2008.05.19 (Mon)
ハービー・ハンコックのアルバムを聴く・・・・・『処女航海』
ハービー・ハンコックは1940年生まれだから今年で68歳ということになる。でもジャズの世界で言うと新しい世代に入る。それだけに何かをやろうとする意欲が現れているが、このアルバム『処女航海(Maiden Voyage)』なんかはジャズという潮流の中で変革期にあったといえるものである。録音は1965年と新しく、これまでの一曲一曲が独立しているのではなく、アルバム・タイトルの通り海をテーマにしていて、アルバム全体で海の物語を形成している。
最初の曲はアルバム・タイトルと同じ『処女航海』で、船出の情景を表現していて、2曲目以降が『The Eye Of The Hurricane』『Little One』『Survival Of The Fittest』『Dolphin Dance』であって、それぞれが独立している曲でありながら、全体的に海のイメージを描写している。つまりアルバムのテーマに沿って曲が構成されている。これは時代の流れかもしれないが、単なる曲の寄せ集めのような、これまでのアルバムとは雰囲気も違っていて、とめどもなく管楽器がメロディを奏で、ハービー・ハンコックのピアノが彩りを加えるが、音色そのものは暑苦しさが無くサラッとした印象さえ受ける。人によっては60年代を代表するジャズだという人もいて、新主流派と呼ばれ、ピアノのハービー・ハンコックをはじめとしてフレディ・ハバード(トランペット)、ジョージ・コールマン(テナー・サックス)、ロン・カーター(ベース)、トニー・ウィリアムズ(ドラムス)といった新時代のジャズの流れを汲む面々が顔を揃えて、このアルバムは録音されたのである。つまり1960年代の中頃、マイルス・ディヴィスのグループにいたメンバー達で形成されているのである。だから各自が技を競い合っているようで、実は個人個人のプレイが積み重なって全体の雰囲気を構成しているといえばいいだろうか・・・・・。とにかく60年代を代表するジャズ・アルバムである。
ところでハービー・ハンコックという人であるが、この人は7歳からピアノを本格的に始め、11歳でアメリカ屈指のオーケストラであるシカゴ交響楽団と共演したという。当時のシカゴ交響楽団というと、ラファエル・クーベリックが音楽監督として就任していた時代で、後任のフリッツ・ライナー時代ほどではないが、アメリカの5大オーケストラに数えられていた。そういったピアノの才能に恵まれていたハービー・ハンコックが高校時代からジャズに目覚め、オスカー・ピーターソン、ビル・エヴァンスの影響を受け新しいジャズを模索していたものであるが、僅かに弱冠20歳でプロ・デビューしている。また一方では音楽と電子工学の分野で博士号を持つ秀才なのである。
ハービー・ハンコックはインテリ故に研究心旺盛で、絶えず新しい試みを追求していたといえよう。1963年から68年まではマイルス・デイヴィス・クインテットのメンバーとして活躍し、作曲家としても『ウォーターメロン・マン』『カンタロープ・アイランド』等を残している。ストレート・アヘッド・ジャズ、フュージョン、ファンクなどで先端を走りジャズ・ロックなるものを開拓していたのもハービー・ハンコックである。彼は最も影響を受けた作曲家の中に現代音楽の旗手バルトークがいて、無調的な和声を含んだジャズを取り入れようとしていたのではないかとも思えるし、ジャズの世界だけではなく色んな音楽の要素を自己の音楽の世界に内包しようと絶えず挑んでいるようでもある。
最近のハービー・ハンコックは映画『ラウンド・ミッドナイト』の音楽監督としてアカデミー賞作曲賞を受賞したり、2008年のグラミー賞で最優秀アルバム賞を受賞するなど、70歳近くなっても才能を枯れさせてないから驚愕する。まさに挑み続けるミュージシャンである。
『ウォーターメロン・マン』でマイルス・デイヴィス(トランペット)と共演するハービー・ハンコック
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