2009.06.06 (Sat)
回転寿司
今や日本国内のみならず、世界中に広まった感のある回転寿司。実は回転寿司が生まれてから半世紀以上になるという。でもそんなに古い歴史があるなんて思ってもいない人が多いのでは・・・。安くて適度に満腹感が得られるし時々、利用するのであるが、そのルーツは意外と知られていないように思う。
今から30年近く前のことになるのだが、東京の友達に会うため私は東京まで出かけた。そのとき、彼と新宿で落ち合ってからとりあえず簡単な食事をすることにした。それで彼が案内した先は回転寿司であった。まだ今のように至るところに溢れかえってなく、回転寿司店も少なかった時代であるが、椅子に腰掛けて食べだすなり、いきなり彼が言い出した。
「こんなの関西にはないだろ。始まりは仙台なんだよ」
彼が言うには回転寿司の始まりは仙台で、最近、東京に出回り始めたから関西にないと思っていたようである。そこで私は言った。
「発祥は大阪の布施で、万国博覧会に店が出ていたよ」と言った。
「嘘だろ! 仙台は昭和43年からあるよ」
「本当だ! 大阪は、その10年前からあるよ」
「本当かよ!」
彼は信用しなかったが、事実を言うと、昭和33年4月、大阪の近鉄布施駅北側に元禄寿司第1号店が開業していて、この店が世界中にある回転寿司の発祥の地である。
詳しく言うと1913年に愛媛県で生まれた白石義明という板前さんが戦争で満州に行き、戦後、引き上げてきて昭和22年、大阪の布施で小料理屋を開いた。彼は美味しい料理を安く提供しようと絶えず考えていて、当時、庶民には高嶺の花だった握り寿司を安く食べさせられる方法を模索していた。結果として、大量に魚を仕入れ価格を下げた上で、カウンターだけの立ち食い寿司の店をオープンする。
店は予想通り繁昌した。でも、効率が悪く人手不足も手伝って店の中はてんてこ舞い。ここで何か良い方法はないものかと白石義明が思いついたことは、以前、大阪・吹田のアサヒ・ビールの工場へ見学に行ったとき、ビールがコンベアーで運ばれていく様子を寿司にも適用できないかということだった。これだと職人は運ぶ手間も省け、客は流れてくる寿司を取るだけという効率の良さでコスをより下げられる。試行錯誤の後、10年後の昭和33年(1958年)4月、回転寿司の第1号店『元禄寿司』が開店したのである。
暫くは大阪のみのチェーン展開で、全国的に回転寿司は広まらなかった。それが昭和43年に仙台で元禄寿司がチェーン店を開店する。つまり、この時こそが回転寿司の始まりだと私の友人は考えていたのである。しかし、回転寿司が全国的に有名になるのは1970年に大阪で開催された日本万国博覧会である。この時、元禄寿司は会場に回転寿司店を出展、好評を博し、回転寿司の出店を試みる人が全国的にチラホラと現れだしたのである。それが今では世界中に回転寿司店が広まり、日本が生んだファーストフードとして知れ渡っているが、その回転寿司を生んだ白石義明という人の名は、ほとんど世間に知られていないように思う。
この人は既に2001年8月29日に亡くなっておられるので故人であるが、ビール工場のコンベアーからヒントを得て回転寿司を考案したのだが、美味しいものを安く提供することこそ、サービス産業に従事する者の使命であると考えていた。もし回転寿司がなかったとしたら、今も握り寿司は高嶺の花だったかも知れず、庶民には滅多にありつける食い物ではなかったかもしれない。もっともっと白石義明という名前が知られてもいいと思う。板前の世界ではあんなの寿司ではないといった保守的な人が幅を利かすしているのかどうか知らないが、寿司を世界中に広めたといった意味では大きな貢献をした人であることは間違いがない。値段が高くて美味しいのは当たり前。安くて美味しいものを提供したことに対して賞賛するべきである。
『元祖 廻る元禄寿司』の総本部のある布施駅前店。昭和33年に開業した第1号店は、この場所ではなく駅の北側にあったが、その後の駅前の開発で立ち退いた。

