2ntブログ
2008年06月 / 05月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫07月

--.--.-- (--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
EDIT  |  --:--  |  スポンサー広告  |  Top↑

2008.06.23 (Mon)

シューベルト ピアノ五重奏曲『鱒』を聴く

s-IMG_0366.jpg


 シューベルトのピアノ五重奏曲 イ長調 D.667『ます』という曲がある。編成はヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コンラトラバスの弦楽にピアノが加わるので五重奏曲なのである。全5楽章で第4楽章に有名な歌曲『鱒』の旋律を含んだ変奏曲が組み込まれているので、通称『鱒』という名称で呼ばれている室内楽曲である。

 そもそも歌曲の『鱒』が作曲されたのは1817年、シューベルトが20歳の時で、その2年後の1819年、22歳のシューベルトは友人で歌手のフォーグルにしたがって北オーストリアのシュタイル地方を旅行した。そこはフォーグルの故郷であり、ほど近いリンツには、大勢の音楽好きがいて、都合がよければモーツァルトの生地ザルツブルクまで足をのばそうという計画であった。フォーグルは早くからシューベルトの才能を認めていて、出来るだけの機会を利用してシューベルトを世に出すように務めていた。この頃、フォーグルは既に当時で一流の声楽家であった。フォーグルは背の高い美男子の声楽家で、一方、シューベルトは背が低く猫背の眼鏡をかけた風貌の冴えない男であった。このように何ともつりあいのとれぬ2人連れが北西オーストリアを旅していたのである。

 7月13日にシュタイルの町に着いていて、この町を出発したのは9月15日だったという。この間、2人はシュタイルとリンツを訪れ大歓迎を受けたという話が伝わっている。昼間は音楽好きの人々に取り囲まれピクニック、夜は2人の演奏が行なわれ拍手喝采であった。

 さて、この旅行中、彼らはジルヴェスター・パウムガルトナーという鉱山業者にたいへんお世話になった。パウムガルトナーは音楽が好きでチェロも巧に弾きこなし自宅で音楽の集いをたびたび開催していた。そんな折、パウムガルトナーはシューベルトが作曲した歌曲『鱒』を大いに気に入っていたので、これを主題とする変奏曲をつくるようにすすめたという。でもこの話は、最近では眉唾ものだろうと言われている。

 とにかく歌曲『鱒』の作曲から2年後の1819年にピアノ五重奏曲『鱒』は作曲された。この曲は22歳の若きシューベルトが、空気の清澄な土地で人々から愛され、何の心配もなく暮らすときには、人生の美しい側面しか見えなくなり、全てが楽しい美しいものになる。結局、この生活感情をのこるとこなく表現したのがこの曲である。第1楽章はアレグロ・ヴィヴァーチェ。古典的ソナタ形式によって、63小節まで第1主題、その後、113小節までが第2主題、それ以下がコーダである。第2楽章はアンダンテ。ピアノが前面に出てくる楽章で、ABABという簡単な歌曲形式をもって成立する楽章である。第3楽章はスケルツォで、楽章の途中に何度か転調するのが特徴である。第4楽章が主題と変奏である。この楽章に歌曲『鱒』の旋律が主題としてヴァイオリンで奏でられ、ヴァイオリン以外の弦楽器が伴奏する。変奏に入ってからはピアノ、ヴィオラと続き、チェロとコントラバスが彩を加え、何とも美しい旋律である。第5楽章はアレグロ・ジュストである。ソナタ形式なのかロンド形式なのかよく判らない。でもフィナーレらしい楽章であり、シューベルトが5楽章形式の室内楽曲を何故、作曲したのか判りかねるが、モーツァルトのセレナーデやディヴェルティメントが多楽章だったことを思えば、シューベルトがモーツァルトを意識していたのではないかとも思える。いずれにしても若き日のシューベルトが、如何にメロディメーカーだったかを窺える楽曲である。とにかく何かと鬱陶しい今の季節。シューベルトのこの曲を聴いていると実に涼しげである。

ピアノ五重奏曲『鱒』の第4楽章、主題と変奏を演奏する仲間達。しかし貴重な映像である。チェロが若くして急逝した天才女性チェリストのジャクリーヌ・デュ・プレ。ピアノがジャクリーヌ・デュ・プレの元夫で、前シカゴ交響楽団音楽監督、現ベルリン国立歌劇場音楽監督のダニエル・バレンボイムである。

EDIT  |  21:22  |  音楽(クラシック)  |  TB(0)  |  CM(2)  |  Top↑
 | BLOGTOP |