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2007.10.09 (Tue)

カップ ヌードルを食べる

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 昨日の昼間、何年ぶりかで、カップヌードルを食べた。この量で満腹感を得られるようなものではないが、小腹が空いた時など食べるのにはちょうどいい。最近はカップヌードルといっても種類が増えたようであるが、私が食べたことがあるのは、このオリジナル・タイプとシーフード・ヌードルぐらいで、他の種類のは食べたことがない。したがって、どんな味がしているのかも判らない。ところが、今や世界中にカップ麺というものが広まって、何億人の人が食べたか判らないというから、時代が変われば、人間の嗜好も変わっていくのだなあと痛感せずにはいられない。

 このカップヌードルが世に出たのは、確か1971年の夏だったと思う。盛んにテレビでCMを流していたから、よく覚えている。かつて世界初のインスタント・ラーメン(チキン・ラーメン)を世に出した日清食品が、新しいタイプのインスタント・ラーメンとして、売り出したのであった。それで売り出した頃は、カップヌードル専用の自動販売機というものが置かれていて、封を切ってカップを販売機の湯だし口の所に置くと湯が出てくるという仕掛けだった。そして透明のプラスチック製フォークが添付してあって、それで食べたという覚えがある。でも発売当初はなかなか売れずに苦労したという。それが、1972年の2月、連合赤軍による軽井沢・あさま山荘篭城事件というものがあった。当時の武装過激派・連合赤軍のメンバーが、人質をとって何日もの間、あさま山荘に立て篭もったのである。警察の機動隊は人質解放を訴えたが通らず、ついに強行突破することになった。真冬の山間部、雪が積もる寒い現場での銃撃戦、長時間もの攻防が続いた。それをテレビ各局が朝から晩まで生放送で中継していたのである。私は学校にいて、その事件のことを知り、夕方に帰宅してからも、まだテレビ中継していたことを鮮明に記憶している。その時、あさま山荘を取り囲む警備隊員に配られた食料というのが、売り出したばかりのカップヌードルであった。彼等は温かいスープの入ったカップヌードルを美味しそうに食べていた。結局、この事件が元でカップヌードルが急激に売れるようになったというから、何が原因でヒット商品が出るか本当に判らない。

 私は早速、買って来たばかりのカップヌードルの封を切り、沸騰したお湯を注いだ。ところが5分間以上経過してから食べようとしたら、何と中のスープが無い。麺や具が中の水分を吸収してしまい、ふやけたような麺を食べる羽目に陥ってしまった。・・・・これは大失敗!やはりカップヌードルは、湯を入れて3分間ほどで食べないと美味しく召し上がれないということが判った。

 ところで、カップヌードルが世に生まれる切っ掛けとなったのは、1966年に日清食品のチキンラーメンを海外で売り出そうとして、営業マンがアメリカ人バイヤーに売り込んだ時、彼等はチキンラーメンを砕き、紙コップに入れて熱等を注ぐとフォークで食べだしたことにヒントを得ているそうだ。

 この時に思いついたのが、カップラーメンという代物だった。そこへフリーズドライ化したエビ、豚肉、卵、ネギ、キャベツ等の具材、そして味付け揚げ麺、味付けには醤油、チキンエキス、香辛料、食塩、調味料、野菜エキス、動物油脂、ポークエキス、糖類、澱粉を加え、適度の量で食べやすくしたのである。日本で火がついたカップヌードルであるが、最初から海外戦略を狙って、製造販売されているので、瞬く間にアジアを中心として、世界各国へ拡がっていったということである。

 しかし、久々に食べて感じたのであるが・・・・・よほど腹が減っている時か、食べる時間が無いときにしか食べようとは思わないなあ・・・・。所詮は主食になりえない・・・。
                                                     
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