皿一枚130円。100円の時もあったが、開店の頃は一枚40円だったらしい。(携帯電話のカメラで撮ったのでピンボケしています)

今から30年近く前のことになるのだが、東京の友達に会うため私は東京まで出かけた。そのとき、彼と新宿で落ち合ってからとりあえず簡単な食事をすることにした。それで彼が案内した先は回転寿司であった。まだ今のように至るところに溢れかえってなく、回転寿司店も少なかった時代であるが、椅子に腰掛けて食べだすなり、いきなり彼が言い出した。
「こんなの関西にはないだろ。始まりは仙台なんだよ」
彼が言うには回転寿司の始まりは仙台で、最近、東京に出回り始めたから関西にないと思っていたようである。そこで私は言った。
「発祥は大阪の布施で、万国博覧会に店が出ていたよ」と言った。
「嘘だろ! 仙台は昭和43年からあるよ」
「本当だ! 大阪は、その10年前からあるよ」
「本当かよ!」
彼は信用しなかったが、事実を言うと、昭和33年4月、大阪の近鉄布施駅北側に元禄寿司第1号店が開業していて、この店が世界中にある回転寿司の発祥の地である。
詳しく言うと1913年に愛媛県で生まれた白石義明という板前さんが戦争で満州に行き、戦後、引き上げてきて昭和22年、大阪の布施で小料理屋を開いた。彼は美味しい料理を安く提供しようと絶えず考えていて、当時、庶民には高嶺の花だった握り寿司を安く食べさせられる方法を模索していた。結果として、大量に魚を仕入れ価格を下げた上で、カウンターだけの立ち食い寿司の店をオープンする。
店は予想通り繁昌した。でも、効率が悪く人手不足も手伝って店の中はてんてこ舞い。ここで何か良い方法はないものかと白石義明が思いついたことは、以前、大阪・吹田のアサヒ・ビールの工場へ見学に行ったとき、ビールがコンベアーで運ばれていく様子を寿司にも適用できないかということだった。これだと職人は運ぶ手間も省け、客は流れてくる寿司を取るだけという効率の良さでコスをより下げられる。試行錯誤の後、10年後の昭和33年(1958年)4月、回転寿司の第1号店『元禄寿司』が開店したのである。
暫くは大阪のみのチェーン展開で、全国的に回転寿司は広まらなかった。それが昭和43年に仙台で元禄寿司がチェーン店を開店する。つまり、この時こそが回転寿司の始まりだと私の友人は考えていたのである。しかし、回転寿司が全国的に有名になるのは1970年に大阪で開催された日本万国博覧会である。この時、元禄寿司は会場に回転寿司店を出展、好評を博し、回転寿司の出店を試みる人が全国的にチラホラと現れだしたのである。それが今では世界中に回転寿司店が広まり、日本が生んだファーストフードとして知れ渡っているが、その回転寿司を生んだ白石義明という人の名は、ほとんど世間に知られていないように思う。
この人は既に2001年8月29日に亡くなっておられるので故人であるが、ビール工場のコンベアーからヒントを得て回転寿司を考案したのだが、美味しいものを安く提供することこそ、サービス産業に従事する者の使命であると考えていた。もし回転寿司がなかったとしたら、今も握り寿司は高嶺の花だったかも知れず、庶民には滅多にありつける食い物ではなかったかもしれない。もっともっと白石義明という名前が知られてもいいと思う。板前の世界ではあんなの寿司ではないといった保守的な人が幅を利かすしているのかどうか知らないが、寿司を世界中に広めたといった意味では大きな貢献をした人であることは間違いがない。値段が高くて美味しいのは当たり前。安くて美味しいものを提供したことに対して賞賛するべきである。
『元祖 廻る元禄寿司』の総本部のある布施駅前店。昭和33年に開業した第1号店は、この場所ではなく駅の北側にあったが、その後の駅前の開発で立ち退いた。

皿一枚130円。100円の時もあったが、開店の頃は一枚40円だったらしい。(携帯電話のカメラで撮ったのでピンボケしています)

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