2007.10.24 (Wed)
古い映画を観る・・・・・『2001年宇宙の旅』
『2001年宇宙の旅』を古い映画というと語弊があるようだが、やはり世代によっては古い映画なのかもしれない。製作、上映も1968年で、その頃、中学生だった私にとっては古い映画という感覚はない。でも、この時に生まれてない人にとっては古い映画なのかもしれないが、今やSF古典映画の傑作とされるから、映画マニアの中では避けて通れない映画となった一本である。そんな『2001年宇宙の旅』が、今日の夜中、NHK衛星第2放送で放映される。何度目の放映か判らないけれど、NHKも何度となくテレビで放映している。
『2001年宇宙の旅』1968年製作、アメリカ/イギリス映画
監督 スタンリー・キューブリック
出演 ケア・デュリア
ゲイリー・ロックウッド
ウィリアム・シルヴェスター
ダニエル・リクター
【あらすじ】あらすじと言ってもストーリーらしきストーリーが無く、坦々と展開して行く。地球の夜明けがあり人間の祖先らしきヒトザルが現れ、食べ物を奪い合っていた。彼等はやがて二本の脚で立ち上がり、或るところで屹立する黒色板を見つける。黒色板は異様な音を発し、光をも反射する。どうやらこの黒色板がヒトザルに知恵を授けたようだ。彼等は骨を手に持ち、武器として使った。その知恵を持ったヒトザルの一匹が骨を高く投げ上げる。すると骨が突然、飛行中の宇宙船に変わってしまうのである。・・・・・知恵を持ったヒトザルから数百万年が経ち、その骨が宇宙船にかわっていた。
宇宙船は宇宙ステーション内に到着する。その頃、月では緊急事態が発生し、科学者たちが飛行士を待ち受けていた。そして、極秘の会議が行われる。それは月の或るところで、屹立している黒色板についての会議だった。この黒色板は何処から来たものか、また何物なのか、さっぱり謎を解くことが出来なかった。やがて、その謎を解くため原子力宇宙船の木星派遣が決定する。宇宙船には3人の冬眠飛行士、ボウマン隊長、プール飛行士、コンピューター「ハル」が乗っていた。だが、やがてコンピューター「ハル」が反乱を起こしプール飛行士は宇宙の彼方へ放り出されてしまった。残りの3人の飛行士も死亡。残ったのはボウマン隊長だけになった。ボウマンはコンピューター「ハル」の反乱を打ち砕き、再整備してたった1人で、黒色板の謎を探りに異次元空間へと向って行く・・・・・そして、その後、ボウマンが見たのは、いったい・・・・・・・・。
この映画が上映されていた頃のことはあまり記憶に無い。シネラマでの上映だったように思うが、娯楽映画のようなタイトルに反して難解な映画だという噂は聞いていた。それで結局、私は観にいかなかった。それから何年後だったろうか、私が20歳になった頃、再びリバイバルで上映されていて、その時に初めて『2001年宇宙の旅』を観に行ったのである。
いきなりオープニングからリヒャルト・シュトラウス作曲の交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』で始まり、やがて猿が大勢出てくる。すると猿同士が戦を始め、その中で骨を手にした猿が相手を叩きつける。この骨が人類最初の道具ということなのであろう・・・・。猿の投げた骨が一瞬にして宇宙船にかわる映像・・・数百万年の時を経たジャンプ・ショットである。すると今度はヨハン・シュトラウスのワルツ『美しく青きドナウ』の旋律に乗って宇宙船が宇宙ステーションに向っている映像が映し出される。私は鬼才スタンリー・キューブリックのトリックに酔った。しかし、この映画を楽しめたのはここまでであった。その後は考えれば考えるほど理解できない。まるでブラックボックスに入ったかのように、唖然、唖然の連続で、気がつけばボウマン隊長がロココ風の部屋の中に現れる。「何なんだ、この映画は?」最初に観たときの感想はそんな感じだった。
その後、何度か『2001年宇宙の旅』を観る機会があった。でも観る度に考えさせられる。科学の範疇で観ていると、突然神話的になり、神話的かと思うと哲学的でもある。この映画のポイントとなる黒色板・・・これは何を意味するのか。考えれば考えるほど自分自身、ブラックホールに入っていく。再生と輪廻の起こうる清淨空間が黒色板の中に存在するのだろうか・・・・。
この映画に出てくる黒色板(モノリス)は有機物というより鉱物、金属の類を連想させるが、このあたりキューブリックのマジックにかかっているようでもある。彼が考える神話は科学や現代物理学であり、一方で古代的な自然哲学や万有神論にも結びつきそうだ。万有の生と死を、永遠のサイクルでとらえる輪廻転生思想のようでもある。・・・・とか、なんとか言って、自分自身で答えを見つけようと色々考えた時期もあったが、最近は『2001年宇宙の旅』を観て、何も考えなくなった。つべこべ理屈を捏ねるよりも、この素晴らしい映像に酔って彷徨えばいいのだと思うようになった。要するに、この映画を観た人の捉えかたは10人いれば、10通りあるということだ。深く考えるのはやめたのである。
