2008.06.21 (Sat)
小林多喜二『蟹工船』を読む

最近は小林多喜二の『蟹工船』が異様に売れているという。何で今時と思うけども、そういう時代なのかもしれない。この小説は1929年(昭和4年)に書かれたもので、今から79年前の作品である。それが何故に最近、読まれだしたかというと、昨今の雇用問題と密接に関係しているようだ。
『蟹工船』とは蟹を獲りそれを缶詰にまで加工する工場船のことであり、大正時代、昭和初期には多くの出稼ぎ労働者がこの船の閉鎖空間で働いていたものである。当時、貧しかった日本の労働者は、農閑期によく出稼ぎ労働者として働きに出たものであるが、大手資本企業の持つ蟹工船『博光丸』にも400人からの労働者が乗り込んでいた。彼らは概ね秋田、青森、岩手から来た百姓の漁夫で、中には炭鉱の工夫をやっていた時に爆発事故に遭遇し、命からがら逃げてきた者もいるし、北海道の奥地の開墾地の土工部屋へ蛸として放り込まれた者もいた。でも何処へ行っても騙されて低賃金で酷使され搾取され続け不当な労働条件を強いられていたものである。それで、この蟹工船の中でも同様な憂き目に遭っていたことには変りはなかった。
蟹工船『博光丸』は、函館を出て大波のカムチャッカ沖に入りロシアの船が監視する中でも操業をしていた。蟹工船の労働者達は浅川と名乗る漁業監督にそれこそ不当に仕切られていた。浅川は棍棒を玩具のようにグルグル廻しながら船の中を歩いていた。現実問題としてこの船を動かしているのは船長であるが、船の持ち主の企業から送られている浅川は船長以上に権力を握っていた。或る日、隣を走行していた秩父丸がSOSを発信したが、救援に向おうとした船長を怒鳴りつけて、「秩父丸には勿体ないほどの保険がつけてあるんだ。ボロ船だ、沈んだらかえって得するんだ」といって救援を阻止した。
蟹工船はどれもこれもボロ船で、労働者が北オホーツクの海で死ぬことなどは、船の持ち主である会社の重役にとってはどうでもいいことであった。資本主義がきまりきった所だけの利潤では行き詰まり、金利が下がって金がダブついてくると、どんなことでもするし、どんな所へでも行った。船一艘で莫大な利益が見込めるのだから企業の幹部達が血眼になるのも判るような気がするが、その底辺に低賃金で酷使されている社会の末端の労働者がいることは明らかであったが、彼らにとってはどうふでもいいことだった。蟹工船は工船なので航船ではない。だから航海法は適用されなかった。だから日露戦争で使われた病院船や運送船が、再びペンキを塗られ、蟹工船として使用されていた。
蟹工船に乗り込んでいる労働者達は、船底の糞壺と呼ばれるところで寝起きし、当然のように搾取されていた。一方、監督の浅川は漁夫を尻目にやりたい放題だった。そもそも蟹工船の漁夫を雇う時には細心の注意を払われ、募集地の村長や署長に頼んで模範青年を連れてくるというのが条件であった。その中には労働組合などに関心のない、いいなりになる労働者を選ぶことで、万事好都合に事を成し遂げようというのが資本家達の考えであった。だが、蟹工船に乗り込んだ労働者たちは、不当な扱いと蛸壺のような労働条件に業を煮やし、とうとう脚気で苦しんでいる仲間が死んでしまったのを期に、彼らはストライキを決行する。
しかし、帝国海軍の駆逐艦がやって来て彼らの代表は鎮圧されてしまう。帝国海軍の軍艦は国民の味方ではなく、資本家の味方だったのである。ストライキを扇動した9人が銃を持った軍人に連行されてしまった。彼らは「不届者」「不忠者」「露助の真似する売国奴」呼ばわりされ、「ざま、見やがれ」と浅川に罵倒されてしまった。帝国海軍なんて、大きな事をいったって大金持ちの手先でしかなかった。国民の味方ではなかった・・・・・・・。でもこのまま仕事していたのでは、今度こそ本当に殺されると感じた労働者は再び立ち上がるのであった。今度は9人の代表に任せるのではなく、全員でストライキをやればいい。そうすれば監督も慌てるし、この時こそ力を合わせて一人も残らず引き渡されよう・・・・・・。こうして400人の労働者は立ち上がる。
以上が、大まかな『蟹工船』のあらすじである。
蟹工船の書かれた時代と今とでは、日本人の一般的な生活水準が違うのは当たり前だが、現在の日本社会を見渡してみると、この小説が売れる要素が何となく判るような気がする。
企業は正社員採用をやめ、非正社員という雇用条件で会社を運営しだしてかれこれ何年になるだろうか。それ以来、契約社員、派遣社員が増え、低賃金で働かされ、企業は余った人件費で成長し肥えていく。それでいて増税につぐ増税、原油価格の上昇による物価の上昇。それでいて何の政策もなく、年収が200万に満たない者が増加する一方で、弱者虐めの消費税率引き上げを平然と掲げる政治家達。
生活苦から自殺する者が増加する世の中でありつつも、一向に明かりが見えてこないこの世の中。結局、時代が違えどもどこか昭和初期の貧しい時期と重なる、今のどうしようもない斜陽国家・日本。はたして将来が展望できるのかさえ怪しい現実に、この『蟹工船』の物語は何故か受けるのかもしれない。でもプロレタリア文学といわれた小林多喜二の『蟹工船』が、今後の日本の将来を暗示しているとすれば、今の日本と酷似しているというだけでは済まされない気がするが・・・・・。
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