである。だがサーバートンは3冠馬として人々から畏敬の眼で見られていたのでもなく、大して注目もされなかった。それは、この頃というのはサーバートンが勝った三つのレースを3冠レースとして世間は認めていたものでもなく、後年に3冠馬として公認されたからというのもある。つまりサーバートンが現役の頃はヴィザーズS、ベルモントS、ローレンス・レアリゼーションという三つのレースの方が注目されていた。だからサーバートンは今日で言うところの3冠馬というのとは違っているのだ。そして、何よりもこの馬が実績に比較して評価されないのは、1歳下の名馬マンノウォーとのマッチレースで敗れたからである。マンノウォーは21戦20勝2着1回というアメリカ競馬史に名を残す名馬で、サーバートンとのマッチレースになったケニルワース・パーク金杯で7馬身差に切って捨てた実績から、ビッグレッドといわれ人気があった。だからサーバートンはマンノウォーより格下の馬という扱いで初代3冠馬といっても注目されないのである。


 2頭目の3冠馬はギャラントフォックス(Gallnt Fox)である。ギャラントフォックスは1927年産まれで17戦11勝2着3回3着2回の成績。当初、成績が芳しくなかったが、距離が延長されてから勝ち出し、アメリカでは珍しいステイヤーである。3冠レース以外にもジョッキークラブGC(2マイル)という長距離レースを勝っている。
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 3頭目の3冠馬はオマハ(Omaha)である。1932年産まれで22戦9勝2着7回で父はギャラントフォックスである。オマハが3冠馬の栄誉に輝いた同じ年、イギリスではバーラムがやはりイギリス史上14頭目の3冠馬に輝いている。


 4頭目の3冠馬はウォーアドミラル(War Admiral)で、父はマンノウォーである。この馬は1934年産まれで26戦21勝2着3回3着1回という抜群の成績である。2歳時は6戦3勝だったが、3歳時は3冠レース制覇を含む8戦8勝でパーフェクトホースといわれた。とにかく馬体が素晴らしく、文句なしの名馬であったが、シービスケットとのマッチレースで敗れてしまいファンをがっかりさせた。


 5頭目の3冠馬はワーラウェイ(Whirlaway)である。1938年産まれだから1941年のアメリカ3冠馬ということになり、同年にはくしくもセントライトが日本の初代3冠馬の栄誉に輝いた。ワーラウェイはイギリス・ダービー馬ブレニムの産駒で60戦32勝2着15回3着9回という歴戦の強豪で、真夏のダービーといわれるトラヴァーズSも勝っている唯一の3冠馬である。この馬は圧勝するかと思えば負けっぷりも見事で、外ラチによれたりして、とにかく個性派の馬であった。


 6頭目の3冠馬はカウントフリート(Count Fleet)で、1940年産まれの3冠馬ということは同年の日本の馬というとクリフジということになる。通算成績は21戦16勝2着4回3着1回。カウントフりートはベルモントSで2着に25馬身もの大差をつけて3冠馬となったが、このレースで故障し引退してしまった。また引退しても名種牡馬として1951年にはアメリカの種牡馬ランキング1位となり、1973年まで生き続け34歳で亡くなったという。


 7頭目の3冠馬はアサールト(Assault)である。1943年産まれで戦後最初の3冠馬となった。成績は42戦18勝2着6回3着6回。当歳の時の事故がもとでビッコをひいていたが、3冠馬に輝いたというエピソードを持つ。


 8頭目の3冠馬サイテーション(Citation)は1945年産まれで、45戦32勝2着10回3着2回という成績。サイテーションはマンノウォー以降最高の名馬、100万ドル賞金獲得馬第1号という数々の称号を与えられたアメリカ屈指の名馬である。アメリカの東部、西部、フロリダと全米を渡り歩いたグレートホースでだったが、種牡馬としては初年度産駒こそ良かったが、あとは尻すぼみで1957年以降はステークス・ウイナーが1頭だけという惨めなものであった。


 ところでサイテーションが3冠馬となるまでは29年間で8頭の3冠馬が誕生したが、このサイテーションを最後にして、3冠馬の出現は突然途絶え、9頭目の3冠馬が現れるまでは実に25年後の月日を要したのである。

 次回に続く。
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