『2001年宇宙の旅』のワンシーン。『美しく青きドナウ』の旋律が流れる中、宇宙船が宇宙ステーションに向う。
『2001年宇宙の旅』1968年製作、アメリカ/イギリス映画
監督 スタンリー・キューブリック
出演 ケア・デュリア
ゲイリー・ロックウッド
ウィリアム・シルヴェスター
ダニエル・リクター
【あらすじ】あらすじと言ってもストーリーらしきストーリーが無く、坦々と展開して行く。地球の夜明けがあり人間の祖先らしきヒトザルが現れ、食べ物を奪い合っていた。彼等はやがて二本の脚で立ち上がり、或るところで屹立する黒色板を見つける。黒色板は異様な音を発し、光をも反射する。どうやらこの黒色板がヒトザルに知恵を授けたようだ。彼等は骨を手に持ち、武器として使った。その知恵を持ったヒトザルの一匹が骨を高く投げ上げる。すると骨が突然、飛行中の宇宙船に変わってしまうのである。・・・・・知恵を持ったヒトザルから数百万年が経ち、その骨が宇宙船にかわっていた。
宇宙船は宇宙ステーション内に到着する。その頃、月では緊急事態が発生し、科学者たちが飛行士を待ち受けていた。そして、極秘の会議が行われる。それは月の或るところで、屹立している黒色板についての会議だった。この黒色板は何処から来たものか、また何物なのか、さっぱり謎を解くことが出来なかった。やがて、その謎を解くため原子力宇宙船の木星派遣が決定する。宇宙船には3人の冬眠飛行士、ボウマン隊長、プール飛行士、コンピューター「ハル」が乗っていた。だが、やがてコンピューター「ハル」が反乱を起こしプール飛行士は宇宙の彼方へ放り出されてしまった。残りの3人の飛行士も死亡。残ったのはボウマン隊長だけになった。ボウマンはコンピューター「ハル」の反乱を打ち砕き、再整備してたった1人で、黒色板の謎を探りに異次元空間へと向って行く・・・・・そして、その後、ボウマンが見たのは、いったい・・・・・・・・。
この映画が上映されていた頃のことはあまり記憶に無い。シネラマでの上映だったように思うが、娯楽映画のようなタイトルに反して難解な映画だという噂は聞いていた。それで結局、私は観にいかなかった。それから何年後だったろうか、私が20歳になった頃、再びリバイバルで上映されていて、その時に初めて『2001年宇宙の旅』を観に行ったのである。
いきなりオープニングからリヒャルト・シュトラウス作曲の交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』で始まり、やがて猿が大勢出てくる。すると猿同士が戦を始め、その中で骨を手にした猿が相手を叩きつける。この骨が人類最初の道具ということなのであろう・・・・。猿の投げた骨が一瞬にして宇宙船にかわる映像・・・数百万年の時を経たジャンプ・ショットである。すると今度はヨハン・シュトラウスのワルツ『美しく青きドナウ』の旋律に乗って宇宙船が宇宙ステーションに向っている映像が映し出される。私は鬼才スタンリー・キューブリックのトリックに酔った。しかし、この映画を楽しめたのはここまでであった。その後は考えれば考えるほど理解できない。まるでブラックボックスに入ったかのように、唖然、唖然の連続で、気がつけばボウマン隊長がロココ風の部屋の中に現れる。「何なんだ、この映画は?」最初に観たときの感想はそんな感じだった。
その後、何度か『2001年宇宙の旅』を観る機会があった。でも観る度に考えさせられる。科学の範疇で観ていると、突然神話的になり、神話的かと思うと哲学的でもある。この映画のポイントとなる黒色板・・・これは何を意味するのか。考えれば考えるほど自分自身、ブラックホールに入っていく。再生と輪廻の起こうる清淨空間が黒色板の中に存在するのだろうか・・・・。
この映画に出てくる黒色板(モノリス)は有機物というより鉱物、金属の類を連想させるが、このあたりキューブリックのマジックにかかっているようでもある。彼が考える神話は科学や現代物理学であり、一方で古代的な自然哲学や万有神論にも結びつきそうだ。万有の生と死を、永遠のサイクルでとらえる輪廻転生思想のようでもある。・・・・とか、なんとか言って、自分自身で答えを見つけようと色々考えた時期もあったが、最近は『2001年宇宙の旅』を観て、何も考えなくなった。つべこべ理屈を捏ねるよりも、この素晴らしい映像に酔って彷徨えばいいのだと思うようになった。要するに、この映画を観た人の捉えかたは10人いれば、10通りあるということだ。深く考えるのはやめたのである。
『2001年宇宙の旅』のワンシーン。『美しく青きドナウ』の旋律が流れる中、宇宙船が宇宙ステーションに向う。
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