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2009.06.11 (Thu)

安部公房・・・・・『終りし道の標べに』を読む

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 何とも形容しがたい小説である。安倍公房の処女作であるが、難解で読み辛く小説的でない文体で書かれてある。いや、小説でないといったほうが適切かもしれない。話としては故郷からの逃亡者である日本人の語り手の私を通して語られているが、兎に角、思弁的で哲学的である。

 錦県という満州の地で、サイダー製造の技師をしていた私は、ある年の秋、小資本家の雇用主・房から瀋陽の新しい職場へ移ることを命じられ、仲間の中国人・高らと馬車を駆使して荒野を越えていく途中に匪賊に襲われる。匪賊の頭目・陳は私が財宝の秘密のありかを知っているのではないかと考え丁重に扱ってくれる。そもそも20年前、彼女の許から逃れて満州の地に流れつき、今は自分の存在理由と故郷の意味について自問自答し、ノートに書き綴ったのである。《斯く在る》という価値観に囚われて、私は異民族の中で模索し続ける。テーマとしては故郷からの逃亡、異民族の中の孤立、終わりの無い流浪、失われた喪失、これらを観念的に捉えている。

 この小説のストーリーを語ってもあまり意味は無い。チマチマした日常的なものよりももっと大局的な価値観が全体を支配しているからだ。それは自己の存在象徴から始まり斯く在るべきで帰結する一つの環である。自分の言葉で語りえる唯一の忘却、すなわち真理である。またその周囲には未完の円周が始まるということ。20年前、恋人の与志子を棄てて満州へ逃走したというのが故郷を去った理由であるが、長い異国での生活の中では、今や阿片中毒である。故郷を忘却した果てに流浪が始まった。

・・・・・・・あゝ、どうしたのだ。何処まで落ちるのだ。この洞穴は、この暗さは、この響きは、このしびれは・・・・・死、死ぬのだ。終ったのだ。もう一息。あゝ、素晴らしい童話!

・ ・・・・・・・私は永久に死なないゝい。あの名をいつまでも口に出さないでいてやるんだ。あゝ、旅はやはり絶えざる終焉のために・・・・・・。

 このように綴られて小説は終わっている。死の淵に至っても観念的である。ところで安倍公房の世界というのは、何故にここまで無国籍的でアナーキーなのかというと、彼自身が東京に戻るまでの15年間の大部分を植民地である満州の奉天で過ごしたからである。彼が小学生の時には満州事変が勃発している。自宅から2㎞ほど行ったところに運河の堤防があり、その向こうは茫漠たる荒野であったという。粘土塀で囲まれた農家と落花生畑が点在する砂地は中国人の墓場で、子供が死ぬと親不孝者としてそこに捨てられたと書いてある。金のある家だけは埋葬のとき、棺桶を地面の上に置き土を被せたのだが、その日のうちに盗掘され、蓋の開いた棺桶は野犬や野鳥によって食い荒らされ自然に帰っていったらしい。また人さらいの馬賊が出没すると恐れられ、安倍公房少年にとってこの頃の体験から、人間社会を超越する世界観が少年時代に養われたものだろう。また、この『終りし道の標べに』は、少年時代の友達であった金山時夫のことが忘れられず、書かれたものと思える。金山時夫は敗色の濃くなった昭和20年8月、家族と共に疎開列車に乗り、途中、何を思ったのか末の弟を連れ、逃げてくる多くの人の流れに逆らって満州の新京に舞い戻ってしまい、後年、中国人たちと一緒になって盗みを働き、その後、結核性の助膜炎を発症し、まもなく死んだという。

 安倍公房は言う。・・・・・・・・・何故そうしつように故郷を拒んだのだろうか。僕だけが帰ってきたことさえ君は拒むのだろうか。そんなにも愛されることを拒み死せねばならなかった君に、記念碑を建てようとすることはそれ自身君を殺した理由につながるのかも知れぬが・・・・・・。
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