2008.06.28 (Sat)
ルノワール+ルノワール展に行く

京都国立近代美術館で催されている『ルノワール+ルノワール展』に行った。http://www.ytv.co.jp/event/renoir/index.html
このところ美術展なんてご無沙汰なのだが、珍しくルノワールなんて余りにもポピュラーな画家の展覧会に行ってしまった。当初、行くつもりなんて皆目なかったのである。
実は私の職場に1人私と同様に美術に興味を持っている者がいて、時々、そういった話をすることがある。彼は自身でも絵を描いていて、よく絵画コンクールとかに自作の絵を出展している。それで佳作程度の入選を繰り返しているが、彼が言うにはルノワールの絵を今さら観にいきたいとは思わないといった。それは私も同感であって、何を今さらルノワールだという思いがあった。
それこそ印象派の画家ルノワールの展覧会なんて、過去にどれほど日本で開催されたことか、それに日本の美術館が大枚を叩いて買って来ては、美術館の目玉にしているところだってある。だから日本で公開されたことの無いルノワールの絵画はだんだんと少なくなっている。おそらく運搬が無理なほど大型の作品以外は、ほとんど日本の美術館で一度は展示されたことがあるのではないだろうかと思ってしまう。だからルノワールの絵には少々、食傷気味で、またかという気がしないでもない。では、なんで行ったのだと問われると困ってしまうが、それはルノワール+ルノワールという展覧会のタイトルに惹かれたからとだけ言っておこう。つまり有名な画家であるピエール=オーギュスト・ルノワールと、もう1人のジャン・ルノワールという映画監督に焦点があてられていたからである。
日本の多くの絵画ファンはオーギュスト・ルノワールが大好きだ。特に女性はルノワールの絵が好きなようだ。今回の展覧会も予想通り多くの人で埋まっていて、半数以上は女性だった。でも彼の息子がフランス映画界の巨匠ジャン・ルノワールであるということを、どれだけの人が知っているのだろうか。父が日本で有名すぎるぐらい有名な画家であるのに対して、その息子の映画監督となると、今時は知る人ぞ知るぐらいだろう。
あいにく私は美術も好きだが、映画も好きなので、ジャン・ルノワールの映画はよく観たものである。おそらくフランス古典映画の5大監督の1人であるといわれると驚くかもしれない。ジュリアン・デュヴィヴィエ(『望郷』『舞踏会の手帖』『巴里の空の下セーヌは流れる』)、ジャック・フェデー(『ミモザ館』『女だけの都』)、マルセル・カルネ(『霧の波止場』『悪魔が夜来る』『天井桟敷の人々』)、ルネ・クレール(『巴里の屋根の下』『自由を我等に』『巴里祭』)と並んで戦前から活躍した映画監督として、ジャン・ルノワールは高い評価をされていたのである。だから父ルノワールの名声を借りなくても立派に知れ渡っていなくてはならない巨匠なのであるが、戦後のルノワールの映画は高く評価されず、今の映画界にあっては忘れられた存在と言ってもいいだろう。だから今回、父オーギュスト・ルノワールと一緒に息子ジャン・ルノワールがクローズアップされたことは喜ばしい限りである。
ただ今回の展覧会は、オーギュスト・ルノワールの日本初公開の作品が何点か含まれているものの展示作品が50点ほどと少なく、ボリューム感の無い展覧会であったが、著名な『田舎のダンス』なんて作品も展示してあった。ただいえる事は、もうルノワールの絵は見飽きているといえばルノワールのファンに失礼であるが、個人的にはルノワールの絵はあまり好きではない私からすると、何度観ても新しい発見は無く、流形的な筆触によって描かれた柔らかいフォルムを眺めていると、心が癒されるもののこれといって感動はなかった。それにオーギュスト・ルノワールの絵画の展示スペースの間に、ジャン・ルノワールの撮った映画のシーンが映されていて、人でごった返すギャラリーの中では異彩を放っているものの浮いている印象があって、企画としては失敗ではなかったかと思う。今まで絵画の間に映像が流されていた展覧会など、あまりお目にかかったことが無く、また多くの人は残念ながらジャン・ルノワールの映画にはあまり興味を示さない。
つまり対象となる映画が古すぎて、今日ではジャン・ルノワールの映画を熱心に観たことがあるという世代は65歳以上ということになってしまう。そもそもジャン・ルノワールという映画監督がいたことさえ知らない人が多いのに、何を今さら『女優ナナ』『ラ・マルセイエーズ』『大いなる幻影』『ゲームの規則』『フレンチ・カンカン』『河』『草の上の昼食』だといいたくなる。
画家ルノワールの次男ジャン・ルノワールは、1894年に生まれた。つまりオーギュスト・ルノワール54歳の時の子供ということになる。第一次世界大戦の時、参戦療養中にチャップリンの映画を観て影響を受け映画監督を志し、無声映画の頃から映画を撮り始める。やがて1937年に発表した『大いなる幻影』で一躍有名になり、最近では1939年に撮った『ゲームの規則』の評価が高く、世界映画史上屈指の名作といわれている。
このようにフランスやアメリカで、父ルノワールの名前を抜きにしても超一流監督であるジャン・ルノワールが、今日、日本で知る人が少なくなったというのも何だか寂しい。今回、父の絵とコラボレーションという形で紹介されたが、これをきっかけにもっと知れ渡って欲しい映画監督である。
とにかくイタリアのネオ・リアリズムを始め、世界中の映画作家に影響を与えているフランス映画の巨匠なのであって、かのフランソワ・トリュフォーが師と仰ぐほど慕っているのだから、その繊細な作品作りは父の遺伝子を受け継いでいるとも思える。ただ、戦後に忘れられた存在となってしまったジャン・ルノワール。時代のテンポについていけなかったのか、古色蒼然とした映画を1950年代になっても作っていた。その後、フランスに帰らずアメリカで1979年まで生きていたのだから、最近の人なのである。
これを期にジャン・ルノワールの評価が再び、日本でも高まるといいのだが・・・・・・・。父オーギュスト・ルノワールの話は今さら何も語ることがないので割愛します。
| BLOGTOP |